Category: 工夫のひきだし あれやこれ

ご家族との面談で工夫していること

コロナ渦のため
ご家族の方と直接お会いして
状態をご説明する機会は激減しましたが
どうしてもということは、やはりあります。

そのような時には工夫をしています。

言葉だけではなく
視覚情報を活用して伝える
イメージを伝える
リアルな実感を伝える
ということです。

一生懸命なご家族ほど
時に職員との行き違いがあったり
「理解不十分」と言われてしまうことも起こります。
そうやって職員が判断してしまうと悪循環になってしまいます。

ご家族にとっては
認知症のある方のお世話は初めての体験で
言葉での説明だけではイメージができない
ことが多々あります。

ましてや
コロナ禍で面会の機会がないので
ご家族がご本人と接する機会がない
体験を共有できない状態です。
体験を共有できないままに言葉で状態説明して
リアルに実感を伴って理解してほしいというのは高望みだと思います。

ご家族の側から
「こんな情報提供があれば私だって理解しやすいんです」とは言ってくれません。
心理的に遠慮があるものですし
ご家族自体、欲しい情報を求めてはいても
具体的にピンポイントではわからないし、言語化できない
だから、ご家族も困っているんです。

逆に言えば
状態の共有化の可能性がある
ご家族の理解改善の可能性がある
ということでもあります。

ポイントを絞って
介入場面の動画を撮影してみていただきます。
食べているものも写真撮影して
「今はこちらをこんな介助をして〇〇分で食べ終わっています」と伝えます。
実際に食べている栄養補助食品の実物や
実際に使用しているスプーン、コップ類の実物を見ていただきます。

食べ方に関する
障害と能力を説明します。
ここを明確に説明できると
入院前にご自宅でお世話していたご家族であれば
その時の困難と通じる部分があるので
「あぁ」と納得してもらえます。

逆に
ご家族から「こんなことがあった」と言われた時に
その場面の意味を私たちが実感できる必要があります。
その困りごとにどんな障害と能力と特性が反映されていたのか
私たちがリアルに実感できることが必要です。

ご本人の状態を的確に把握できていれば
必ず起こった場面をリアルにイメージできるものです。

そして
私たちがリアルにイメージできたかどうかということが
ご家族に伝わっているということです。
暗黙のうちに。

ご家族との面接、状態説明も
コミュニケーションの一環です。

ご家族にはご家族の何らかの必然があって
職員側から見ると結果として「理解不十分」な状態に見える
と考えています。

よくあるのは
ご家族が
「(この病院・施設は)本当にちゃんとお世話してくれているのか?」という
内心の疑念を払拭できていないけれどそこは言えない
というケースです。

こちらが工夫した説明、準備を伴う説明をするということは
同時に、ご本人にもきちんと対応していますということも
暗に伝えることができます。

普段、ご本人に的確な対応をしていなければ
ご家族への説明も曖昧で抽象的総論的になるものですが
具体的でピンポイントであれば説得力が違ってきます。

そうすると
それだけで一気に形勢逆転し信頼感を表明してくださることも多々あります。
ご家族もきっと安心されるのでしょうし
理解不十分に見えていたご家族の必然が現れてきます。

そこをこちらが感受できれば
今後のコミュニケーションも一層スムーズとなります。

もう一つ
ご家族との面接の席で私が必ず実行していることがあります。

それは
ご家族にしかわからない、
ご本人の得意分野・好きなこと・趣味をお尋ねする
ということです。

尋ね方にも工夫しています。
具体的に、私が遭遇したご本人のエピソードを伝えてから
尋ねるようにしています。

辛い時期を過ごしているご家族に
総論的抽象的一般的に「趣味を教えてください」と尋ねても
生き生きとしたエピソードを思い出すことは難しいものです。

具体的なエピソードをもとに尋ねれば
(前提としてお互いが共有体験をしているので)
具体的な生き生きとしたエピソードとして思い出しやすくなるものです。

ご家族が教えてくださったエピソードは
リハ場面で参考になり活用できます。
必ず記録に残し、可能な限り直接看護介護職員とも話して共有します。

ご家族の情報、ご家族との暮らしが
ご本人の今とこれからを支えられたということを
ご家族にも機会を見つけてフィードバックもしています。

面接の場面では
厳しい現実をお伝えしなければならないこともありますが
その厳しさも含めて面接の場が豊かになるように
ご家族もご都合をやりくりされて面接に来られるのですから
一方的に話を聞かされたとか
説得されたといった感情を抱いてお帰りになることのないように

