機能−アウトカム−作業//特性

活動や作業いわゆるOccupationに関して私の考えを書きたくなっちゃいました (^^)

対象者の方がはっきりと言葉にして語る「やりたいこと」
言葉にはしないけれどもうひとつの言葉である行動を通して語る「やりたいこと」

それは、アウトカムとしてのOccupationだと考えています。

何のアウトカムかというと
機能レベルの評価を踏まえて
どの能力をどの程度使うかというアウトカム

この部分を言語化して伝えられるからこそ
障害と能力のプロとしての作業療法士の「意味」があると考えています。

認知症のある方の
障害と能力の把握ができているから
今、目の前に起こっていることがわかるし
どうしたら的確な援助ができるのかについて具体的な検討ができるのだと思う。

そして
作業遂行の過程において否応もなく
その人らしさは現れる。
良くも悪くも。

occupationというのは
それら全体を包含するもの。なのだと思う。

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お気持ちの吐露

たくさんの方が
ふとした時にお気持ちを吐露されます。

HDS-Rが1桁の方が
「俺はもうバカになっちゃったからできないよ」

HDS-Rが0点の方が
「こんなバカな俺に優しくしてくれてありがとう」

HDS-Rをとることすらできない方が
「俺はよう、ここがよう(頭を指差して)こうだからよう(パーと手を開く)」

HDS-Rをとることすらできない、異食もしてしまう方が
「私はバカだから。私は何にもわからないから」

本当にあったことです。

「認知症のある方は病識がない」
と言う人はとても多いけれど
病気と診断できるのは医師だけです。

私だって
膝が痛い、腰が痛いと感じることはできますが
なぜ痛いのか、何という病気のための痛みなのかは
私にはわかりません。言えません。
それを病識がないというのなら私も病識がないのでしょう。

そして
私だって常にどこでも誰に対しても「痛い」と言うわけではありません。

大丈夫?と尋ねられた時に
辛くても「平気」と答える私は病識がないのでしょうか?

それは
私でなくたって同じなのではないでしょうか。

認知症のある方だって同じなのではないでしょうか。

感じていることを
いつでも誰にでもどんな場でも常に表明するわけではありません。

私たちは自分の本心を言っていい場とそうでない場とを区別していますし
言える人と言えない人を区別しています。

「言わない・言えない=わからない」
と判断しているのは私たちであって
認知症のある方の真実かどうかは
どれだけ私たちが言える場を作れているのか
どれだけ私たちが聞くことのできる耳と感じ取れる身体をもっているのか
という前提要件によっても随分変わってくるのにな
そんな風に感じています。

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著者割で購入可

先の記事でご案内した
「本当に怖い食事介助 Part2」にご参加いただいた方でご希望の方には
私の本「食べられるようになるスプーンテクニック」
著者割引料金15%offで当日会場にてご購入いただけることになりました。

定価(税抜き)価格が¥1,945円のところ ¥1,750円になります。

まずは研修会参加ご希望をOHMYさんに
下記記事からお申込用紙をダウンロードして必ずお申込の上
当日、おつりのないように¥1,890円(税込)をお持ちください。

研修会の詳細およびお申込用紙はこちらからご確認ください。

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「認知症」セミナーご案内

(株)geneさん主催の
「リハスタッフのための認知症のある方への対応入門〜評価のすすめ方〜大阪会場」が
平成29年10月8日(日)に大阪私学会館において開催されます。

詳細はこちらでご参照いただけます。
http://www.gene-llc.jp/seminar_info/?id=1495185004-971349

認知症のある方を担当することになった。
明日、始めて初回評価を行う。
さて、どうしよう。。。?
嫌がられないかな?
などと心配な方や
職場の後輩にアドバイスを求められた時に
自分では何となくできていることをどう言葉にして伝えたらいいのかわからない方に
ご参加をオススメします (^^)

明日からの臨床に即、役に立つ
と同時にその奥にある考え方をこそ明確に学ぶことができるセミナーです。

ご参加お待ちしております m(_ _)m

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「食事介助」研修会ご案内

じゃじゃーん!

