Tag: コミュニケーション

思考回路が伝わる

方法論ではなくて思考回路が伝わっていく

だから
やっちゃいけないこと(方法論)は、やっちゃいけない(方法論)と
おかしなことは、おかしなことだと
明確に言わなくちゃいけない。

ただ
言い方に関して、人としてのマナーがあるだけだと
今はそんな風に考えています。

認知症のある方への対応で困った時に
「食事介助で口を開けてくれないのですが、どうしたらいいのでしょうか?」
「大声で介護抵抗のある人に対して、どうしたらよいのでしょうか?」
というパターンで質問されることは本当に本当によくよくあります。

こういうパターンで質問する
ということは、こういうパターンで臨床しているということを表してもいるのです。
その意味は、リハ職が一番わかるはずだと思います。

結果としてのAという現れ方に対して、万能な方法論があるわけがない。

考え方や方法論は
人により時代により変遷していくものでしょう。

でも、根本的な考え方、在りようとでも言うものは
本質に迫るものであればあるほど変遷していくはずがない。

認知症のある方への対応に関して
切実に困っているからこそ、
さまざまな方法論が提唱されているし
また要望もされるのだろうとも考えます。

「徘徊する人がいるんです。どうしたらよいでしょうか?」
「高齢の女性だったらタオルをたたんでいただければ?」
実際にあったやりとりですし
また臨床でもよくあるあるな対応でもあるでしょう。
そしてそれで「済んでしまう」場合だってあるでしょう。
済んでしまった場合には「何が起こっていたのか」ということについて
検討されにくいという現実もあります。

そのような現実の中で
一生懸命な優秀な人ほど
方法論が暗黙のうちに伝える無自覚な思考回路に傷つき悩み
思考回路と提唱されている理念の乖離に疑問を抱き
現状に対しての違和感や苦悩を共有化できる人が周囲にいなかったり
ということも起こってきます。

そしてまた
認知症のある方ご本人が体験した
「一度起こったことはなかったことにはならない」
「感情の体験は積み重なっていく」
という当たり前のことの吟味が為されない
ということも起こってきます。

私自身、今までは明確に言語化できなかったことがたくさんありますし
これから先においても、繰返し繰り返しこういった思いを味わっていくのだろうと
覚悟もしています。

だからこそ
伝えていく意義があるのだと
言語化する意味があるのだと
はっきりともう一段わかり直しました。

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POST連載記事「ナウシカに絡めて」

POSTさんのサイト
「風の谷のナウシカから考える認知症対応」という記事が掲載されました。
https://1post.jp/2838

できるだけ早く「続き」を書きたいと思っています。
もう少しだけお待ちください m(_ _)m

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当てる>はずさない>当たる

昨日の記事の続き。です。

私はプロとして
少なくとも、認知症のある方を対象として働いている人間として
適切な対応の工夫を考えられる、つまり、「当てる」ことができるように努力をするのは、
作業療法士という対人援助職を選択した自分の義務だと考えています。
でも、努力をする…ということは、ウラを返せばカンペキではない自分を認めている。ということでもあります。
今、目の前にいる方に対して、いつでも誰に対しても、常に100%のことがすぐにできているわけではありません。
だからこそ、そうなれるように、仮にできたとしても、できるだけ早く、より円滑に。と願います。

「当てる」ことができるように
でもそれは「当たる」こととは違う
結果として「当たる」のではなくて
当たりがわかったうえでの「当てられる」ことを目指す。
それが叶わない時には、少なくとも「はずさない」ことを目指します。
当たらずとも遠からじ。から始める。
そして当たりに近づくように。

「勝ちに不思議の勝ちあり。負けに不思議の負けなし。」

この言葉に出会った時には、なるほどなーと思いました。
本質を突いた言葉ってそういうチカラもあります。
1つの言葉がジャンルを超えて通ずる。
勝負の世界の言葉が認知症のある方への対応についてにも通ずる。

私は結果として「当たってよかったよかった」とは喜べない。
当たったとしたら、どこが当たりだったのか考えます。
そして、その当たりは本質なのか、考えます。

かなり重度の認知症のある方でも、こちらに合わせてくださいます。
つまり、自分の意志や感情を抑制して合わせられる能力がある。
でも、表面には「この方策が有効だった」「当たった」という受け取り方をされがちです。
本当は「当たった」ように見えるだけで「当てる」ことができたわけではない。
こういうことはヤマほど起こります。

ここでは、前の記事との関連もあって
敢えて、「当てる」「当たる」「はずさない」など
ちょっと誤解を招きかねない言葉を使いましたが
意図する言葉の意味はおわかりいただけていると思います。

適切な方法を根拠を明確にして考えられる>根拠を明確にして不適切なことはしない>根拠はわからないけれどとにかく「問題」が解決した(見えなくなった)

こういった思考過程を繰り返すことで
根拠を明確にして適切な方法をより早くより簡潔により明確に提供できるようになる
そんなふうに感じています。

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勝ちに不思議の勝ちあり

「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし。」

プロ野球の野村克也監督の言葉だそうですが
実は原典があって
「勝ちには偶然の勝ちがあり、負けには偶然の負けはない」という言葉は
江戸時代の剣豪、松浦清(松浦静山)の言葉の引用なのだそうです。