Occupationを武器とする私にできる工夫を実践しています。

 

 

 

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口腔ケアも再認を活用

口腔ケアをする時に
「口を開けてくれない」
「歯で指を噛まれてしまう」
というケースは多々あります。

そうすると
たいていの人は
最初は丁寧に説明したり対応しても
最終的には強引に口の中に歯ブラシを入れたり
(だから十分なケアができない)
口腔ケアそのものを諦めてしまいがちです。

安易に
開口してくれない=Kポイント刺激して開口を促す
とパターン化した対応をしていると
指を噛まれてしまいます。

口腔ケアも食事介助と同じで
環境適応の再学習を口腔ケアという場面でおこなっている
という認識に立てば
認知症のある方がどのように説明を感受し認識し適用しようとしているのか
ということを観察・洞察しようという意識が働きます。

長い文章での説明は理解できなかったとしても
目の前で歯ブラシを見せ
歯ブラシを横に数回動かすという動作を見せて「歯磨き」を伝え
歯の一部を優しく数回ブラッシングするという体験を通して「歯磨き」を伝えると
「歯を磨いてもらう」ことを再認できるので開口してくれます。

体験を通して再認できるという能力を活用します。

歯磨きの再認が目的なので
あくまでも優しくそっとブラッシングを続け
だんだんと歯ブラシを奥歯に持っていき
奥歯の上から裏側へと歯ブラシを動かします。
ここまで受け入れてもらえれば
歯ブラシで歯の裏側をブラッシングさせてもらえます。

開口に協力してもらえるので
きちんと口腔内の確認もできます。

口腔ケアが手段の目的化で終わらないように
歯磨きや口腔内清拭をすることが目的ではなく
歯磨きや口腔内清拭をすることによって口腔内の衛生環境を保つことが目的
なのだということを忘れないようにしたいものです。

口腔ケアは疎かになりやすい部分でもあります。
ケアの実行という意味でも
ケアの質の担保という意味でも。

口腔ケアを介助者が一方的にするのではなく
認知症のある方と協働して行っている人は
認知症のある方の能力をまざまざと感じていると思います。

 

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食具の工夫:介助

通常は普通のスプーンで介助しますが
場合によっては、全介助でも異なる食具を使うこともあります。

写真上の赤いスプーンのように
幅が狭くて浅いスプーンを使ったり
箸やシリンジで1ccずつ介助したこともあります。

認知症のある方や生活期にある方は
口腔内にちょっとした困難を抱えていることが多く
ちょっとした困難をちょっとした困難のまま
食べられるように維持していくことが大事だと考えています。

ところが、現実には、ちょっとした困難を観察・洞察できず
低栄養・脱水を回避するために結果として
「食べることの援助」ではなく「食べさせる」ことになりがちです。
そこから誤介助誤学習の悪循環に陥ってしまいがちです。

開口しない、ためこむ、抵抗するなど食べようとしなくなった場合に
単にスプーンでなんとか食べさせようと介助をすることは
ネガティブな体験の再認の強化になってしまい
食べることの再学習を阻害してしまいます。

誤介助誤学習の悪循環から抜け出すためには
まず、介助を変えることです。
その一つとして、スプーン、食具を変えます。


シリンジで液体の栄養補助食品を介助したり


液体の栄養補助食品をストローで摂取してもらったり


箸で栄養補助食品のゼリーやソフト食を介助します。

「ラクに食べられた」体験ができるということは
ポジティブな体験の再認の強化にもつながります。

重度の認知症のある方でも再認できる方は非常に多くいます。
ADLは体験を通して再認を促しやすい場面でもあり
特に「食べる」ことは究極の手続記憶ですから
毎回の食事介助が再認の促しの場面になっているとも言えます。

