POST記事 連載中

POST
PTOTSTの働き方・学び方発見サイトさんに
2017年7月1日
「そのそも活動・参加とは何なのか 認知症のある方を担当したら」という
私の記事が掲載されました。

たくさんの方にお立ち寄りいただき嬉しい限りです m(_ _)m

ご自宅にいる認知症のある方は
一日が長く感じられる場合もよくあります。
施設にいる認知症のある方を担当していると
他部門からの「徘徊しないように何かできることない?」
などという要請を受けることもあるでしょう。

結果として現れている表面的な事象に対して
「じゃあ、どうしようか」と考える思考パターンは
もう卒業しませんか?

他の対象疾患を抱える方に対して
目の前に起こっていることから障害と能力を明確化していく
という思考パターンをトレーニングされてきたリハスタッフであれば
認知症のある方に対しても同様の思考パターンで向き合えるはずです。

認知症のある方への活動・参加ということを考える。ということは
ICFの「活動・参加」という概念の本質に深く向き合う。ということを
否が応でも要求されるようになります。
その過程は、辛いこともありますが
認知症のある方に対してだけでなく
リハスタッフが担当している他の対象疾患を抱える方に対しても
一歩深いところでの洞察が働くようになると感じています。

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鹿児島に行ってきました

 

平成29年7月1日(土)に鹿児島県作業療法士会 教育部さんの主催で
「認知症の方への理解を深める」というタイトルで講演をしてきました。

お招きくださいました教育部さん
とくに事前の準備段階から窓口となってやりとりしてくださったHさんには
心から感謝申し上げます。
理事のYさんはじめみなさまとのひとときは
楽しく、またとても充実した時間でした。
いろいろお気遣いいただき、どうもありがとうございました.

モリモリの内容で時間ぎっしりお話を詰め込んでしまいましたし
時間の関係ですべての方のご質問にお答えできずに申し訳ありませんでした。
もしよろしければメールでご連絡いただければ、お時間がかかっても必ずお返事を差し上げます。
(配布資料の一番最後にアドレスを記載してあります)

お話を聴いてくださった方が
それぞれの場でひとつずつ積み重ねていっていただいて
時を経るごとに認知症のある方とご家族の余分な困難が少しでも少なくなるように
そして、できうることならば少しでも助けになることが多くなるように
この次がまだまだあるので、さらに積み重ねていっていただけることを心から願っています。

鹿児島士会の方がみなさん、とても感じが良い方ばかりで
鹿児島での滞在をとても快適に過ごすことができました。
どうもありがとうございました m(_ _)m

甘いお醤油は初体験でしたし
大根の唐揚げは絶品でした!

冒頭の写真は、鹿児島中央駅付近で観覧車と路面電車
(お気に入りの1枚となりました)

こちらは、朝、ホテルの部屋からの眺め

言わずと知れた桜島

空港近くには茶畑が広がっていました。
さすがお茶の名産地

お約束の富士山

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目指す着地点

「帰りたい」「子どもが家で待っている」
といった表現で訴える方は大勢いらっしゃいます。

そんな時によく言われるのが
「説得より納得」
でも実際には言うは易し。行うは難し。と感じることはたびたびあるのではないでしょうか。

確かに「説得」は効果ないどころか、一利もないことのほうがずっと多いように感じています。
けれど「納得」を着地点にもってくると、これまた別の問題が生じるように思います。

納得して「あぁそうか。ありがとね」を着地点にもってこようとすると
あの手この手を使って
笑わせようとしたり気をそらせようとしたり最後まで追いつめてしまったり
結局は説得とは違うカタチであっても説得と似たようなパワーを用いてしまう
そんなジレンマを感じたりしてはいませんか?

着地点は「納得」に置かない

その方がずっとお互いの精神衛生上プラスだと思います。
納得はできないけれど、もしかしたらそうなのかなぁ?
でも良いのだと思います。

だって、認知症のある方はそれだけの能力をもっておいでですし
そもそも、私たちだって普通に暮らしていれば
いろいろな場面に遭遇して納得できないことでも仕方ないねと
いったんはモノゴトから距離を置くことなんてしょっちゅうあるのではありませんか?

