家族支援にもなるような援助を

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表面化しつつある大きな課題

「介護殺人」当事者たちの告白 NHKオンライン
http://www.nhk.or.jp/d-navi/link/kaigosatsujin/index.html

昔に比べて
多様な施設が増えてきたのは良いことだと思う。

でも、使える施設というハードが増えても
ご家族の抱える困難を
具体的に改善できるようなソフトが充実しないと
ご家族はかえって追いつめられてしまうと思う。

番組によると
75%もの方が何らかの介護保険サービスを利用していたとのこと。
にもかかわらず。。。起こってしまった介護殺人。

何らかの介護サービスを使うことによって
心身の距離をとって介護者の自分1人の時間を確保するのは大切。
(でもこれだって実際には買い物や家事等に忙殺されて
終わってしまう人だって少なくない)
間接的な家族支援になるから
これがあるだけでも、ないよりはずっと良いと思う。

ただ
どんな介護サービスでも
使うのは手段であって目的ではない。
介護サービスを使うことで、ご本人の能力を発揮できるようになる
そのことによってご家族もラクになる
ということが本来の目的だと思うけど
介護サービスの提供目的は
結果としてバラバラで
それぞれの介護サービス提供者側は
自分たちのやることを一生懸命やってるんだけど
ご家族の困りごとは改善されない。
家庭での困りごとは、ぽっかりと穴が空いたように
見逃されてしまう。

生活障害が強くなっていても
サービス利用時に「問題」がなければ
生活障害を起こしうるような「状態像」が
「家庭で」起こっていることに気がつけない。

あるいは
他人に対しては感情を抑制できても
身内に対しては難しい方もいる。

介護者が認知症のある方の言いたいことを
忖度することが難しい場合だってある。

ご家族の困りごとを実感をもって提供者側が理解できないと
相談を聴くこともできないし
具体的に対応方法を提案することもできない。

ご家族が休憩できる時間を増やしましょう
デイの利用回数を増やしましょう
それは情報収集し評価する時間を確保するという意味で有効だけど
それが為されないと単なるその場しのぎに過ぎず
結果として、新たな問題の表面化・拡大化を招き
ご本人をさらなる困難に陥れてしまうことになりかねない。

「褒めてあげることが大事」
「認知症のある方を怒ってはいけない」
などと言ってるだけだと、結果としてご家族を追いつめてしまう。

具体的に現実的に困りごとを改善する方法論を提案できるように
それは決して誰にでも通用するような
「あぁすればこうなる」というマニュアルではなくて
目の前にいる方の障害と能力を把握して初めて提案できること
ただそれが結果として似たようなパターンで現れるということはあっても。

パターンはあるけど、パターンじゃない。

この先
絶対に、私たち支援に携わる側の人間が
突きつけられる大きな課題。

パターンしか見えないのか
パターンに当てはめるのか

パターンという形で現れる、能力と障害と特性を
評価することができるのか

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(株)gene主催セミナー7月17日(日)@東京

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(株)geneさん主催で
「認知症のある方への評価から対応まで」
というセミナーが
平成28年7月17日(日)に
東京都千代田区にある中央労働基準協会ビルにて開催されます。
詳細はこちら
http://www.gene-llc.jp/seminar_info/?id=1458697576-118908

今、認知症のある方への対応について
「その人に寄り添って」
「ナラティブな見方が大切」
「不安や不快な原因を探索して改善」
「言動を否定しない」
「褒めてあげる」
といったマジックワードが席巻しています。

これらの言葉を否定することって
すごく難しい。
あまりにイメージが良い言葉だから。

でも、よくよく考えてみると
実践するには抽象的すぎる概念です。

「どういう実践が寄り添ってることになって
どういう実践だと寄り添ってないことになるの?」
「ナラティブな見方をどんな風にしたら食べ方がよくなるの?」
「原因探索・改善ってICIDHの考え方なのでは?」
「言動を否定しないとしたら、どうしたらいいの?」
「褒めてあげるって、年上に人に失礼じゃない?」

こういった疑問を解消してくれるような具体的な説明を
私は見たり聞いたりしたことがありません。

認知症のある方の生活障害やBPSDは
脳の病気によって起こる障害と
何とかしようとする能力と
その人の判断基準となる特性によって
引き起こされます。

まず、根本には障害があります。

さまざまな障害に対して
心理社会的なアプローチをするというのは
脳血管障害後遺症で重度の運動麻痺によって
上肢操作が困難な方に対して
あるいは、立ち上がり困難な方に対して
「どうしたら対象物を操作しようと思ってもらえるか」
「どうしたら立ち上がる気持ちになるのか」
「その人の興味のある物・好きな物を用意しよう」
「麻痺への不安や不快な気持ちの原因があるから
それを探索して改善しよう」
「やろうとしたら褒めてあげよう」
と言っているのと同じことです。

そんなことを言ったり実践したりしている人が
いるのでしょうか?

