Category: 工夫のひきだし あれやこれ

能力発揮は状況によりけり

能力発揮は状況によりけり
だから、場面設定の工夫や介助の仕方、声かけに工夫が必要なのであって
決して介助者の思う通りに認知症のある方を動かすためではありません。

たとえば
私は、ちぎり絵では和紙をタオルの上に1枚ずつあらかじめ置く
という工夫をしています。

ほんの一手間ですが
このような場面設定をすることで
1)手指の巧緻性が低下している方でも
  和紙を1枚ずつつまみ上げることが容易となる
2)和紙の微妙な色合いの変化を明確に認識しやすくなる
というメリットがあります。

和紙を缶の中に入れたままで提供するだけでは
ちぎり絵を行うことができない方もいます。

場面設定がその方に適切かどうかを検討・吟味することなく
「ちぎり絵の遂行不可」という判断
「和紙を1枚ずつ取って」という指示理解不可という判断
は、拙速であり、間違いであり、大変大きな問題です。

こちらをご覧になれば、お分かりのとおり
ナスの右側は濃い色の和紙を貼り
左側は明るい色の和紙を貼っています。
同じ左側でも、上の方は濃く、下の方は薄い色を選んでいます。

ナスを立体的に光と影や色の微妙な違いや濃淡を意識して
貼っていることが窺えます。

これほどの能力を発揮できるか、できないかが
和紙の提供の仕方という場面設定によって異なってくる。

能力は状況によりけり発揮される所以であり
場面設定の工夫が必要な所以でもあります。

場面設定の工夫次第で
認知機能障害が低下したとしても楽しめるように
能力と特性の発揮を援助することができるかできないかに関わってきます。

関連してこちらの記事もご参照ください。

「ちぎり絵の工夫(1)タオル」
「塗り絵」と「ちぎり絵」の違い:共通点
「塗り絵」と「ちぎり絵」の違い

 

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リハサマリーの工夫

記憶の連続性の低下が見落とされている

当院に入院される方は
施設やご自宅からといろいろです。

ご自宅から入院される方の場合では
ケアマネさんは、ほぼ100%に近い形で在宅サマリーを送ってくれます。
何らかの理由で他の医療機関に入院されていた方の場合では
病院のリハスタッフからは、どの病院であっても
ほぼ100%、サマリーを送ってもらえます。
激務の中、本当に頭が下がります。
 
一方、施設から入所される方の場合では
老健から来られる方でサマリーをいただける場合は少ないのが現状です。
病状改善した患者さんが当院から老健に入所されるにあたって、
こちらからサマリーを送ってもお礼状が来なかったり
その老健から他の方が当院に入院される時に、
リハサマリーが送られてこないこともあります。。。
まぁ、そういうところなんだと思うだけですけど。

でも、サマリーを送ってくださる老健も少数ながらちゃんとあって
本当にありがたい限りです。

そんなわけで
私も可能な限り、リハサマリーを送るようにしています。

病状改善し、当院を退院する時には
退院先が老健であれ、特養であれ、グループホームであれ、在宅であれ
退院先を問わずにサマリーを記載します。

一方、転倒骨折やCVA発症などで他院に転院することもあります。
そのような時にもリハサマリーを送っています。

転倒骨折であれば、骨折前の歩容や移動能力については
転院先のリハスタッフが欲しい情報の一つだと思いますし
転院先での認知症のある方へのリハが少しでも進展するように
どのような声かけであれば理解しやすいのか
混乱せずに済むように、回避すべき場面はどんな場面か
会話の糸口やAct.の参考になるように、
その方が好きなこと、若い頃の職業や趣味、得意なことや好きな歌や歌手名を伝えたり
こちらでの実践や対応の工夫を記載するようにしています。

また、リハサマリーを受け取った時にちょっとした工夫もしています。
お礼状をすぐに出すのではなくて、1週間くらい経ってから
直近のご様子も含めて伝えるようにしています。

私だったら、元気かな?頑張っているかな?と心配だし
そんなコメントをもらえたら、やっぱり嬉しいですし。

専門職がどんどん増え、対象者が利用するサービスが多様化している中にあって
連携のキーワードの一つが情報共有だと思います。

でも、連携のための連携にならないように
対象者のリハが進展するようにという本来の目的を忘れないように
気をつけています。

関連記事
「伝達するときは具体的に/意味も添えて」もご参照ください。

 

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「あそこへ行く!」対応とそのココロ

前の記事「あそこへ行く!」の答え、
どう対応するのか、そして、その解説です。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「あそこの向こうにある郵便局に行くんだ!」

 郵便局に行こうとしていたんですね?
 郵便局に行って何をしたいんですか?

