検討の順序

認知症のある方の大声や不穏や訴えには必然がある。
(理由や原因ではなくて)

その必然を認知症のある方が語れるように援助するのではなくて
表面的にしなくなるように。という意図のもとに
褒めたり優しくしたり笑わせたりするのは
適切なことなのでしょうか?
すごく失礼なことなのではないでしょうか?

もちろん、その時その場の状況によっては
優先順位というものがあると思いますが
(そして暮らしに密着した場面であればあるほど
暮らしを円滑に回すということが要請されると思いますが)
それは別の話です。

混同して検討するから援助する人も認知症のある方も混乱してしまう。
そうすると悪循環になってしまいます。

いったんは
状況とは別個に
認知症のある方自身の能力と困難と特性とを把握した上で
大声や不穏や訴えというカタチの表現があった状況との相互作用について検討する。

そうすると、
認知症のある方に何が起こっているのか、
どう対応したら
認知症のある方の能力を合理的に発揮する援助ができるか
ということが観えてきます。

状況が要請する優先順位と
認知症のある方の能力発揮との兼ね合いについては
それを終えてから検討すれば整理しやすくなります。

「一生懸命優しくして褒めているのに効果がない」
と困っている人はきっとたくさんいると思います。
(私にしたら、「!」だし、だからなのよと言いたい気持ちもあるけど)

それは
あなたの優しさが足りないわけではないし
褒め方が足りないわけでもない。
検討の方向性と順位と、そもそもの前提が違う方向を向いていた
(向かされていた)だけ

だとしたら、違う前提のもとで、違う検討と対応をすればいいだけ
そうしたら
同じ認知症のある方なのに、今までとは全然違う現実が観えてくる
それは信頼をベースにした現実

安易な道ではないから
今までとは別の苦しさ辛さもあるけど
選んだ人には、今までの方法論との違いが明確に認識できるようになる

  

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