なぜ、同じ脳の病気によって起こる
暮らしの困難に対して
一方には全く考えもしないことを
他方には当然のごとく喧伝されてしまうのか

耳に心地良いマジックワードによって
思考停止してはいけないと思います。

目の前にいる認知症のある方に
一生懸命何とかしたいと努力している
ご家族や対人援助職の人が
見当違いの方向で努力することによって
心身のエネルギーを余分に消耗することなく
より建設的な方向に向かって発揮していただけるように
私からの提案としてお話させていただきます。

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POST連載記事 6

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POST
理学療法士による、リハビリ職者をめざすためのサイト
http://1post.jp

こちらに私の連載記事の最新号が掲載されました。

タイトルは
「誤介助が原因の 改善できる食べ方」
http://1post.jp/2016/06/29/demenia_ot_colum06/

こちらの記事で示した状態像のある方は
あるあるなケースです (^^;

今まではムセていなかったのに
最近よくムセる。。。という方は
早く適切に対応することによって
もう一度ムセなく食べられるようになります。

是非、記事を読んでみてください m(_ _)m

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「一芸に秀でる人は多芸を理解する」

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世の中に
スゴイ人は本当にたくさんいる。

でも
有名だからスゴイというわけでも
資格をもってるからスゴイというわけでも
地位が上だからスゴイというわけでも
経験年数を重ねているからスゴイというわけでもない。

先日、とても嬉しいことがあったんです。

講演活動などで、リハスタッフ以外の方と
一緒にお仕事をする機会があるのですが
「認知症のある方」と私が意図的に使っている言葉を
説明することもあります。
その方にも説明したら、よくわかって受けとめてくださって
久しぶりにやりとりをした際に
その方が私以外の人に対しても
「認知症のある方」という言葉を使ってくださっていることを
知って、とても嬉しかったんです。
この方は
実際の臨床には直接には関係のないお仕事をしています。
にもかかわらず
私が言いたかったことを明確に理解してくださったんだと
そして
私に対して、ではなくて、ご自身のお仕事の上で
つまり、ご自身のこととして
この言葉を使ってくださっているんだということが
とても嬉しかったんです。

ところが
私はリハスタッフが企画する講演にもよく呼ばれますが
「なんでよっしーさんは
『認知症のある方』という言い方をしているんですか?」
とはあまり聞いてもらえない。。。 (^^;
とか
私が「認知症のある方」という言い方をしているのに
相手は「認知の人」や「認知症への対応」
って言い続けていたり。。。
とか
よくある。。。(^^;

その時に話してみて、その様子で
説明する場合も
説明しない場合もあるけれど
基本的には、あんまり期待しなくなっちゃたかも。。。

「一芸に秀でる人は多芸を理解する」

この言葉は、ソニーの元副社長の言葉ですが
本当にその通りだと思う。

何でもいいんだけど
何かを極めた、極めようとしている人というのは
「何か」という具体的な現れに秀でているだけじゃなくて
「何か」を通して「メタ」な感受・認識・表出を
鍛えようとし、また鍛えられているのだと思う。
だから
違う「何か」も感受・認識・表出を
自分は実践できなくても理解はできるのだと思う。

かつて、私は
一流は一流同士、違う分野でも話ができる。
一流と三流じゃ、同じ分野でもお話にならない。
と思っていたことがありました。
だから、自分がレベルアップするしかない。って。

「一芸に秀でる人は多芸を理解する」
元の記事はこちら
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/interview/16/031800001/053000008/?ST=print

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「県士会活動☆あらかると」開設!

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神奈川県作業療法士会のサイトに
新しいコンテンツ「県士会活動☆あらかると」
http://kana-ot.jp/wpc/action
誕生しましたー!

正式には
「県士会活動☆あらかると
研修会PR詳報・開催報告・広報活動等ここを見れば詳しくわかります」
と言います。

県士会の各部・各委員会が部門横断的に共通利用できるコンテンツ。
これからのリハは、地域が要となってきて
ますます「連携」が求められ、重要になってくるのと同じように
県士会の活動も各部門・委員会の「連携」が
より一層、重要になってきます。

お立ち寄りくださる皆さまにとっても
ここを拠点として、いろいろな情報収集がより容易に円滑に
できるようになることも目的の1つとして新設されました。

その第一弾は、こちらの記事です!
「新入会員オリエンテーション&歓迎会2016 開催しました!」

福利部さん、スゴイですね〜☆
写真やグラフがたくさんあって
見やすい!わかりやすい!見事な「見える化」

新入会のパンフレットもステキです(^^)
私も欲しいくらい。
もらえた人が羨ましい。。。

記事から、和やかな活気ある歓迎会の雰囲気が伝わってきます。
福利部理事の方はじめ当日の運営・事前の準備に携わられた
福利部のみなさま、おつかれさまでした。
どうもありがとうございました。