「郵便局には〇〇さんがいてね。
 前に〇〇さんのことをいろいろお世話したんだよ。

 〇〇さんに言えばちゃんとやってくれる。
 洋服がたくさんあるんだ。」

 〇〇さんにちゃんとやって欲しいことがあるんですね。
 (両手を太ももの下に入れているのを見て)
 ところで、今、寒いですか?

「いや、寒くはないんだけどね、
 朝方寒くなったら嫌だから服を取りに行こうと思って」

 服を取りに行きたかったんですね。
 それでは、洋服のあるところにご案内します。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 上着は、その方のお部屋のベッドの上にちゃんと畳んで置いてありました。
 その後上着を車椅子の後ろにかけて食堂に戻りましたが
 立ち上がることはありませんでした。

 

いかがでしたか?

それでは、私が何を意図して何をしていたのか
解説をしていきます。

この方は、最初から「手段(方法)の言葉」を使っています。

 「あそこに行く!」

あそこに行って、何をしたいか ということは言っていません。
そこで、まず最初に目的を尋ね返しました。

  あそこに行って何をしたいんですか?

それに対する答えが
「あそこの向こうにある郵便局に行くんだ!」と
もう一度、「手段(方法)の言葉」で答えられました。

そこで、再度、目的を尋ね返しました。

  郵便局に行きたいたんですね?
  郵便局に行って何をするんですか?

  ここは、口調に気をつけないと。
  詰問しているような口調にならないように気をつけながら
  語尾は小首をかしげるようにして尋ねました。

そこで、ようやく、この方がしたいことを答えてくれました。

  〇〇さんに言えばちゃんとやってくれる。
  洋服がたくさんあるんだ。

ちゃんとやってほしい。
その気持ちを受け止めたことを言葉にして伝えます。

  〇〇さんにちゃんとしてほしいことがあるんですね。

何をちゃんとして欲しいのか、尋ねてみないとわかりません。
洋服に関係あることだと言っています。

ここでその方の様子を確認すると、両手を太ももの下に入れています。
この方は寒がりだし、両手を太ももの下に入れてるのは寒いからかな?
と思って具体的に尋ねてみました。
イマ、ココでのその方の感覚を確認する言葉です。

  ところで、今、寒いですか?

ここで、ようやく 目的の言葉 が出てきました。

「いや、寒くはないんだけどね、
 朝方寒くなったら嫌だから服を取りに行こうと思って」

この方が
あそこに行きたかった
郵便局に行きたかった
本当の理由は、上着を手元に置いておきたかった
ということがわかりました。

このように
認知症のある方が
何かしたいと思った時に
直接的にしたいこと(目的)を言葉にせずに
したいことを達成するための手段(方法)の言葉で表現することは
よくよくあります。

そのことを職員が認識せずに
表現された言葉だけを切り取って
「あそこへ行きたい」
「郵便局へ行きたい」と言われた時に
「郵便局なんてここにはない」
「今は寒いから郵便局には出かけないほうがいい」
「あそこはパントリーでその向こうは廊下。よく見て」
「そんなことより、お茶でもいかが?」と言ったり
あるいは
「じゃあ、あそこへ行ってみましょう」と車椅子を押して行って
「郵便局はありませんよね?」などと言っても
かえって大声で怒鳴られまくって立ち上がり続けて
ほとほと困り果ててしまう。。。ということも現場あるあるです。

でも、よくよく考えてみて下さい。

上記のような職員の対応は
「立っちゃダメ」「立たないで」と言われても、
それでも、なおかつ

どうしても郵便局へ行きたいと思う、あなたにとっての必然を教えて下さい。
ではなくて
  あなたが何をしたいのかは感知しない
  あなたの言っていることはおかしなことだ
  おかしなことを言っているとわかってね
と言っているのと同じなんです。

だから
「やっぱりあんたは私の話を聞いてくれないじゃないか」
「だから〇〇さんじゃなきゃダメなんだ」
「郵便局に行くって言ってるのに違うところに連れてきただろう」
「なんでこんなところに連れてきたんだ!」
「そうやって私を言いくるめようとして!」
「私のことをバカだと思っているんでしょう!」
と怒り出してしまう。。。

それに対して
この方は最近怒りっぽいから認知症が進行したのかな?と
認知症のせいにして、自身の関与を吟味検討することなく終わってしまう。。。

でも
この方の怒りはもっともなこと、正当な怒りではないでしょうか?

