Tag: 状態把握
「よい目標が設定できる作業療法士になろう(仮)」
平成29年11月12日(日)に
作業療法総合研究所さん主催で開催される予定です。
まだ詳細は決定していませんが
速報として掲載されています。
養成校で
実習地で
必ず教えてもらう目標設定ですが
わかったようなわからないような
モヤモヤした気持ちになりませんでしたか (^^;
誰でもできそうで
案外できていないのがこの目標設定です。
老年期においてよく為される目標が
「現状維持」
「安全に移動できる」
この設定のどこがどう不適切なのか
言語化できますか?
目標と目標でないものの区別がつく
目標でないものを目標として設定できる
そうすると、その後の展開が変わってきます。
目標は対象者の目標なので
対象者とセラピストが恊働で設定することが要件ではありますが
恊働は言葉だけで為されるものではありません。
対象者のもう1つの言葉を聴き、提案することができるのは
Occupational Therapist の強みです。
重度の認知症のある方を対象にOTRとして働いているからこそ
自分の中で明確にする過程をもう1つのtaskとして行ってきたからこそ
お伝えすることができると感じています。
重度の認知症のある方とともに行ってきたOTによって
認知症でない方にも通じる普遍的なことを
(Act.設定や意味、注意点など)
ある程度の確かさをもって言えると感じています。
ありそうでないのが「目標設定」の研修会
詳細が決まりましたら
作業療法総合研究所さんのサイトに掲載される予定です。
そうしたら、こちらでもお知らせしますね (^^)
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不安すぎて言葉にできない
もしかしたら
そんなこともあるのかもしれません。
入院して
元気で暮らしているのかどうかわからない
自分がお見舞いにきていない時はどうなんだろう
不安な気持ちが先立つけれど
不安だからこそ、心配だからこそ、言葉にできない、したくない。
そういう気持ちは、何となくわかるような気がします。
ご家族には、まずふだんの様子を伝えるようにしてる。
とりわけ、その方の特性がよく現れている行動を
そうすると
ご家族の方から
「そういえば昔こんなことがあって」と語り出してくださることが多い。
過去のその方の特性を知ってるご家族と
現在のその方の特性を知ってる私とで
「体験」をベースに話をすることができるようになる。
そうすると
未来へ向けて
その方の特性を知ってるご家族と私とで話ができるようになる。
意味をいつ付け加えるかは、その時それぞれだけど
「最初は心配だったんです」
とご家族の方から言葉にできるようになると
結構具体的な話までできるようになる。
いきなり、症状や障害の説明をするのではなくて
体験を通してその方らしさは変わらないということを共有化できるように
まず、そこを最初に
言葉だけに頼らない。のは
認知症のある方に対してだけでなくて
ご家族に対しても同じだと考えています。
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たとえば
リハスタッフなら
脳血管障害後遺症片麻痺のある方が
歩くのにどれだけ頑張って歩いているか
手を動かすのにどれだけ頑張っているか
トイレ動作やお食事するのにどれだけ頑張っているのか
よーくわかると思う。
それとまったく同じで
私たちにしてみれば
ごく簡単に思える手作業が
認知症のある方にしてみたら
どれだけ頑張って集中しているのか
よーくわかると思う。
ある場面に現れている
その方の障害も能力も特性もわかるということ
何が起こっているのか、わかるということ
それが大事で必要なこと
そうすれば、どうしたらいいのかがわかるもの。
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認知症という状態像は
単に記憶障害だけではない。
場面場面に現れる障害と能力の意味を把握できる作業療法士は
認知症のある方の生活障害に寄与できる部分がすごく多いと思う。
できそうでできない部分を
どう見守り、どう声かけしたら
できるようになるのか
具体的な提案ができるから。
試行錯誤の幅をかなり狭めて
ご本人やご家族にとっても、介助者にとっても
具体的で有益な情報を提供できると考えています。
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前の記事「こそあど言葉とAct.説明」を読んでくださった方の中には
「あ!」と気づかれた方もいると思います。
ADL介助の場面でも同じコトが違うカタチで現れている
そうなんです。
Activity提供、何か「する」コトに関して
言語理解と構成障害の有無とその程度が関与しているならば
ADL場面にだって関与しないはずがありません。
認知症=記憶障害。だけではないのです。
認知症=快・不快しかわからない。わけではないのです。
たとえば
洋服の着脱が困難になってしまった方に介助する時に
どんな声かけが適切なのか
具体的に検討されているのでしょうか?