余談ですけど
対人援助職はゴールを理想的に高く上げ過ぎだとよく感じます。
ふだんの私たちの暮らしではあり得ないようなことをゴールにもってくる。
結果を声高らかに宣言する。
でもその実現の過程はものすごく曖昧。
そういったパターンが多いように感じています。
結果ではなくて過程の方をもっと丁寧にきめ細やかに検討することの方が
プロとしての在りように結びつくように感じるんですけど。。。

「納得」はできないけど、そうなのかな?
「納得はできないけど、ちょっと時間をおいてまた聞いてみようか

そんな風に感じてもらえれば十分なんじゃないかな

だって「帰宅要求」はとりあえずその場は収まったんだし。

だけど、本当は帰宅要求を収めることが目的じゃないと思う。
帰宅要求という方法で表現でき、コミュニケーションすることができているのだから
言葉と感情のやりとりをできる
その結果、一方的に押し通すばかりではなく押したり引いたりもできる
だからこそ、目にみえる結果としての帰宅要求が止まった。ということになるのだと思う。

こういうことってたくさんあるように感じています。

今、何が起こっているのか
まずは、その把握から
その時に従来から言われている方法論を鵜呑みにして考えるのではなくて
もう一度自分と相手との関係性において吟味をする。ということ。

地道な実践の検証から、思いもかけないブレークスルーが生まれてくる。
いっぱいあるように感じています。

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≠「言う」=「する」

先週書いた記事の中で
村上龍が初台リハビリテーション病院のことを
「可視できるヒューマニズム」と評したことをとりあげました。

願いとしてのヒューマニズムを
現実の中で実践を通して見えるカタチで実現していく
それができることがプロなのだと感じました。

プロというのは
実現できる知識と技術をもっている人のことだし
だからこそ実現する時に丁寧にきめ細やかに実践していく人のことだと感じています。

日曜日のセミナーでもお話しましたが
願いをカタチにするための知識と技術がない状態で願いだけがいくら強くあっても
現実を変えることはできない。

美味しく食べていただきたい
栄養や水分をちゃんと摂取していただきたい
そのような願いを抱いているのであれば
対象者に対して「食べてね」と言うのではなく
対象者が食べられるように自分が「する」のだと

知識と技術がなければ
自分が「する」のではなくて
対象者に対して「ちゃんと食べてね」と言うしかなくなってしまうのだと

そして
認知症のある方への食事という場面で起こっていることは
認知症のある方への生活障害やBPSDという場面でも
まったく同じことが違うカタチで現れているだけなのだと

「認知症のある方へ寄り添ったケア」
「その人らしさを大切にしたケア」
そのようなケアの理念を実現するために
私は語るよりも考える
ある特定のそれぞれの場面において
私自身の
どのような言動が認知症のある方へ寄り添ったケアに該当して
どのような言動が認知症のある方へ寄り添ったケアに該当しないのか
どのような言動がその人らしさを大切にすることになって
どのような言動がその人らしさを大切にしていないことになるのか
尊重と迎合との違いは何か

私は臨床でとても困っているから
いつも具体的に考えるようにしているし
セミナーや研修会の講師を務める時にも
抽象的なことを語ることはしない
自分自身のポリシーとして
抽象的な理想論を語っているだけでは目の前の現実を変えることはできない
必要なのは、理想を具現化する過程においての
在りようであり具体的で明確な考え方なのだと考えているから

私自身の体験として
涙をこぼさずにいられないような体験はヤマほどあるけれど
そのような体験を講師として話すことはしないから
人によっては感動や共感を求めて研修会に参加する人もいるようですけれど
そのような人にとっては私の話は物足りないと思います。

私が講師をお引き受けする目的は
認知症のある方は能力をもっているが故に暮らしの困難に遭遇する
だからこそ、対応を工夫する意義がある
ということを明確にお伝えするため
1人でも多くの困っている対人援助職の人と
1人でも多くの認知症のある方とご家族の余分な困難が少なくなるため

今の自分でできることを「する」ために
その1つの手段として
たとえばこのブログの記事で「言う」ことを活用しています。

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講演@gene「食事」

平成29年6月25日(日)に
名古屋金山研修センター(ゼミナールプラザ)にて
株式会社geneさん主催のセミナー「認知症のある方への食べることへの対応」
で講師を務めてきました。

参加してくださったみなさま
おつかれさまでした。
朝方に大きな地震があったので
電車がとまってしまって身動きできなかった方もいらしたとのこと
そんな大変な状況にもかかわらずご参加くださった方もいらして
本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

また、準備段階からお世話になりました
geneさんのYさん、あ、おふたりともYさんですね。
どうもお世話になりました。
ありがとうございました。

一番最初にgeneさんのセミナーの講師をお引き受けする時に
「喜んで!是非!」とお答えしたものの
内心「丸一日お話なんてできるだろうか?時間が余っちゃったらどうしよう」
ととても不安に思っていたものです。
ところがどっこい、いざお引き受けしてみると
丸一日なんてアッという間。
今日もアッという間にお昼ご飯をいただき
アッという間に夕方になってしまいました。

それにしても、実技は楽しいですね (^^)

みなさまが和気あいあいと行ってくださったので
とても良い雰囲気の中で体験しながら学ぶということができたのではないでしょうか。

この春に上梓した「食べられるようになるスプーンテクニック」
という本のタイトルに込められた意味を
参加してくださった方は実感していただけたように感じました。

既に本をご購入いただき、セミナーの時にご持参くださった方が数名いらして
本当に嬉しく思いました。
ありがとうございます m(_ _)m

また本の出版はgeneさんからではなくて他社さんの出版ですのに
いつも懐深くPRについてもご快諾くださいますgeneの社長さんはじめスタッフの方には
心から感謝申し上げます。