この方が本当は何をしたいと思っているのか
困っていることは何なのか
答えることができるのは、その方だけ
対象者の方だけです。

対象者の方は答えている
答えを聴くためには工夫が必要
です。
私たちは聴けている?

 

答えを聴くために必要なのは
知識の明確な認識であり、
その知識をもとにした観察・洞察であり、
自身の意図を的確に実現できる技術です。

 

詳細は
「声かけの工夫の考え方」
に説明してありますので、ぜひご参照ください。

この記事で説明している
「手段(方法)の言葉と目的の言葉」を理解しておくと
認知症のある方とのコミュニケーションの質が上がり
ケアの質、対応の工夫の質が格段に上がると思います。
(ただし、適切に実践できるためには反復練習が必須です)

もうひとつ
大切なことは「声」です。
「何」を言うか考えても
口調に無頓着だったりすると
認知症のある方は口調のキツさに反応して怒ってしまうことがあります。

認知症のある方への声かけ、コミュニケーションにおいて
What、言葉だけでなく
How、声もcontrol して選択しながら関与できることが大切です。

認知症のある方の答えを聞いているようで本当には聴かずに
表面的な困りごとをどうやって収めるのか考える風潮もあります。
もちろん、私たちの手は2本しかないから
気持ちがあっても収める、しのぐしかない時だってあります。
そのような時には、しのぐ自覚のもとに正々堂々としのげば良いと思います。
ただし、決して「しのいでいることと適切な対応の混同をしない」ことが重要です。
だって、違うんですから。

今はどの職種も忙しい。
時間も人手も限りがあります。
だからと言って
事実と内心の要請とを混同するから話がややこしくなってしまいます。
課題解決において、この混同も現場あるあるではないですか?

本当に適切な対応は時間もかかりません。
適切な食事介助をすれば15~20分程度の通常時間内で食べられるようになるのに
適切なスプーン操作ができないから
対象者の食べるチカラが混乱・低下し、
結果として食事に要する時間が40分もかかってしまう。。。

同じコトが違うカタチで
認知症のある方への対応全般に関しても起こっているだけです。

まず、考えるべきは適切な対応、食事介助ができることであって
それは可能なのだということを実践し伝えることが
このサイトでの役目のひとつだと考えています。

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連携について:実践的な考え方と工夫

オミアシヲアゲテクダサイ

多職種連携、チームアプローチは
古くて新しい課題
私が学生の頃から課題として取り上げられていました。

作業療法は、
確かにさまざまな知見を集積・発展してきたと感じています。
一方で、本質的な課題ほど
私が学生の頃と比べてあまり改善が為されていないように感じています。

例えば
目標設定について
評価について(検査やバッテリーではなく状態像把握という意味)
多職種連携、チームアプローチについて

目標を目標というカタチで設定できず目的や治療内容と混同していたり
検査やバッテリーをとっても、
結果を対応に活用せずに評価と乖離した実践をしていたり
対象者のための連携ではなくて連携のための連携にすり替わっていたり。。。
 
就職したての作業療法士が困惑し
先輩に相談しても本心から納得できるような援助が得られず
提示された表面的な対応をやってみるしかない
そしてあまり効果がないにもかかわらず
代替案がないのでなんだかなぁと思いつつも
なんとなく口を濁してしまう以外の手が見つからない。。。
実習生や新卒に指導する時にも
実は内心困惑しながら指導しているうちに
数年経つと困惑すら感じないようになってしまう。。。
といった状況が昔も今も変わらずあるんじゃないかなぁ。。。?

