手段の目的化

ちょっと待った

あちこちで起こっています。

手段の目的化

たとえば
現在の作業療法の世界で流行していることは
かつての作業療法からブラッシュアップさせたいのかもしれないけれど
それだと作業療法士のスローガンの実践になっちゃうんだよね。

手段の目的化という観点でみれば
同じことが違うカタチで繰り返されてるだけになってしまって
本質的な問題は、解決されないどころか結果として、より曖昧なカタチで隠蔽されてしまう。

問題の本質は
評価と目標設定にあるのに。

基本的すぎて
当たり前すぎて
問い返されることがほとんどないけど

現実問題として目標設定を適切に行えてる人がどれだけいるのだろう?
臨床家でも教育家でも、目標と目的と方法を混同している作業療法士は少なくないし
しかも、多くの場合にそのことに無自覚だったりする。

「認知症は難しい」「どうしていいかわからない」
という声もよく聞きますが、難しいのは対応や作業療法の提供ではなくて
本質は、認知症のある方の評価を適切に行うのが困難だというところにあるし
現状では、評価ができるように教えてもらえる機会がほとんどないというところにある。

そして
それは認知症にだけ起こっていることだろうか。。。?

本質からのすりかえ
手段の目的化

もしかしたら、人ってそういことに取り込まれやすいのかも。
もしかしたら、私も気づかないままに取り込まれているのかな?

それはイヤだ。 

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