Tag: 対応

逆もまた真なり?とはいかんぜよ

長く会話ができたり
自分の気持ちや考えを
言葉にして明確に伝えられるからといって
「ちゃんと話ができる」
とは言えません。

構音が不明瞭だとすれば
どんなに長くしゃべれたとしても
可能性の1つとして
お食事の時に舌の動きが低下しているおそれがあります。

舌の動きが低下していれば
構音も不明瞭になっている可能性もあります。

ただ、逆に
構音が明瞭だとしても
お食事の時に舌の動きは大丈夫…とは言いきれません。
(この部分の誤解が大きいと感じています)

「逆もまた真なり」とは言いきれないのです。

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作業の工夫

作業に語らせる。

そのためには
作業そのものの工夫が必要

今は、市販のものが
いろいろと販売されている世の中ですが
そのまま使うのではなくて

対象者に合わせて一工夫

実際の場の中での二工夫

その工夫があって初めて
個別、マンツーマンの意味が活きる
のだと思う。

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「場」は生きもの

場面設定は、
その日の最初に一回設定したら終わり
なんかじゃない。

「場」は、生き物

だから
その時その場のその関係性の中にいなければ
わからないことがたくさんある。

そして
そのわかったことを
対象者にとって
プラスの面をプラスの方向性で活用できるように
場面設定を対応していくことが
大切なんだと思う。

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介助と場面設定

身体的な動作への介助と
Activityへの場面設定は
似ているところがある。

介助は
身体を通したコミュニケーション
結果として
動作遂行に関与する。

場面設定は
「場」を通したコミュニケーション
結果として
作業遂行に関与する。

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作業に語らせる

場面設定や段階付けが
とてもとても重要なのは
作業に語らせる
ため。

ここを誤解している人はヤマほどいると感じています。

できないことは
私たちが教えればいいんだ。
手伝えばいいんだ。

でも、そうじゃないんです。

作業に語らせることが大事なんです。

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改めて再確認

今日、あらためて再確認したこと

できることを積み重ねていく
そのためには
場面設定や段階付けがとても大事
思っている以上にとてもとても大事

作業療法士としての
基本中の基本
それを改めて再確認しました。

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自分の偏見に自分が苦しむ

自分の偏見に自分が苦しむ実際に私が聞いたことのある言葉です。

「認知症=わからんちん」
「認知症=どうしようもない」

そう言っていた人が
実際に認知症になると
非常に強い不安感を示し
情緒不安定に陥り
他者を強く非難する
…という傾向が多いように感じています。

自分が否定しいていた
(多くの場合、蔑んでもいた)
状態に自分がなってしまった…
本当の自分は今の自分ではない…
今の自分にさせている周りがおかしい…

その姿は痛々しいくらいです。

自分の偏見に自分が苦しむ

実際問題として
これだけ「認知症」という言葉が
病気として認知されている今の時代においても
自分が認知症になるかもしれないとは思っていない人のほうが
圧倒的に多いのです。

「将来、自分もあんなになるかと思うと嫌」
「だから一緒にいるのは嫌」
そう言う人は実は少なくありません。

でも、元気なうちから
認知症になったとしても
できることもある
その人らしさが残っている
対等に接してもらえる
という現実を身近で実際に見聞きできれば
余分な不安感は少しは減るのではないかと考えています。

私たちが今、対応していることは
目の前の対象者の方だけでなく
将来、対象者になるかもしれない方にとっても
大切なことなんだと感じています。

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「ちゃんと」?「きちんと」?「しっかり」?

意識している言葉があります。

それは
例えば
「ちゃんと」「きちんと」「しっかり」
という言葉を使わないで
言い換えるということ

「ちゃんと鍵を閉めましょう」
「きちんと対応するようにしましょう」
「しっかり片付けましょう」
なんて言ってる間は絶対できっこない(^^;

どういう行為が「ちゃんと」なのか
どういう対応が「きちんと」見えるのか
どういう状態が「しっかり」片付いている状態なのか

案外、無自覚に、明確化されずに、使われている言葉。
だと思う。

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