私は臨床家として
対象者の役に立てるようになりたいと必死になって考えてきました。
良いと言われたものは必ず自分で実践して
どこがどう良くて
どこがどう使えないのか
事実に即して具体的に考えながら
抽象化・言語化するという過程を実践してきました。

それらについては
講演や論文という形でも世に問い続けてきましたが
総まとめとして別の形でもまとめてありますので
よかったらご参照ください。

目標設定について

関与しながらの観察について

今回、多職種連携・チームアプローチについて
実践的な考え方と工夫について概観できるように連載記事を書きました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

連携について

1 飲みニュケーションでは連携の問題を改善できない
2 プロのチームスポーツに学ぶ
3 連携という抽象論ではなく具体的に改善していく
4 情報伝達において前提要件を認識する
5 看護介護職は変則交代勤務
6 情報伝達の工夫:使う場所に情報提供
7 対象者が変われば職員も変わる
8 そもそも何のための連携?
9 たったひとりでも変わる意義

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

日々の実践を高め深めるための臨床家としての提言です。

 

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「現場で本当に役立つ認知症研修会」

明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
この1年が皆様にとってますます良い年でありますように。。。

「事実の子たれよ。理論の奴隷たるなかれ。」(内村鑑三)

「書かれた医学は過去の医学である。
 目前に悩む患者の中に明日の医学の教科書の中身がある」(沖中重雄)

この二つの言葉は
私が臨床実践において大切にしている言葉でもあります。

臨床での蓄積をカタチにするために参考書的な立ち位置を目指して
2020年度に立ち上げたサイト
「OT佐藤良枝のDCゼミナール」
2021年度はコツコツと構築してきました。
2022年度はよりわかりやすく伝達するために
オンラインでの勉強会を計画しています。

その一端として
2021年3月9日(水)20:00〜20:40に
「現場で役立つ認知症研修会」をZoomにて開催します。

参加費無料
どなたでも参加できます。

「〇〇という時には△△する」
という表面的にハウツーを当てはめるような臨床思考は
「その人に寄り添ったケア」という理念と相反する在りようです。

理念は唱えているだけでは実現することはできません。

では
「その人に寄り添ったケア」という理念に沿った実践が
できるようになるためにはどうしたら良いのか

「関与しながらの観察」( Harry Stack Sullivan )
の実践によって可能となります。

まずは
認知症のある方に、その時何が起こっているのか
洞察できるようになることから始めます。

洞察できるためには
生活障害やBPSDを含めた表面的な事象に
反映されている能力と障害を観察できるようになることです。

観察できるようになるためには
知識が必要です。

第1回目の今回は
40分という限られた時間の中でも
知っていると役立つけれど、教えてもらえる機会が少ない知識について
 概念を明確化することによって観察することが可能となる
 ということをきちんとお伝えしたいと思います。
実際の現場ではどんな風に現れるのか
観察と洞察の具体例について
お伝えします。

残席わずかとなりました。
お申込をお考えの方はお早めに。

詳細・お申込・お問合せは
https://yoshiemon.info/2021/12/26/study/3565/
からどうぞ。

 

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スポンジでROM維持

私は老健で勤務している時には
スポンジやゴムといった収縮性や反発性のある素材を
さまざまな場面で活用していました。

今は精神科病院の認知症治療病棟で勤務していますが
対象患者さんは身体に障害のある方
例えば、脳血管性障害後遺症で身体に麻痺のある方もいます。

認知症治療病棟ですから
身体面のリハの実施はメインではありませんが
もともと入院している患者さんが転倒骨折をした場合も含めて
身体面のリハも行います。

その時に心がけているのは
今ここでのリハで完結することをベースにリハ実施を行うのではなくて
退院して次の施設での継続したリハが展開できるように
どのような場面設定や対応の工夫をすれば
リハが進展しやすいのかということを明確化しながら行っています。

BPSDが落ち着いていれば
老健に移行すれば、より充実したリハが行えます。
他に優先すべき事情があって老健には移行できないとなれば
退院先の施設で可能な代案を提案することも考えます。

ポジショニングもまだまだ誤解が多いのと同じように
ROM訓練にも誤解が多いのが現状で
知識と技術が伴わないと善かれと思ってやったことが
結果として逆効果になることもままあります。

脳血管性障害後遺症片麻痺によって
手指が拘縮してしまう方は大勢います。
そのような生活期の方に対して
漫然としたROM訓練が提供され、結果として逆効果になることを防ぐには
ROM訓練は行わずに、きちんとフィットしたスポンジを装着することで
ROM訓練の代替として拘縮予防・改善をすることが可能です。