ここで気をつけていただきたいことは
再認はポジティブにもネガティブにもどちらにも働く
ということです。

現状では
善かれと思って
でも知識と技術が伴わない、観察と洞察が不十分な場合に
結果として毎回の食事介助でネガティブな再認の強化をしている
とも言えます。

この悪循環から抜け出すために
「ラクに食べられた」というポジティブな再認を促すために
食環境としての食具を変えます。

対応が適切であれば
そのうちに開口がスムーズになってきますから
その段階で通常のスプーンに切り替えていきます。

介入直後から食べ方の改善を実感できますが
どんな人にでも目に見えてわかるくらいに
食べ方が改善するには1〜2週間かかります。
その後通常の介助に移行できるまでに
もう2週間ほどかかることが多いです。

その間、ご本人が余分な苦労をすることになってしまうので
「予防にまさるものなし」
問題が表面化する前の段階で
(食事介助に困難も負担も感じていない段階から)
適切なスプーン操作
喉頭の完全挙上を必ず視覚的に確認しながら
食事介助してほしいと切に願っています。

「口を開けてくれない」
「ためこんで飲み込んでくれない」
「食べるのを嫌がる」
というのは、結果として表面的に起こっている事象に過ぎません。
ここだけ切り取って「さて、どうしたら?」と考えても答えは出ません。
まずは、それらに反映されている食べ方をきちんと観察することです。

摂食・嚥下5相にそって
食べ方を観察・洞察すれば
目の前にいる方に何が起こっていたのかがわかる。

だから、どうしたら良いのか
どのような食形態・食具・介助方法・場面設定をしたら良いのか
がわかる。

それらは自然と浮かび上がってくるものです。

考えることではないのです。

観察・洞察の結果
必然として導き出されるものなので
明確に浮かび上がってきます。

明確化できない時には考えてはいけません。

何が起こっていたのか、という観察・洞察が曖昧だから
明確化できないのですから
どうしたら良いのか考えるのではなくて
目の前に起こっていることをもう一度観察し直すことに
立ち戻れば良いのです。

 

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スプーンの工夫:自力摂取

 

今から10年以上も前になりますが
食事が終わった方の手指を見た時の衝撃を忘れられません。

「このスプーンが重いのよ」と
通常使用している普通のスプーンの重さを訴えられた私は
スプーンを把持していた右手を確認して
くっきりとスプーンの跡がついていたのを見て驚きました。

その方は
特に片麻痺があるわけでもなく
外傷や末梢神経障害があるわけでもありませんでした。

こんなに力を入れて食べていたんだ。。。
と思うと胸がいっぱいになりました。

自力摂取できる方の場合
よっぽど食べこぼしが多いとか
時間がかかるといったことがないと
スプーンをどんな風に把持しているのか
あまり気にされることがないのではないでしょうか。

OTならぜひ一度はご確認いただきたいものです。

重度の認知症のある方でも
なんとか自力摂取しようとさまざまな把持の工夫を見てとれます。
把持の低下ではなく、工夫の意図が反映されています。

ひとつには
認知症のある方は、オーラルジスキネジアがある場合も多いのですが
自力摂取できている時には、オーラルジスキネジアによる困難は目立ちません。

ところが
食事に介助が必要になると
オーラルジスキネジアによる困難が一気に表面化します。
ものすごく介助がしづらくなります。
オーラルジスキネジアという認識ができなければ
「どうしてちゃんと食べてくれないの?」と思ってしまうかもしれません。

方策は2つ
ひとつは、できるだけ長く自力摂取できるように
スプーンを工夫すること
もうひとつは、食べ方をきちんと観察・洞察して
適切に食事介助ができるようになることです。

でも、こちらは本当に難しい。
食べ方を摂食・嚥下5相にそって観察することができない
それぞれにどのような能力と困難が反映されているのかを洞察することができずに
「ためこんでしまう」「飲み込んでくれない」「口を開けてくれない」
といった結果として起こっている表面的な事象しか見ていない人の方が
圧倒的に多いのが現状なのです。