そこから
「失敗は必然、成功は偶然」という言葉も広く使われているとか。

ふと、そんな言葉を思い出しました。

このことは以前のブログにも書いてあります。

認知症のある方への対応についても同じコトが言えるように感じています。

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目標設定の研修会無事終了☆

昨日、作業療法総合研究所さん主催の研修会
「対象者と恊働して良い目標を設定できる作業療法士になろう」
を無事に終了することができました。

参加してくださったみなさま
準備・運営を担当された会長のTさん、事務局長のSさん
お手伝いしてくださったふたりのIさん
お世話になりました。
どうもありがとうございました。

目標を目標というカタチで設定できることがなぜ重要なのか
今現在、すでに起こっている問題と
活動・参加に焦点を当てたリハが推進されていく過程において
起こりうる逆効果をどう防ぐことができるのか
そして根本的に作業療法とは何か
ということについてお伝えする機会をいただけたこと
とても感謝しています。

「人は作業をすることで元気になれる」

そう語るのはよいですが
なぜなんですか?
作業の何がそうさせるのですか?
そして
本当にパワーの強いものは逆の目が出た時の悪影響も強く出てしまう
それをどうやったら防ぐことができるのですか?

納得のいく答えを携えている人が何人いるのだろう?
これらの答えを携えずにただ語っているだけでは信頼されないと感じています。

そして、作業Occupyと目標がどう関係するのか
とても大きく深く関係しているということについてもお伝えしました。

たぶん、参加されたそれぞれの方がお勤めされている分野を超えて受けとめていただけたと思う。
受けとめ方の深度は人それぞれであったとしても。

来年は学生さん向けの目標設定の企画が動いています。
もう少し演習の時間を増やした内容に少し練り変えて再挑戦 (^^)
楽しみです!

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手間をかけるから手間を減らせる

認知症のある方だって
できることはたくさんあります。

ただ、自分1人では難しい
誰かの目や手や諸々の工夫は欠かせないかもしれません。

ここに誤解があります。
根本的な誤解。

誰だって
相互関係の中に生きています。

環境との相互作用の影響の強さ

不適切な移乗介助をすれば
発揮できる能力だって異なってくる。

不適切な食事介助をすれば
発揮できる能力だって異なってくる。

まったく同じことが生活障害やBPSDへの対応の工夫全般に言えるだけです。

適切に手間をかければ
結果として手間は減ってくる。
ただ、ゼロにはならない。

適切な1手間であれば
将来の3手間を予防することができる。
今の1手間を0.5手間にとどめることもできる。

下肢で自重を支えられるのに
その能力を使わないような
しかも体幹の前傾を使えないような
移乗介助をしていたら
最初立てていた方が立てなくなるのも当たり前。

でも多くの場合に
移乗能力低下って言われてしまう。。。

移乗介助の時に
できるだけ長く能力発揮していただけるように
下肢で自重を支えるように
体幹の前傾を促すように
1手間をかけるから移乗動作の維持ができる。

自立支援とは
「がんばってやらせる」ことではなくて
私たちが適切な1手間をかけられるように
「適切さ」を問い直すことだと考えています。

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すごいことやってる病院

全然知らなかった。

すごいことやった、やってる病院があったんだ。
常滑市民病院
http://www.tokonamecityhospital.jp/new/175.html

もと自治省のキャリアが副市長として招聘されて取り組んだ改革だそうな。

こういう方法論って
どっちに転ぶか。っていうところある。

よっぽど上手に段取りしたのと
ファシリテーターも有能だったんだと思う。

じっくり読みたいけど今は難しい。
ひと息ついたらじっくり読みたい。

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声のトーンが大事

声のトーンにはものすごく気をつけています。

声かけにおいて
「何を」言うのか検討されることは多いかもしれませんが
「どんな口調で」言うのかは、あんまり検討されないことが多いのかな?

声のトーンが伝えてしまうコトってものすごく多いです。

職員の苛立ちって結構トーンに現れます。
認知症のある方が
言葉ではなくて声のトーンに反応してることって結構あります。

そんなトーンで話したら怒るにきまってる。。。
そう感じることも多々あります。

職員だって人間だから
時にはイライラすることだってあると思う。
大切なことは、認知症のあるAさんが怒っていた時に私の口調もキツい口調だった
と自覚できることだと考えています。
自分の表出表現を横において
Aさんの表出表現だけをアレコレ言うのは
公正公平じゃないもの。

自覚できるから、コントロール、トレーニングを考えられるようになる。

イライラした感じ
甘えたような、おもねるような感じ
硬い感じ
表面的な感じ

どれも「感じの良い声」ではありません。

おだやかな
深みがあって
聴き取りやすい声

言うは易し、行うは難し。ではありますが (^^;

それでも、たぶん、声って、
トレーニング可能
コントロール可能なモノだと感じています。

だって、声の生成にも筋肉が関与しているんだもの。
感情も関与するけれど。

心身両面からトレーニング可能だと思うし
対人援助職としてトレーニングすべきモノのひとつだと思う。
そこからコントロールにつながっていく。

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