リハスタッフがいない施設へ退院する場合に
比較的安全に対象者のためになることを提案できます。

正確に言うと
生活期にある方の場合に
関節を他動的に動かす時には
筋緊張を緩和しないと本来の可動域を明らかにすることができません。

適切に調整されたスポンジは
筋緊張の緩和にとても役立ちます。
筋緊張の緩和にかかる時間とエネルギーを省いて
次の段階のリハを提供しやすくなりますし
スポンジを装着するだけでも関節の可動域を維持するために役立ちます。

もちろん、前段階として適切なポジショニングは大切ですが
ポジショニングだけではできないこともあります。

スポンジ装着は
筋緊張を緩和し、拘縮を予防するだけでなく
できてしまった拘縮の悪化を予防し
拘縮による外傷を予防することもできます。
(手指を硬く握り込んでしまうことによって
 手掌に爪が食い込んでしまう等よくあります)

こんなふうにごく細い薄いスポンジでも効果があります。

タオルを巻いて握らせたり
ガーゼをはさみこむのなら
私はスポンジをお勧めします。

スポンジだから加工も容易です。

その方の手指の状態に合わせて
今の状態を否定せずに
今がより楽になるように

手指がタオルやガーゼに合わせるのではなくて
スポンジが手指に合わせてくれます。

スポンジという反発性のある素材によって
手指に力が入ってしまっている時には縮んで
手指の力が抜けた時には、膨らんで
常に手指にそって形を変えてくれます。

タオルを巻いて握ってもらうにしても
ポジショニングでも
よくあるのが、無理矢理伸ばしてるだけで
外したとたんに、ぎゅっと肘や膝や手指が屈曲してしまう
というケース。
これは百害あって一利もないので
今すぐにでもやめていただきたいものです。

適切に調整されたスポンジであれば
外しても、手指がリラックスして伸びていますし
手指に装着しただけなのに、手関節や肘関節まで緩んできます。

ウソみたいなホントの話です。
ウソだと思ったらぜひ試してみてください。
ただし、手指の最大可動域まで広げた大きさに作らないこと
そして、スポンジ装着によって手指を伸展させても
近位の手関節や肘関節を代償的に屈曲を引き起こすことのないように
スポンジを大きく作りすぎないことがポイントとなります。

作り方は、こちらをご参照ください。

また作成上の注意点は、こちらをご参照ください。

スポンジは
力を入れて潰れてしまうものだとちょっと弱いです。
ピンクのスポンジは、ダイソーさんのキッチンスポンジで作りました。
私のお気に入りのキッチンスポンジはこちら。

もし該当商品が陳列されていない時には
他の商品をちょっと触らせてもらって
しっかり反発性のある素材を探してみてください。
キッチンスポンジだけでなく、バススポンジや、洗車スポンジにも
良いものがあるかもしれません。

 

・・・・  2021/12/26追記・・・・・・・

使用する時には、ケースによっては
ガーゼでスポンジを包んで手背に固定することもありますが
衛生面を考慮して、スポンジを洗って乾燥させる時用に
すぐに置いてすぐに取り出せるように
100均で購入したものを使っています。
元々はスポンジ置きではなくて、他の何かだったと思います。
確認しました。
「ステンレス棒掛けボトルホルダー」でした。

私が欲しかったのは
1)通気性・換気性が良いもの
2)置く場所は流しの上と決まっているからそこに吊るせるもの
3)置いたり、取り出したりが1工程ですぐにできること
OTだからこそ、商品本来の使い道に限定して探すのではなく
使用時のイメージに合うものを幅広く探していくと
良いモノに巡り会えます (^^)

あと、ちょっとしたことですが
洗い替え用に予備も必ず作って看護介護スタッフに提供しますが
その時に破損や紛失を見込んで
自分用に予備を1つ作って保管しておくと
万が一、破損や紛失をした時にもすぐに追加で作り直すことができます。
自分用の予備がないと、状態確認〜大きさ決定に時間が必要です。
自分の予定と対象者の方の都合が合わないと
それだけ作成までに時間がかかってしまいますが
手元に予備があれば、予備に合わせてすぐに追加作成できます。