そして食べ方の観察・洞察ができたとしても
改善していくためには焦らず辛抱強く
その時々の能力発揮を援助できることが必要ですが
そのような対応ができる人はまだまだ少ないのが現状です。

だったら、スプーンを工夫する方がまだ簡単です。
食べられるようになったか、ならないかが明白だからです。
手指に過剰に力を入れなくても
スプーンを把持できるように工夫する。
オーラルジスキネジアがある方もない方も
できるだけ長くスムーズに安全に自力摂取できるようになります。

市販のスプーンで対応できることもあるでしょうけれど
市販のスプーンは大きくて重くて
かえって扱いにくいものです。

軽くて把持しやすいスプーン
できるだけ長く自力摂取できるように
OT の腕の見せ所だと思います。

ただし
本当に予防的対応ができた場合には
皮肉なことに問題を未然に完璧に防いでしまったが故に
困りごとが起こらないのですから
周囲の人に何が起こっていたのかを理解してもらえないかもしれません。

私は村上春樹の「1Q84」に出てきた
「説明しなくちゃわからないってことは
 説明したってわからないってことだ」
と言う言葉に大きくうなづいたものですが
仕方ないことも世の中にはあるんです。
対象者の利益のために尽力するのが私の仕事であって
誰かに理解してもらうのが仕事ではないですから。

また
認知症のある方あるあるですが
新規事象への対応困難な故に
使い慣れているスプーンの方が良いと言うケースもよくあります。

スプーンを落とすことがなくなった
食べこぼしが激減した
という「事実」があるにもかかわらず
「(適合良好な)このスプーンは食べにくい」
と言いますし
その言葉を事実と照合せずに本人の希望だからと鵜呑みにして
「前のスプーンの方が良いのでは?」
と言ってくるスタッフが出てきたりもします。。。

スタッフには事実と照合することを促すために
「でも前のスプーンだと食事中に何回もスプーンを落としてたけど
このスプーンになってからは1回もスプーンを落としてない」
「前のスプーンでは食べこぼしが多かったけど
このスプーンになってからは食べこぼしは付着程度に過ぎない」
「本人には1ヶ月だけ試しに使ってみてと言ってる」
などと伝えるようにしています。

認知症のある方も
だんだんと新しいスプーンになじんでくるので
そうすれば「このスプーンは嫌」とは言わなくなるし
スタッフも疑問を呈することもなくなり
まるで最初からこのスプーンを使っていたかのように
当たり前になってきます。

そのためにも
私たちOTとしては、
本当に適合が最高なスプーンを
個々の方それぞれにオーダーメイドで作れるように
自身の技術を高めることと
知識のブラッシュアップを図ることが
OTの責務なんじゃないかなと考えています。

 

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能力発揮は状況によりけり

能力発揮は状況によりけり
だから、場面設定の工夫や介助の仕方、声かけに工夫が必要なのであって
決して介助者の思う通りに認知症のある方を動かすためではありません。

たとえば
私は、ちぎり絵では和紙をタオルの上に1枚ずつあらかじめ置く
という工夫をしています。

ほんの一手間ですが
このような場面設定をすることで
1)手指の巧緻性が低下している方でも
  和紙を1枚ずつつまみ上げることが容易となる
2)和紙の微妙な色合いの変化を明確に認識しやすくなる
というメリットがあります。

和紙を缶の中に入れたままで提供するだけでは
ちぎり絵を行うことができない方もいます。

場面設定がその方に適切かどうかを検討・吟味することなく
「ちぎり絵の遂行不可」という判断
「和紙を1枚ずつ取って」という指示理解不可という判断
は、拙速であり、間違いであり、大変大きな問題です。

こちらをご覧になれば、お分かりのとおり
ナスの右側は濃い色の和紙を貼り
左側は明るい色の和紙を貼っています。
同じ左側でも、上の方は濃く、下の方は薄い色を選んでいます。

