「何?」「誰?」

私は昔
「誰が言うか」よりも「何を言うか」ということを重視していましたが
今は「誰が言っているか」ということを重視しています。

「誰が」というのは
地位の高低、有名・無名、SNSのフォロワー数の多寡
などという意味では全くなくて
どんな立ち位置で
どんな風に物事を捉える人なのか
という意味です。

人によって
「言葉」の深み、広がりが全然違う。

一見、凡庸な言葉のようで
使う人によってはそうではなかった。ということに遭遇したことがきっかけです。

なぜ、この人がこんなことを言うのだろう?
と思ったら、必然があって使っていて、その内容に深く感じ入りました。

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身体の働き>筋力低下

「NHKのくねくね体操」のことを記事に書きました。
https://kana-ot.jp/wp/yosshi/4278

生活期にあるお年寄りの場合に
暮らしの困難とりわけ移動に関する困難が生じると
「筋力低下→筋力を落とさないように運動」という図式めいた考え方が一般的になっているように思われます。

でも、本当にそうなのかなぁ?という疑問はずっと抱いていました。

例えば
歩けてもスムーズには立ち上がれないというお年寄りはたくさんいらっしゃいます。
一般的には、大腿四頭筋の筋力強化をして、立ち上がりの練習をして。。。
という「リハメニュー」が提供されることが多いのではないでしょうか?

かつて老健に勤務している時に
入所の方でも通所の方でも
立ち上がれない方に対して、座る練習をしただけで
立ち上がれるようになった方が相当数いらっしゃいました。
こちらにも、その内容で何回も記事を書いています。

もしよろしければ
このページの一番上右側にある窓から「立ち上がり」で検索してみてください。
過去の立ち上がりに関する記事一覧を参照することができます。

私は
本当は筋力低下が起こっているのではなくて、身体のはたらきが低下している。
その結果として筋力低下も起こりえる。
と考えています。

だから座る練習で立ち上がれるようになったのだと。
正確に言うと、
座る練習で立つ・座ることの関する身体のはたらきを高めることができたので
立ち上がれるようになったのだと。

座る練習をする過程で積極的に的確に「援助」することが必要で
自立するためには、独力での動作練習を繰り返すだけでは実は効果的ではない。

身体のはたらきを高めるために、まずは的確な援助が必要で
身体のはたらきが高まった結果、独力でもできるようになるのだと。

そして
本来「援助」とは、何の援助でもそういうものなのではないか
と考えています。

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観える現実が異なる

認知症のある方への対応として
いろいろ言われていますが
職員がどんな視点で関与しているのかによって、観える現実が異なってくる
という前提に関する議論・検討が少ないように感じています。

能力が低下しているから
と観るか
能力によって代償・適応しようとしているか
と観るか

同じ現実に対して、異なる視点で異なる現実を見ている。
だから、どうしたらいいか、意見も違ってくる。

意見の違いは、はっきりわかりやすいから認識しやすいし
現実に必要と迫られていることも相まって、論点としてすり替えられがちです。

視点の違いは、認識しにくい。
そもそも自分がどんな視点を持って観察しているのかということに無自覚な場合が圧倒的に多いです。

「意図こそが重要」

これは、スティーブ・ジョブズの言葉ですが
正しく!
視点によって関与の在りよう、意図が決まってくる。

まずは
視点によって観える現実が異なっている
という本当は当たり前のことから始めると
問題設定の問題に対して、クリアに検討できるようになると考えています。

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オススメ!「NHKのくねくね体操」

みなさま、ご無沙汰しておりました。
お変わりありませんでしょうか?

私は元気でしたが、あることに取り組んでいてなかなか記事更新できませんでした。
そちらもようやく目処が立ち、久しぶりにここに戻って書いています (^^)

今日はオススメの体操をお伝えしたいと思います。

テレビでご覧になったことのある方も多いと思いますが
NHKの『体の動きをよくする「くねくね体操」「がにがに体操」』です。
https://www.nhk.or.jp/kenko/atc_725.html

特に「くねくね体操」がオススメ⭐︎

私は、坐骨神経痛になってから、膝や腰が万全ではないのですが
「くねくね体操」を繰り返すと、最初は「がにがに体操」で肘と膝がつかなかったのですが
いつの間にか「がにがに体操」ができるようになりました。

生活期のお年寄りに対して
「筋力強化」「筋トレ」よりも先にやることがある!と常々思っている私にとって
「神経に働きかけて体の動きをよくする」と言う考えはとても納得できます。

小学校の体育に取り入れられているというのも
とても良いことだと思います。

徳島大学名誉教授の荒木秀夫先生が考案されたとか。
なんでこの動きの組み合わせなのか、自分なりに考えてはいますが
荒木先生のお考えをお聞きしてみたいです。
今は難しいでしょうけれど、いつか先生のご講演を聴けたらいいなぁ。