当然のことですが
適合させてしばらくは
装着中、装着後の手指の状態確認は必須です。
また、適合に問題がなくても、
装着して1ヶ月もすれば、効果が出て
上肢の筋緊張が緩んで当初作成したスポンジでは
良い意味で合わない=小さすぎる
ということも起こってきますので
その場合には、近位の関節の状態を確認しながら
スポンジを一回り大きく再作成することも必要となります。

 

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Activityの提供:考え方の提案

認知症のある方にActivityを提供しようとすると
いくつもの難関が待ち構えています。

それらの難関を乗り越えて
どうしたら適切なActivityを的確に提供できるのか

希望を尋ねても
希望を言えなかったり
述べた希望が認知症のために遂行困難だったり
かつての趣味活動を認知症のために行えなくなっている
ということは、よくあることです。

つまり
尋ねた希望をそのままActivityに導入することは難しい
というケースが多々あります。

認知症のある方に
希望を尋ねる意義は
その方にとって大切にしていることや
その方の特性を確認することができる
ということであって
希望を実現するだけが意義あることではない
実現するために希望を尋ねるのではないと考えています。

  ここには
  「褒めてあげることが大事」「なじみの関係」と言った
  流布している定着している考えが吟味検討不十分なまま
  導入されやすいという現状、概念の混同による誤認があると考えています。
  具体的には「常識の罠」に書きましたのでご参照ください。

希望を尋ねたら
身寄りのない一人暮らしの認知症のある方が
「遠方の実家にあるお墓参りに行きたい」
と答えた時にどうするのか?
という問いを提起しました。

現実的に病院・施設に勤務する作業療法士が
関与できることではありません。

ただし、そのように答えた
というところにその方の意義があります。
そこをもう一段さらに尋ね返すことはできます。

なぜ今お墓参りに行きたいのか
過去のお墓参りをどのようにしてきたのか
実家を離れて暮らしてきたことをどのように感じているのか

「お墓参りに行きたい」という言語化された希望の裏にある
背景・経過・状況を語れる範囲で語っていただくことで
その方の理解が深まります。

  場合によっては
  語ったことを通して
  ( 聴き手が聴き上手な場合に限定されますが )
  「お墓参りに行きたい」という希望が叶えられなくても
  納得されることもあります。

何を大切にしているのか
ものごとにどのように対処する人なのか
そこをActivity選択の検討材料にすることができます。

希望を尋ねて
実現援助可能であれば希望に沿ったActivity検討をするのもいいでしょう。
仮に実現援助不可能であったとしても希望を尋ねる意義はあります。
尋ねた希望を対応に活用する。

実現するために希望を尋ねると考えた尋ね方をするのではなくて
「あなたがあなたであることの再体験を援助するために
希望を教えてください」
という考え方の方がスッキリすると思います。
たとえ、重度の認知症があっても、答えられなかったとしても
必ず希望を尋ねることの意義を
作業療法士自身が自覚し明確にすることができます。
そして、尋ねた希望の答えを治療・対応に活用することができます。

 

それでは具体的に。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・ その方の特性を把握する      :Act.の傾向を決める      ・
・    ↓                            ・
・ 今の能力でできることを探す    :Act.の種目を決める       ・
・    ↓                                 ・
・ 今の障害から必要な配慮を明確にする:Act.の場面設定を工夫する    ・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

Activityには傾向があります。
仕事的な要素が強い、表現系、他者との協働という要素etc.
ご本人の特性もあります。
お一人で没頭したい方、他者との交流を好む方、交流のパターンetc.

ここを外さないことが肝要です。
ここを外さなければ修正を繰り返してより的確に
という試行錯誤が成立します。

希望を尋ねることの意義は
Activityの傾向を決定する段階に反映されます。

次に今できること
あまり人の手を借りずに
作業療法士の援助なしでもできることを模索します。

援助が必要なAct.を提供する場合には
援助が必要な意義を(できないから手伝うレベルの話ではなくて)
作業療法士自身が自覚・明確化している必要があります。
  例えば、補助自我的に関与することの明確化・象徴としての援助等

その過程で
必然的に障害を考慮して場面設定に配慮することになります。

詳細は
「Activity選択の考え方」をご参照ください。

 

 

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帰宅要求への対応

リハ中に帰宅要求のある方へ対して
どのように考え対処すると良いのか。という提案です。

まず、多くの人が
どうやって帰宅要求から気を逸らして
リハに集中してもらえるか考えるようですが
そうすると逆効果になってしまって
認知症のある方にも悪いし
自分自身も辛くなったりしませんか?