ナスを立体的に光と影や色の微妙な違いや濃淡を意識して
貼っていることが窺えます。

これほどの能力を発揮できるか、できないかが
和紙の提供の仕方という場面設定によって異なってくる。

能力は状況によりけり発揮される所以であり
場面設定の工夫が必要な所以でもあります。

場面設定の工夫次第で
認知機能障害が低下したとしても楽しめるように
能力と特性の発揮を援助することができるかできないかに関わってきます。

関連してこちらの記事もご参照ください。

「ちぎり絵の工夫(1)タオル」
「塗り絵」と「ちぎり絵」の違い:共通点
「塗り絵」と「ちぎり絵」の違い

 

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リハサマリーの工夫

記憶の連続性の低下が見落とされている

当院に入院される方は
施設やご自宅からといろいろです。

ご自宅から入院される方の場合では
ケアマネさんは、ほぼ100%に近い形で在宅サマリーを送ってくれます。
何らかの理由で他の医療機関に入院されていた方の場合では
病院のリハスタッフからは、どの病院であっても
ほぼ100%、サマリーを送ってもらえます。
激務の中、本当に頭が下がります。
 
一方、施設から入所される方の場合では
老健から来られる方でサマリーをいただける場合は少ないのが現状です。
病状改善した患者さんが当院から老健に入所されるにあたって、
こちらからサマリーを送ってもお礼状が来なかったり
その老健から他の方が当院に入院される時に、
リハサマリーが送られてこないこともあります。。。
まぁ、そういうところなんだと思うだけですけど。

でも、サマリーを送ってくださる老健も少数ながらちゃんとあって
本当にありがたい限りです。

そんなわけで
私も可能な限り、リハサマリーを送るようにしています。

病状改善し、当院を退院する時には
退院先が老健であれ、特養であれ、グループホームであれ、在宅であれ
退院先を問わずにサマリーを記載します。

一方、転倒骨折やCVA発症などで他院に転院することもあります。
そのような時にもリハサマリーを送っています。

転倒骨折であれば、骨折前の歩容や移動能力については
転院先のリハスタッフが欲しい情報の一つだと思いますし
転院先での認知症のある方へのリハが少しでも進展するように
どのような声かけであれば理解しやすいのか
混乱せずに済むように、回避すべき場面はどんな場面か
会話の糸口やAct.の参考になるように、
その方が好きなこと、若い頃の職業や趣味、得意なことや好きな歌や歌手名を伝えたり
こちらでの実践や対応の工夫を記載するようにしています。

また、リハサマリーを受け取った時にちょっとした工夫もしています。
お礼状をすぐに出すのではなくて、1週間くらい経ってから
直近のご様子も含めて伝えるようにしています。

私だったら、元気かな?頑張っているかな?と心配だし
そんなコメントをもらえたら、やっぱり嬉しいですし。

専門職がどんどん増え、対象者が利用するサービスが多様化している中にあって
連携のキーワードの一つが情報共有だと思います。

でも、連携のための連携にならないように
対象者のリハが進展するようにという本来の目的を忘れないように
気をつけています。

関連記事
「伝達するときは具体的に/意味も添えて」もご参照ください。

 

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「あそこへ行く!」対応とそのココロ

前の記事「あそこへ行く!」の答え、
どう対応するのか、そして、その解説です。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「あそこの向こうにある郵便局に行くんだ!」

 郵便局に行こうとしていたんですね?
 郵便局に行って何をしたいんですか?

「郵便局には〇〇さんがいてね。
 前に〇〇さんのことをいろいろお世話したんだよ。

 〇〇さんに言えばちゃんとやってくれる。
 洋服がたくさんあるんだ。」

 〇〇さんにちゃんとやって欲しいことがあるんですね。
 (両手を太ももの下に入れているのを見て)
 ところで、今、寒いですか?

「いや、寒くはないんだけどね、
 朝方寒くなったら嫌だから服を取りに行こうと思って」

 服を取りに行きたかったんですね。
 それでは、洋服のあるところにご案内します。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 上着は、その方のお部屋のベッドの上にちゃんと畳んで置いてありました。
 その後上着を車椅子の後ろにかけて食堂に戻りましたが
 立ち上がることはありませんでした。

 

いかがでしたか?