みなさま、この栄えある新コンテンツのTOP記事に
ぜひぜひ、お立ち寄りくださいませ m(_ _)m

あ、
財務部のブログ「財務’s Jobs」も
引き続きどうぞよろしくお願いします m(_ _)m
http://kana-ot.jp/wpc/finance

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評価から遠ざかる見方・考え方

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ときどき精神科の作業療法士から聞く言葉
「あぁも考えられる、こうも考えられる」
なぜか、得意げに語る人が多くて
本当に不思議です。

だって、それって評価と真反対の姿勢です。

評価というのは
これは確実に違う
これは考えられない
と、除外していく過程の積み重ね

同じコトが認知症のある方の食事介助についても言えます。

「想像力を働かせて」
「その人の好きな食べ物で」
「その人らしさ、その人の物語を探る」
などなど、よくよく聞く言葉です。

でも、それはあんまり関係ない。
まったく関係ないわけじゃないけど
食べやすくなるにはどうしたらよいか…を考えるうえでは
そういう心理社会的アプローチは役に立たないコトの方が
圧倒的に多い。

なぜなら、障害のために
食べにくい、食べたがらない、必然性を抱えているからです。

認知症のある方の食事介助の場面で
心理社会的なアプローチをとる…というのは
脳血管障害後遺症で運動麻痺が重度で上肢操作が困難な状態の方に
どうしたら麻痺側の手で操作しようと思ってもらえるのか
その人の興味を引くことは?
その人の好きな品物は?
その人らしさ、その人の物語を探る
というアプローチをしているのと全く同じことです。

そんなことを言う人はいないと思います。

どうして同じ脳の病気なのに
脳血管障害後遺症では考えもしないことを
こと、認知症となると
こんな方法論がまかり通るのか
本当に不思議です。

どこかで
認知症のある方の日々の暮らしの困難は
心理社会的な要因と誤解しているとしか思えません。
つまり、寂しい病、構ってほしい病、好きなことしかしない病

そうではないんだ。ということを明確に
私たちが認識するための近道が
食事介助を適切に行うということだと感じています。

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安易な食事介助は逆効果

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ときどき、ホントに哀しくなるようなことを聞きます。

食べられる機能、状態ではないのに
そこを的確に、障害と能力の把握ができない人たちが
とにかく「食べなさい」と叱咤激励したり。。。
無理矢理食べさせたり。。。

知識と技術がないから
できることがそれしかないのだろうとは思いますが
逆効果にしかならないことは
やめてほしいとすら、思ってしまいます。

ご本人は、ちゃんと食べにくさを感じているのだから
食べにくいのはわかる
でも、大丈夫
こうしたら食べやすくなる
という方法を具体的・現実的に探して提案できることが
私たち対人援助職の仕事だと考えています。

そういう私たちがすべき努力をしないで
「食べなさい」
「食べなきゃダメよ」と言うだけだったり
無理矢理食べさせたりするのは
あまりに安易だと思うし
そんなことをしても
単に食べられなくなるのを先延ばししてるだけだし
そんな介助を受け続けていると
誤介助による誤学習によって
どんどん食べられなくなってしまいます。

プラスがないだけなら、まだしも
マイナスになってしまうんです。
そのマイナスのつけをいったい誰が払うのか
次の施設や病院のスタッフとご本人が払うなんて
なんて不合理なんだろうと腹立たしく思うことすらあります。

でも、私がすべき仕事は腹を立てることではなくて
大変でしたね
でも大丈夫
もう一度がんばって
こうしたら食べやすくなりますから
という方法論をみつけて
具体的・現実的に実践して
食べやすくなるように援助すること

認知症のある方が
「あなたの介助では私は食べにくくてイヤ」
と言葉にしないからといって
そう感じていないわけではないのです。
そんな食べにくい介助でも
必死になって食べようと合わせてくれてるんです。
そんな報われない経過のあとですら
もう一度食べやすくなろうと挑戦しているんです。

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ブレてないこと:結果として起こることを求めない

ちょっと待った

結果として起こることの目的化
…って、案外多いんだなぁ
と感じています。

でも、これだって、最初から明確に意識化できていたわけじゃない。
ただ、方向性としては、最初から希求してたんだな
…って、後から思うだけで。

「ありがとう。と言われて嬉しくて」
という気持ちはわからなくはないけれど
それを求めるのは、どうかな?と思っちゃう。

その人が良くなっていく過程を恊働できるのは
とても嬉しい。
人間の能力の凄さの実感というのは
対人援助職として、すごく励まされます。

あ、良くなっていく。というのは、
目標達成に向かって変化している
という意味ですが

ただ、目標達成した時の笑顔が見たくて
とか、そういうのとはちょっと違うんだよなぁ。。。

笑顔で良かった…とは思いますが
笑顔を求めているのか…というと、それはちょっと違う。

もしも、そういう方向に舵を切ったとしたら
それは、すごく怖いことだと考えています。

こういうと
中には反感を感じる人がいるだろうなーというのも
よくわかります。

でも、逆に、そうなんだよ!って
心の中で「ひっそり」と同意してくださる人だって
きっといるだろうとも思っています。

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