私は
まず、再認可否について確認しています。
その確認は、困った場面に遭遇してから行うのではなくて
普段のいろいろな関わりの中で自然に行えますから
近時記憶の連続性とか再認可否については
意図的な質問やポイントを見逃さずに
あらかじめ確認しておくと対応の幅が広がります。

さて
実際の対応ですが、下記のように
状態像によって対応を変えています。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・   ・
・                           ・
・ 1)    再認可能な方              ・
・ 2−1)再認困難だが、私との疎通を自覚できる方 ・
・ 2−2)再認困難で、私との疎通を自覚できない方 ・
・                           ・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

1)    再認可能な方
HDS-Rが1桁の方でも再認可能な方は少なくありません。
再認可能な方には、きちんと事実を説明するようにしています。
再認可能なので説明された事実を受け入れてもらえます。
「帰宅要求のある方に対して(1)」

注意点としては、受け入れやすい説明を心がける
ということでしょうか。
特に声の大きさや口調といったノンバーバルな表現に
こちらの感情が反映されやすく
また認知症のある方も反応しやすいので
少なくとも自覚的であるべきであり
できれば意識的にコントロールできると良いと思います。

 

2−1)再認困難だが、私との疎通を自覚できる方
再認困難でもきちんと私との疎通を自覚できている方には
その方にとっての切実な裏付けとなっている感情表出を
妨げないように話を聴きます。
始めは表出することに精一杯です。
表出に精一杯な時にはまず表出してもらうことを優先します。
そのうち、変化が生じます。
ちゃんと聴けていれば必ず変化を感じるものです。
表情や口調や身体の動きなどノンバーバルなところに現れます。
その変化を逃さずに「介入」をします。
どんな介入をどんな風にというところは、
その時その方の変化に応じて異なります。
関与しながら観察していれば、
その時その状況のその関係性において
どうしたら良いのかという答えを感受することができます。

 その方から「お話しちゃってごめんなさいね」と言われれば
 すぐにリハの場面を伝え何をどんな風にするのか伝えますし
 (それで済んでしまうことも多々あります)
 幾多の人生の困難を乗り越えてきたその方法を尋ねて
 答えてもらうこともあります。
 (あなたは困りごとを乗り越えてきたと暗に伝える意味がある)

 これらのやりとりを通して
 信頼「感」が醸成されることはよくあります。
 私が誰でどういう仕事かは忘れられてしまっても
 なんとなくでも頼りになる人だと思っていただける。
 いい加減なことを言ったりしたりする人ではないと思っていただける。
 それは本当に困った時に、頼るよすがとなるものでもあります。
 お互いに。

 もっと言うと
 いつか病状が進行して別の困難に遭遇した時に
 その方が別の場所で別の誰かを信頼しようとするかどうかにも
 関わってくることなのだと感じています。

 

2−2)再認困難で、私との疎通を自覚できない方
あまりにも訴えが切迫していて
こちらの声かけが耳に入らないような状態も起こり得ます。
そのような時には言動を否定すると火に油を注ぐようなことになって
逆効果となってしまいます。
認知症のある方の言動を否定せず、安全確保を最優先にして見守ります。
関与しながら観察していると必ず変化を感受することができます。
その変化を見逃さず「介入」します。
その方が感じているだろう感覚を言語化することによって
私との疎通を図ります。
こちらに注目を向けることができれば
その感覚に対応する行動に繋げます。
「イマ、ココ」という現実に戻っていただくために
感覚の表現と表現された感覚に基づく行動をきっかけにします。
ここで応じていただければ、焦らなければ
リハの場面へ誘導することが可能となります。

  ただし、ここでリハの場面設定「 何をどうするか 」が曖昧だと
  また混乱に戻ってしまうことも起こり得ます。

混乱しないで場面の切り替えに応じてもらえるためには
認知症のある方にとって明確な場面であることが必須で
ここに状態像把握が必須
能力の活用が必須という意味があります。
「帰宅要求のある方に対して(2)」

 

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