こういうところに
「リハビリテーションを『かたち』にする会社」というgeneさんのポリシーが
よく現れていると改めて感じています。

私の話や本が『かたち』となって
セミナー参加者を通して
認知症のある方の食べることが変わっていくと
geneさんが考えてくださっているからこそご了承くださっているのだと。

逆に言えば、私の話がそこまでに至らないものであればきっとお断りされてしまうでしょうし
そもそも本当は了承する義務はgeneさんにはまったくないのですから
本当にありがたく感じるとともに
セミナー参加者に当日「参加してよかった」と思っていただけるのはもちろんですが
それぞれの職場に戻って実践してみた時に
「参加してよかったんだ」と感じていただけるに足るようなお話をできるようになろうと
改めて気持ちが引き締まる思いがしました。

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講演@総武病院

本日、千葉県船橋市にある総武病院さんにお招きいただき
「介助を変えれば食べ方が変わる」というタイトルでお話をしてきました。

ずっと以前からやりとりをしてくださったTさん
副看護部長のAさん
看護部長のKさん
大変お世話になりました。
どうもありがとうございました。

とても暖かく迎えていただき
リラックスしてお話をすることができました。

精神科病院は今二極化の中にあり
早期退院・地域以降と
長期入院患者の高齢化の狭間にあって
高齢入院患者さんや重度の認知症のある方への食事介助が
とても負担になってきている状況が全国的にあるのではないかと推測されます。

美味しく食べていただきたい
ご自身の能力を発揮しながら食べていただきたい
そのような願いを抱いていても
知識と技術を知らないために
結果として職員の人も対象者の方も
辛い思いをするような現状は本当にもったいないと感じています。

私のお話が終わった後に
A副看護部長さんが「看護は実践学」「今日学んだことを病棟でもやってみましょう」と
即座にみなさまにお声かけくださり、とても胸が熱くなりました。

本当にどうもありがとうございました!

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カタチにできること:「カンブリア宮殿」を見て

今さらですが。。。
「カンブリア宮殿」見ました。
「さらば寝たきり!注目のリハビリ病院」

村上龍が「可視できるヒューマニズム」って言ってるけど
それがプロなんだと思う。

カタチにできること

さまざまな現実の中でどうやって具現化していくか

願えば叶うわけではない
唱えれば叶うわけではない

目の前の現実を生きる認知症のある方の暮らしの困難を減らすためには
唱えるだけでは現実を変えることはできないと思ってる。

旗を振る役割の人も必要だと思う。
そのことによって状況も変わる。
でも、それだけでは不十分。
ようやくスタートラインに立っただけ。

問題はその先。

カタチにすること
カタチにできるための道しるべ

誤解のないように補足すると
カタチ=ハウツーじゃない。

私たちの仕事は
相手が人間だから
「あぁすればこうなる」はない。

結果としてのパターン、類似性はあっても。

一番ベースとなる考え方
こうやって考えていくといいよ。
少なくとも、悪い手を打たずにはすむよ。
それはある。

その次の表現の仕方には、
時により場により人により、さまざまあれど。

認知症のある方への対応について
いろんな人がいろんなレベルでいろんなコトを言ってるけど
「何を」言っているのか耳を澄まして傾けるとわかることがいろいろ出てくる。

小澤勲医師が言った
「ケアを感情労働から知的労働へ切り替えなければならない」
という言葉の意味を具現化することが大切。
具現化の道筋を明確化することが大切。
でなければ、私たちはいつまでたっても
旗ふりと現実との狭間で葛藤に陥って自らを追いつめるか
都合の良いように言葉をもてあそぶかの選択肢を突きつけられ
どちらにしても本当の意味の希望を胸に抱くことが難しくなってしまう。

まだ、表面化していないかもしれないけれど
必ず、それらが求められる時がくる。

必ず来るから、牙を研ぐ。

 

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講演@テルウェル東日本

今日、平成29年6月14日(水)に
テルウェル東日本さんにお招きいただき
「認知症のある方のもう1つの言葉〜能力と障害の把握〜」というタイトルで
お話をしてきました。

ケアマネージャーさんや現場のサービス提供責任者さんが参加者とのこと。
みなさま、おつかれさまでした。

アセスメントが大事ということを
よくある現場のあるあるを通してお話をいたしました。

最後に退室する際に
拍手で送り出されるというのは、ちょっとこそばゆく恥ずかしく
でもみなさまのお気持ちが嬉しかったです (^^)

準備段階でいろいろとご配慮くださったYさん
どうもありがとうございました。

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