先生がどうお考えになるかはわかりませんが
立位でくねくね体操が難しい方は
椅子に座ってやることでも効果があるように感じています。

お怪我や痛みや障害のある方は
実際に始める前に医師やセラピストにご相談になってから行ってください。

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認知症の人と家族の会「実態調査報告書」が公開されています

認知症の人と家族の会のHPにて
「認知症の人と家族の思いと介護状況及び市民の認知症に関する意識の実態調査報告書」が公開されています。

報告書はこちらからご参照いただけます。(サイズが重いのでDLに時間がかかります)
概要版はこちら。

非常に丁寧・詳細にまとめられていて頭が下がります。
読み応えのある報告書ですが、概要の確認はもちろんぜひ詳細をご一読ください。

「認知症に関わる支援者の意識調査」から、一部を抜粋します。
支援者の「そう思う」「ややそう思う」と回答の割合です。

「認知症の人に優しく接することができる」               91.1%
「認知症の行動の意味を理解することができる」              77.5%
「認知症の人へのケアには自信がある」                  55.9%
「認知症の人への支援は専門家が適切な支援を実践してくれると思う」 55.1%

『支援者自身が専門的な支援を受ける立場で回答していると思われ、複雑なケア現場の現状が示唆された』
とまとめられています。

かつて
あるご家族から言われたことがあります。
「いろいろな相談機関に相談に行った。
言われることは確かにその通りだと思ったけど
これに困っていると相談したことへの答えは返ってこなかった。
ここで初めて答えをもらえた。」

また
NHKスペシャル「私は家族を殺した”介護殺人”当事者たちの告白」
https://www6.nhk.or.jp/special/detail/index.html?aid=20160703
をみた時の衝撃も忘れられません。

介護殺人に至ってしまったケースの3/4で何らかの介護保険サービスを利用していた
にもかかわらず、最悪の事態に陥ってしまったということ

介護家族の
「認知症を理解したって私たち家族の介護は楽になるわけじゃない」という言葉

今までは
介護を家族だけでなく、もっと「場」を増やす、関わる「人」を増やす
という量的拡大がまず必要だったのだと思います。

でも、これからは切実に「質」の向上が求められている。

介護現場では多くの専門家が優しく在りたいと心がけているけれど
それだけでは適切な支援はできない、自信がないと感じながら働いている人の多さを改めて実感しました。

専門家たりえる実践の担保がこれからもっと必要になってくる。

改めて背筋が伸びるような思いをしました。

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原因と結果

原因と思っていたことが
実は、結果だったということも起こり得ます。

盲信してしまうのは本当に怖いと感じています。

正常より低下しているような状態を目の前にすると
どうしても、その低下が原因と判断してしまいがちですが
実は、結果だったということも起こり得ます。

例えば
食事場面において
喉頭挙上の動きが悪いという事実があったとして
その事実をどれだけ科学的に客観視できるように
テクノロジーが進歩するのはとても良いことだと思います。

けれど
「喉頭挙上の動きが悪い」という事実があるということと
「喉頭挙上の動きが悪い『から』上手に食べられない」という『原因』とは別の話であって
『事実』と『原因』と混同してはいけないと考えています。

もしかしたら
その『事実』は他の何らかの理由や必然があって『結果』として起こっているのかもしれません。

今まで視覚化できなかった『事実』を明確化できるようになったからといって
そして、その『事実』が通常とは異なるからといって
目の前の困難が『事実』によって引き起こされているとは限らない

他の理由や必然があって
『結果』として起こっている『事実』なのかもしれません。

その判断は私たち人間にしか、できない。

認知症のある方や生活期の方の食事介助においては顕著です。

不適切なスプーン操作を続けていると
認知症のある方が本来持っている準備期の能力低下をきたしてしまうので
結果として口腔期が乱れてしまい
次に咽頭期が低下してしまいます。

ところが、
適切なスプーン操作を続けると
認知症のある方が本来持っている準備期の能力発揮を促すので
口腔期の能力が戻り
咽頭期まで戻ってくる
ということも現実に起こっています。

認知症のある方の咽頭期の能力低下という『事実』は
『原因』と思われていたけれど
実は、不適切なスプーン操作の『結果』だった
ということが現実に起こっているのです。

だからこそ、変えられることもある。

そして
同じコトが食事介助以外の場面でも違うカタチで起こっている。

科学技術の進歩によって
今まで知ることができなかったことを平等に誰もが認識できるようになるのは
素晴らしいことだと思う。

でも
事実と原因と結果とは違う

原因と思われていたことが
実は結果だったということも起こり得る。

思考回路が因果関係論的なICIDHに染まっていると
どうしても新事実発見→原因発見→原因改善のように考えてしまいがちだけれども
相互関係論的なICFの思考回路を習得することによって
新たな知見を過大評価も過小評価もせずに
事実を事実として組み込んだ現状認識、評価、アセスメントに結びつくのだと考えています。

