それでは、まず最初に
1)戦略的に時間稼ぎをする
:拒否なく応じていただける別のActivityに誘導して機会を待つ
ということについてご説明していきます。
認知症のある方が拒否するにはするだけの必然がある
(必然であって原因ではありません)
ここが共感できることが大切です。
スティーブ・ジョブズは「意図こそが重要」と言いましたが
まさしくその通りで
(本質を突く言葉は普遍的だと常々感じています)
私たちの側の問題解決のために認知症のある方に何かさせようとすることと
(無自覚であったとしても、
診療報酬や介護報酬上20分間何とかうまくやれているようにしなくては。
等のセラピスト側の焦りを解決しようとすることは多々ある)
認知症のある方が「たとえ認知症になったとしても自分自身は変わらない」
ということを再体験できた結果としてActivityに取り組めることは
見た目同じように見えてその実内面への働きかけのベクトルは真逆です。
そしてこの内面への関与のベクトルの向きこそが
無意識に伝わり作用していると感じています。
だから、困ることを恐れない
自分が困らないように、困ることを回避して言葉巧みに言い繕っても
その場は良いかもしれませんが
長期的にはメリットがないどころか、逆効果となってしまいます。
困っている自分に正直に向き合うことができて初めて
認知症のある方の予期不安にも共感できるようになります。
そこがスタート!
このスタート地点を間違えると自己修正ができなくなります。
経験を重ねた人の話でも、有名な人の話でも
抽象論ではいいことを話しても、具体論でいい加減な話をされると
納得できないですよね?
(神は細部に宿る。とは本当にその通りだと感じています)
そうなりたくなければ、スタート地点を揺るがせにしないことです。
人間だから諸般の事情で揺るがせてしまうことだってあるでしょうけれど
そうした自分を誤魔化さずに自覚することができれば
スタート地点に必ず戻ることができます。
くどいようですが、本当に大切で
なおかつ、臨床現場で揺るがせてしまうことあるあるなので記載しました。
そのスタート地点に立ってから
認知症のある方が拒否せずに行えそうなActivityから導入していきます。
その方の特性と能力から、〇〇というActivityが適切だろうなと判断があっても
その方が拒否されるようであれば決して無理矢理誘導したりしません。
(この記事では詳しく触れませんが、
認知症のある方の場合に「やりたいことをやってもらう」というのは
困難なことが多々あります。
詳細はこちらのブログでも過去に記載したことがあるので検索してみてください)
その代わりに
次善の策として拒否なく行えるActivityに誘導して
そのActivityの遂行の仕方を観察・洞察・確認していきます。
たとえば
ラジオ体操第一は、認知症のある方にとって
手続き記憶として保たれていることが多いものです。
できれば
オープングループで(誰でも参加可能で出入りも自由な場)
体操の場を構築しておくと
認知症のある方が集団に埋もれることもできるので
失敗が目立たない、できなくても目立たないと感じることができて
誘導が容易で拒否されることも少ないものです。
また、懐メロ鑑賞も有用です。
歌わなくていい、聞くだけでいいところがポイントです。
歌は言葉にならない感情を喚起し味わうことが可能です。
聞いたことがある、思い出せたことがあるという体験ができるので
比較的拒否されにくいActivityでもあります。
体操も懐メロ鑑賞も
カタチに残るActivityではありませんが
運動する、見る、聞くという体験も立派なActivityです。
手工芸だけがActivityではありません。
ちなみに
一昔前には、「認知症=ゲーム、レク」みたいな風潮がありましたが
進行した認知症のある方にゲームは難しいActivityとなります。
ゲームを楽しむためには
1)説明されたルールを理解する
2)理解したルールを覚えている
3)ルールに従って行動できる
という条件をクリアできて初めて楽しむことができます。
アルツハイマー型認知症では近時記憶が低下していきますから
難しいですよねぇ。。。
私が今いる病棟では風船バレーも難しかったです。
どう動くかわからない風船を目でしっかり追い続ける
ということが困難な方が多いので
風船バレーの大前提が成り立たないのです
もちろん、軽度の方やゲームによっては遂行可能なものもあるでしょうけど
作業療法士としては、どんなゲームがどんな能力を必要とするのか
作業分析ができていれば、遂行の可否についても見当がつきます。
いずれにしても
対象者の方の特性と能力と、Activityとのマッチングがポイントです。
それから、大切なことは
「あぁ良かった。できることがあった」で終わらせずに
事後の情報収集が大切。
体操や懐メロ鑑賞の場面での参加の仕方をきちんと観察・洞察していきます。
自分の判断したActivityを直接は提供していなくても
間接的に適否の判断根拠の一つとなります。
異なるActivityは異なる能力を要求するので
遂行の可否や遂行の仕方に違いは生じて当たり前ですが
同時に、メタ能力というか、下支えしている能力は通底するものなので
どのように行うのか
という部分は、その方の特性と能力の大きな判断材料となります。
そして、その方自身が
「できた!」という体験を蓄積していくと
その方に応じて
「やってみようかな?」と思う気持ちが生まれてきます。
この機会をとらえ、逃さずに、働きかけます。
そういった関与がしやすいのが並行集団です。
おそらく、身障系の病院では期せずとも並行集団というカタチで治療がなされていると思います。
同じ時間に同じ場所を共有していても
個々の人によって異なることをしている
並行集団の中に身を置くことで
いろんな人がいるな、いろんなことをやるんだな
ということを見聞きすることを体験できます。
実際には認識されにくいようですが
この期間を猶予として担保できることも大切です。
他の人がやっているActivityを眺めるようになったり
やたらセラピストと眼が合うようになったりしたら
変化の兆しです。
他の人がやっているActivityの難易度が高すぎて
対象者には難しいと思われた時にも
該当Activityの多様な側面をよく認識して
当該対象者がそのActivityのどのような側面を好んでいるのかを判断すると
その方の特性に合致していて、しかも混乱せずに遂行できるように場面設定にも工夫した
Activityを選択・提供できるようになります。
最初からピンポイントで適切なActivityを選択できなくても良いのです。
認知症のある方が拒否するに足る必然があるように
私たちにもその時それぞれでの能力の限界があります。
自分自身のその時々での能力の限界を正直に受けとめられれば
認知症のある方の気持ちの揺れを受けとめ
その時その場でのその方の遂行を協働することが可能となります。
その都度のActivityが
私たちが理解の過程にあることを認知症のある方に象徴として伝えてくれます。
適切なActivityを選択し提供することができれば
その方の良い面を良い方向に理解し受けとめた象徴としてActivityが機能します。
関与のベクトルの向きさえ間違わなければ
経験が経験として蓄積されていきます。
Occupyを取り扱い、治療的に活用する作業療法士には
言葉以外のコト、行動や体験といったコトが
表現し、伝える、伝わる、ということに関して、
もっと明敏であることが求められていると思います。
・・・
次の記事では
2)マンツーマンで生活歴を聴取する
:話をしやすいように事前の情報収集と聞き方に工夫をする
についてご説明していきます。
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