認知症
=わからない
=仕方ない
=早く着替えが終わるように
=優しく、怒らせないように
というような方法論しか検討されてこなかったのではないでしょうか。
案外、「こそあど言葉」を意図せずに無自覚のうちに
多用している私たちのせいで
認知症のある方が余分に混乱している可能性はないでしょうか。
だとしたら
「こそあど言葉」「名詞」「動詞」を意図的に自覚的に選択的に
私たちが扱えるようになったとしたら
認知症のある方の状況が変わる可能性があるのではないでしょうか。
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Act.の説明をする時に
「こうして、次にこうやって」
「それをこっちにもってきて」
かつて、私もそのような説明をしていました (^^;
いわゆる、「こそあど言葉」
認知症のある方の
言語理解力と構成能力が保たれていると
「こそあど言葉」を使った説明をしても理解してもらえますが
言語理解力や構成能力が低下してくると
「こそあど言葉」を使った説明では
認知症のある方がAct.を遂行することは余計に難しくなります。
私たちが無自覚に使っている、「こそあど言葉」を
自覚的に、明確に、名詞と動詞で表現するように心がけると
動作的介助なしに声かけだけでできる部分がグンと増えたりします。
裏を返せば
作業療法士が「こそあど言葉」を使わないで説明できる。ということは
工程を明確に理解できている。ということを示してもいるのです。
また、逆に
ある種の認知症(たとえば、意味性認知症)のある方の場合には
意図的に「こそあど言葉」を使うこともあります。
物品名詞は「これ」「あれ」「それ」
そして動詞を明確に端的に使う。
つまり
作業療法士が意図的に選択的に言葉を扱えるということは
認知症のある方の障害と能力を把握していて
目の前に起こっている事象の意味がわかる
ということなんです。
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あんまり言語化されていないと思いますが
認知症のある方にActivityを提供する時に
工程を説明します。
実はその時にポイントがあります。
それは
視覚的な情報を中心にするのか
聴覚的な情報を中心にするのか
運動的な情報を中心にするのか
説明の力点をどの情報を主体として提供するのか
ということです。
どの感覚が理解しやすいのか
こちらが把握できていれば
Act.の場面でその都度説明したり声かけをしたりお手伝いをしたり
という必要がほとんど少なくなって
認知症のある方自身で援助を受けることがほとんどない状態で
Act.に取り組むことができるようになります。
えてして
Act.の場面において
対人援助職たる私たちは
「援助を受けながらでも〇〇できる」ことを善しとしがちですが
認知症のある方にとって
〇〇という作業をしながら、もう一方で他者の説明を聞いて理解して行動修正する
というような同時並行課題は負担の大きいものです。
他職種の人たちに
「これならカンタンだからできるんじゃない?」と言われることもよくありますが
認知症のある方の近時記憶障害、構成障害、遂行機能障害などの有無と
その程度を把握していると、とてもそんな風には思えません。
必死になって一生懸命やろうと向き合っているのがよく伝わってきます。
たとえ
援助を受けながらでも、何か作り上げることができたとしても
それってどうなんだろう?
作っている最中の手応え、充実感、そんな感情を味わうことができたのだろうか?
私の脳が認知症のある方の手を動かさせているような状態は、私は絶対イヤです。
認知症のある方の脳と、認知症のある方の手と、対象たるAct.とが
たとえ、どんなに小さくてもしっかりと1つのループを作っているような場
そういう場を作り上げるためには、説明ってとても大切。
どの感覚を主体として説明するのか
それは、その人がどの感覚を理解しやすいのか
その評価を根拠に判断しています。
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今よりも良くなることを望むなら
今困らないようにという視点で対応していても良くはならない。
それは対応が後手に回っている。
先手をうって
1手間かければ
今よりも良くなる
良くなれば
1手間じゃなくて0.5手間くらいですむようになる
1手間かかるんだから
その手は有効な方がいいよね。
無効な1手間だと、消耗してしまうだけだもの。
その手が読めるかどうか。
本当に問われているのは
手間じゃなくて、その手なんだよね。
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