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「ナウシカ」に絡めて 続き

1月17日(金)に開催された
知的障害施設団体連合会支援部会さん主催研修会終了後の懇親会にて
「よっしーさん、前にナウシカの記事を書きましたよね。
その記事がどうしても検索できなくて」というお声をいただき
確認してみました。

「あっ、続きを(というか、何をナウシカに絡めているのか)本筋を書き忘れてた。。。」

スミマセン。。。

そんなわけで、改めて、続きというか、本筋を書くことにしました。

 

そもそもの元の記事は
「POST」
さんに掲載された「風の谷のナウシカから考える認知症対応」という記事です。

 

「風の谷のナウシカ」は映画も原作のマンガもどちらも大好きです。
その中でも胸に迫るような思いをしたのが
記事でも記載してあるように
ナウシカがペジテの人たちに捕らえられた時にアスベルに向かって叫んだ言葉です。

「お願い!アスベル!みんなに伝えて!
蟲たちは森を守ってる。蟲は世界を守ってるんだって!」

当時、誰もが、腐海の森は危険な所だ。
瘴気によって健康を脅かされるし、蟲にも襲われるから
近寄ってはいけない場所として認識されていました。

ところがその腐海の奥底では
樹々たちが汚染された大地と水を浄化していたのです。
自らを使って恐ろしい見た目で、瘴気という汚染された気体を産生しながらも
最後は光り輝くような見た目になり、清浄な空気を産生し
最後は砂となって清浄な大地の一粒となることで一生を終えていく。

ナウシカは、腐海で蟲たちに襲われていたアスベルを助ける過程において
たまたま腐海の深部に迷い込み、そこで腐海の森の真実と蟲たちの本当の役割を目の当たりにします。

実は、ナウシカは、密かに腐海の樹々を城の地下室で育てていました。
綺麗な水と土で育てれば腐海の樹々だって瘴気を出すことはないということを体験を通して既に知っていました。

自らの体験と腐海の真実の照合を体験したのです。

汚れているのは私たちが住んでいる世界の側の土と水であり
腐海は世界を浄化するために
蟲はその腐海を守るために存在している。

一見、汚れた危ない現れ方をしているだけで
本当のカタチとはたらきを、私たちは知らないどころか、否定さえしている。

ペジテの人たちは
腐海と蟲たちの真実を
知らないどころか、否定するだけでなく、破壊しようとしている。

だから、ナウシカは、あんなにも強く必死に
腐海の奥底で体験した真実を知っているアスベルに向かって叫んだ。。。

 

私には、このシーンが認知症のある方の関わりの現状と重なって見えました。

認知症のある方は
能力が低下しているから不合理な言動をしてしまうのではなくて
能力があるからこそ、なんとかしようとした代償によって
結果として不合理な言動になって現れてしまうという場面に驚くほどたくさん遭遇しています。

そして
認知症のある方がなんとかしようとするのは
自らの生活障害はもちろんだけれども
その他に、介助者の不適切な関与。。。たとえそれが善意のもとではあっても
知識や技術が伴わなかったり
表面的な言動だけを修正・改善しようとしたりしている関与に対して
適応しようとした誤学習の結果によってもたらされてしまうことすら起こっている現実と重なって見えたのです。

臨床場面で多々遭遇するのが
結果として起こっている言動そのものを切り取って
「どうしたらよいのか」対応方法を検討する。という思考です。

それだけ、切実に困っているのだとは思いますが
本当は、結果として起こっている言動に反映されている
認知症のある方の能力と障害と特性を把握できるように観察することが重要なのです。

結果として起こっている言動に反映されている
能力と障害と特性を把握できれば
どう対応したらよいのかは、自ずと浮かび上がってきます。

どうしたらよいのか、わからないのは
実は、評価・アセスメント(言動に反映されている能力と障害と特性を把握)ができていないから
だとしたら、評価・アセスメントをすればよいだけです。

評価・アセスメントというのは
バッテリーを使用することにとどまりません。
最も重要なのは観察です。

ですが
知識がなければ観察できない。
「見れども観えず」「聞けども聴けず」になってしまいます。

それは、私たちの側の問題です。

私たちは
そうとは知らずに
善かれと思って
逆効果になるようなことすらしてしまう恐れがある
現に起こっているのだという現状に警鐘を鳴らし
現状を改善するための提案をしていきたいと考えています。

もちろん、困難なことはたくさんあります。

けれど
私たちの側の問題なら
私たちが変わることによって
異なる現実を目にすることができる

そう確信しています。

↓ こちらが過去に書いたナウシカの記事です。

 

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FMおだわらに出演

FMおだわらに出演しました。
11月6日(水)と13日(水)の16:30〜16:40に放送される
「井口健一郎の 市民を介護で困らせない ミンナの介護」という番組です。

https://fm-odawara.com

サイマルラジオでもお聞きいただけるとのことです。

 

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