本日は「食事介助の研修会」のご案内です。

神奈川県の県西地区のケアマネージャーさんの団体「OHMY」さんの主催で
平成29年7月10日(月)の夜、小田原市保健センターで開催されます。

タイトルは
「本当に怖い食事介助 Part2 〜あなたが知らない分かれ道〜」

昨年に引き続きの開催です。
今年はより実践的な臨床場面に即した内容と参加者同士での実技もあります。

どの職種の方でも、ご参加いただけます。

食事介助にお困りの職員は、実はとっても多いと感じています。
そして困っているご本人もご家族も実はたくさんいらっしゃいます。

今、食事介助なんか全然困ってないよー。という方も
ご自分の今の介助が将来の目の前にいる方と介助する方にとって
大きな影響があるということをご存知でしょうか?

ほんのちょっと気をつけるだけで
認知症のある方の食べやすさはとっても大きく変わってきます。

そして
もう1つお伝えしたいことは
この現実は果たして食事場面にだけ起こっていることなのでしょうか?
という問いなのです。

お申込は
上記チラシをクリックして拡大表示させてからプリントアウトし
必要事項をご記入の上「OHMY」さん宛にFAX送信してください。

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野望は温める

昨日、とてもとても嬉しいことがありました (^^)

長年の私の野望 (^^; を叶える扉が開いたんです。

もうそれはそれは嬉しくて嬉しくて。。。
あぁ!ほんっとに嬉しい。。。

お仕事してれば、いろんなことがあるでしょう?
でも、諦めないことって、とっても大事

野望は温める
そして時期を待つ
その間は1人でこっそり牙を研ぐ

幸いなことに
私たちの仕事は
技術職だから
結果に語らせることができる
これは一番の強みだよね

今、もしかしたら、辛い気持ちを抱えながらも
何とか踏ん張っている人もいるかもしれません。
心折れそうになるかもですが。。。

私もいっぱい泣いて、いっぱい何くそって思ったもの
そして、その間、牙を研ぎまくりました。

タイミングってあるし
風向きもあるし
自分ではどうしようもないことってヤマほどある

だけど、自分の牙をどう研ぐかは自分で決めて自分でできること

そして、一見悪いことのように見える良いことだってあるんです。
これは、ほんとのこと。

悪いことの渦中にいると、
とてもそんな風には思えないかもしれませんが
私は何度もそういう体験をしてきました。

私にとって
昨日、開いた扉の意味はとても大きい。

ひとつ扉が開けば、次の扉が開くことも多い。
最初の扉が一番重いってこともよくあること。

すごく嬉しい (^^)
扉が開いたことに感謝して。。。ガンバル☆

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ご家族の援助ができるように

頑張りすぎてしまうご家族はたくさんいらっしゃいます。
よくここまでご家族だけで頑張ってこられた
と思うケースにたくさん遭遇します。

それは、ひとつには
そうせざるをえなかった。。。という状況もあるのではないか
私たち専門家と呼ばれる側の努力不足もあるのだと感じています。

困っているから相談にいったのに
抽象的・総論的なことしか言われず
今の困りごとに対して的確に役に立ちそうな答えがもらえなかったりしたら
ご家族は次に相談に行くのをためらわれるのではないでしょうか。

だって、相談に行くことすら、大変だと思いますもの。

じっくり話を聴いてもらおうと思えば
その間、認知症のある方を誰かにみてもらわなければならないから
そのお願いをしなくちゃいけない

近くに頼める人がいれば、まだいいけれど
遠くまでお願いしにいくとなると
道中だって大変。。。

そこまでして相談に来られるんだから
相談して良かったって感じていただけるような
そんな対応がいつもできるようでありたいと思う

ご家族に
「頑張りすぎないで」
と言うのではなくて
ご家族が頑張りすぎないですむように
そんな相談先であるように

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私ならこう返す

朝日新聞のある記事が目に留りました。

『「奥さんはキレイな人?」若年認知症の妻に問われ、夫は』
http://digital.asahi.com/articles/ASK4T5SYYK4TPTFC00V.html?_requesturl=articles%2FASK4T5SYYK4TPTFC00V.html&rm=400