それでは、私が何を意図して何をしていたのか
解説をしていきます。

この方は、最初から「手段(方法)の言葉」を使っています。

 「あそこに行く!」

あそこに行って、何をしたいか ということは言っていません。
そこで、まず最初に目的を尋ね返しました。

  あそこに行って何をしたいんですか?

それに対する答えが
「あそこの向こうにある郵便局に行くんだ!」と
もう一度、「手段(方法)の言葉」で答えられました。

そこで、再度、目的を尋ね返しました。

  郵便局に行きたいたんですね?
  郵便局に行って何をするんですか?

  ここは、口調に気をつけないと。
  詰問しているような口調にならないように気をつけながら
  語尾は小首をかしげるようにして尋ねました。

そこで、ようやく、この方がしたいことを答えてくれました。

  〇〇さんに言えばちゃんとやってくれる。
  洋服がたくさんあるんだ。

ちゃんとやってほしい。
その気持ちを受け止めたことを言葉にして伝えます。

  〇〇さんにちゃんとしてほしいことがあるんですね。

何をちゃんとして欲しいのか、尋ねてみないとわかりません。
洋服に関係あることだと言っています。

ここでその方の様子を確認すると、両手を太ももの下に入れています。
この方は寒がりだし、両手を太ももの下に入れてるのは寒いからかな?
と思って具体的に尋ねてみました。
イマ、ココでのその方の感覚を確認する言葉です。

  ところで、今、寒いですか?

ここで、ようやく 目的の言葉 が出てきました。

「いや、寒くはないんだけどね、
 朝方寒くなったら嫌だから服を取りに行こうと思って」

この方が
あそこに行きたかった
郵便局に行きたかった
本当の理由は、上着を手元に置いておきたかった
ということがわかりました。

このように
認知症のある方が
何かしたいと思った時に
直接的にしたいこと(目的)を言葉にせずに
したいことを達成するための手段(方法)の言葉で表現することは
よくよくあります。

そのことを職員が認識せずに
表現された言葉だけを切り取って
「あそこへ行きたい」
「郵便局へ行きたい」と言われた時に
「郵便局なんてここにはない」
「今は寒いから郵便局には出かけないほうがいい」
「あそこはパントリーでその向こうは廊下。よく見て」
「そんなことより、お茶でもいかが?」と言ったり
あるいは
「じゃあ、あそこへ行ってみましょう」と車椅子を押して行って
「郵便局はありませんよね?」などと言っても
かえって大声で怒鳴られまくって立ち上がり続けて
ほとほと困り果ててしまう。。。ということも現場あるあるです。

でも、よくよく考えてみて下さい。

上記のような職員の対応は
「立っちゃダメ」「立たないで」と言われても、
それでも、なおかつ

どうしても郵便局へ行きたいと思う、あなたにとっての必然を教えて下さい。
ではなくて
  あなたが何をしたいのかは感知しない
  あなたの言っていることはおかしなことだ
  おかしなことを言っているとわかってね
と言っているのと同じなんです。

だから
「やっぱりあんたは私の話を聞いてくれないじゃないか」
「だから〇〇さんじゃなきゃダメなんだ」
「郵便局に行くって言ってるのに違うところに連れてきただろう」
「なんでこんなところに連れてきたんだ!」
「そうやって私を言いくるめようとして!」
「私のことをバカだと思っているんでしょう!」
と怒り出してしまう。。。

それに対して
この方は最近怒りっぽいから認知症が進行したのかな?と
認知症のせいにして、自身の関与を吟味検討することなく終わってしまう。。。

でも
この方の怒りはもっともなこと、正当な怒りではないでしょうか?

この方が本当は何をしたいと思っているのか
困っていることは何なのか
答えることができるのは、その方だけ
対象者の方だけです。

対象者の方は答えている
答えを聴くためには工夫が必要
です。
私たちは聴けている?