記事によると
週に数回、妻に「奥さんはキレイな人?」と尋ねられるのだそうだ。
夫は、いつもどう応じたらいいのか、悩むとのこと。
友人たちは、妻を混乱させないように「大丈夫」とその場をおさめる。
妻もひとまず落ち着く。
かつては戸籍謄本を見せたり、結婚式の話を聴かせたりもしたとのこと。
話を合わせようとしようかとも思うが、それでは夫婦の距離が遠くなってしまうようで言えないと
記事には夫の揺れる心の内が記載されていた。

私は直接には、その方のことを知らない。
だから、無責任なことは言えない。
でも、夫が「どういう言葉を返すのが適切なのか」真剣に悩んでいることは伝わってくる。
友人たちの対応も自分の対応も納得できるとは感じていないが
どう考えたらよいのか逡巡していることは伝わってくる。

「混乱」「落ち着く」という言葉だけでは
今ひとつ状況が伝わってこないが
だからこそ、私ならこの夫に
「どうしてそんな風に思ったの?」と尋ねることを勧めるだろう。
「どうして」という言葉がキツい、問いつめるように受けとめられる可能性があるとしたら
「どんなところでそう思ったの?」という表現をするだろう。

妻が繰り返し尋ねるという言葉には
何かしらの思いや意図が明確に現れている
たとえ忘れてしまったために同じ言葉を繰り返すにしても
その都度ある一定の見方・感じ方をしているということを表しているのだから
「何と言う言葉を言うか」を考えるよりも
まず、「どうしてそう思ったのか」率直に尋ねてみたい。
言葉に込められた妻の気持ちがどんなものなのか
尋ねられれば答えてくれるのではないだろうか。

私にこんなに親切にしてくれる人だったら
奥さんだってきっとキレイで良い人なんだろうと思った。とか。
奥さんが羨ましいと思った。とか
それは聞いてみないとわからないから。

それによって答える言葉だって変わってくる。

「大丈夫」と
その場をおさめようとする人たちは善かれと思って対応してくれていることを
妻はしっかりと感じ取っていて
内心夫からの返事を聞きたいと思ったとしても
それ以上は言葉にしないように気遣っている可能性だってあるし
(多くの人は誤解してるけど、その場のことはよく理解できて配慮できる方はとても多い)
だとすると「その場がおさまる」ことが良いことなのだろうか?

「その場をおさめる」ことを優先しなくちゃいけない時もあるだろうけれど。。。

自分の気持ちや考えを表現しようとしているのだということをどう考えたら良いのだろうか?

「混乱しないように」という目的は誰のための目的なのだろうか?

混乱とその後の分かち合いは、双方にとってとても辛い
その後に訪れる悲嘆の分かち合いも、双方にとって辛い体験になる

けれど
生きるということは、辛いことにも嬉しいことにも遭遇するものではないだろうか?
嬉しいこと、楽しいことだけが起こる人生なんてあるだろうか?

認知症があろうが、なかろうが
誰もが辛さと嬉しさとその他諸々の感情を抱いて生きていく

だとしたら
考えるべきは表現しかけた感情や考えを
途中でおさめることではなくて
表現しきれるように援助するには、どうしたらよいのか
表現した後で訪れる辛い感情をどのように分かち合えるのか
ということなのではないだろうか

辛い感情を分かち合えるかもしれない
辛い感情を受けとめようとすると思う
そういう信頼が根底にあるかどうかということも問われているのではないだろうか

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