 

答えを聴くために必要なのは
知識の明確な認識であり、
その知識をもとにした観察・洞察であり、
自身の意図を的確に実現できる技術です。

 

詳細は
「声かけの工夫の考え方」
に説明してありますので、ぜひご参照ください。

この記事で説明している
「手段(方法)の言葉と目的の言葉」を理解しておくと
認知症のある方とのコミュニケーションの質が上がり
ケアの質、対応の工夫の質が格段に上がると思います。
(ただし、適切に実践できるためには反復練習が必須です)

もうひとつ
大切なことは「声」です。
「何」を言うか考えても
口調に無頓着だったりすると
認知症のある方は口調のキツさに反応して怒ってしまうことがあります。

認知症のある方への声かけ、コミュニケーションにおいて
What、言葉だけでなく
How、声もcontrol して選択しながら関与できることが大切です。

認知症のある方の答えを聞いているようで本当には聴かずに
表面的な困りごとをどうやって収めるのか考える風潮もあります。
もちろん、私たちの手は2本しかないから
気持ちがあっても収める、しのぐしかない時だってあります。
そのような時には、しのぐ自覚のもとに正々堂々としのげば良いと思います。
ただし、決して「しのいでいることと適切な対応の混同をしない」ことが重要です。
だって、違うんですから。

今はどの職種も忙しい。
時間も人手も限りがあります。
だからと言って
事実と内心の要請とを混同するから話がややこしくなってしまいます。
課題解決において、この混同も現場あるあるではないですか?

本当に適切な対応は時間もかかりません。
適切な食事介助をすれば15~20分程度の通常時間内で食べられるようになるのに
適切なスプーン操作ができないから
対象者の食べるチカラが混乱・低下し、
結果として食事に要する時間が40分もかかってしまう。。。

同じコトが違うカタチで
認知症のある方への対応全般に関しても起こっているだけです。

まず、考えるべきは適切な対応、食事介助ができることであって
それは可能なのだということを実践し伝えることが
このサイトでの役目のひとつだと考えています。

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連携について:実践的な考え方と工夫

オミアシヲアゲテクダサイ

多職種連携、チームアプローチは
古くて新しい課題
私が学生の頃から課題として取り上げられていました。

作業療法は、
確かにさまざまな知見を集積・発展してきたと感じています。
一方で、本質的な課題ほど
私が学生の頃と比べてあまり改善が為されていないように感じています。

例えば
目標設定について
評価について(検査やバッテリーではなく状態像把握という意味)
多職種連携、チームアプローチについて

目標を目標というカタチで設定できず目的や治療内容と混同していたり
検査やバッテリーをとっても、
結果を対応に活用せずに評価と乖離した実践をしていたり
対象者のための連携ではなくて連携のための連携にすり替わっていたり。。。
 
就職したての作業療法士が困惑し
先輩に相談しても本心から納得できるような援助が得られず
提示された表面的な対応をやってみるしかない
そしてあまり効果がないにもかかわらず
代替案がないのでなんだかなぁと思いつつも
なんとなく口を濁してしまう以外の手が見つからない。。。
実習生や新卒に指導する時にも
実は内心困惑しながら指導しているうちに
数年経つと困惑すら感じないようになってしまう。。。
といった状況が昔も今も変わらずあるんじゃないかなぁ。。。?

私は臨床家として
対象者の役に立てるようになりたいと必死になって考えてきました。
良いと言われたものは必ず自分で実践して
どこがどう良くて
どこがどう使えないのか
事実に即して具体的に考えながら
抽象化・言語化するという過程を実践してきました。

それらについては
講演や論文という形でも世に問い続けてきましたが
総まとめとして別の形でもまとめてありますので
よかったらご参照ください。

目標設定について

関与しながらの観察について

今回、多職種連携・チームアプローチについて
実践的な考え方と工夫について概観できるように連載記事を書きました。

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連携について

1 飲みニュケーションでは連携の問題を改善できない
2 プロのチームスポーツに学ぶ
3 連携という抽象論ではなく具体的に改善していく
4 情報伝達において前提要件を認識する
5 看護介護職は変則交代勤務
6 情報伝達の工夫:使う場所に情報提供
7 対象者が変われば職員も変わる
8 そもそも何のための連携?
9 たったひとりでも変わる意義

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日々の実践を高め深めるための臨床家としての提言です。

 

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