システムの扱い方の問題なのに
違うシステムに交換しちゃえば
問題解決できるかのような認識が問題だと思う。
結局、同じコトが違うカタチで現れるだけ。なのに。
10月 28 2015
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10月 23 2015
「POST 理学療法士によるリハビリ職者を目指す人のためのサイト」に
私のインタビュー記事その2 が掲載されました。
http://1post.jp/2015/10/21/interview143_sato_yoshie02/
よろしかったら、お立ち寄りください。
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10月 16 2015
認知症のある方の
「BPSDをどうしたら改善できるのか」じゃなくて
「BPSDが起きてる場面全体を観察」することが最初。
その時に
たいていの人が忘れてるのは
認知症のある方の評価を根拠に観察する。ということ。
評価は評価として行っていたとしても
その評価と場面の観察が切り離されてることがすごく多い。
「見れども観えず」になってる。
認知症のある方が
その場面の中でどんな風に感受し認識し表現しているのか
ということを評価を根拠に観察できないと
「認知症のある方にとって」今起こっていることが
まったくわからなくなっちゃって
そうすると、どうしたらよいかもわからなくなる。
「自分たちにとって」のBPSDという見方しか
できなくなって、どつぼにはまっちゃう。
「その人のペースで」
「その人に寄り添って」
という言葉はキレイな言葉だけど
私はあんまりこういう言葉は使わない。使えない。
抽象的な表面的なキレイな言葉を使うことで
具体的に感受し思考することを停止してしまうのは
正反対のことだと考えているから。
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9月 17 2015
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8月 26 2015
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8月 25 2015
認知症のある方の「食べる」ことの困難は
当初は、先行期や準備期、口腔期にあって咽頭期にはないことが多い。
そして、それらの困難は
実は、認知症のある方「だけ」の問題に由来するのではなくて
認知症のある方のちょっとした困難に
プラスαして、介助者側の不適切な介助によって
悪循環として起こっていることが圧倒的に多い。
その結果、当初は問題のなかった咽頭期に
喉頭挙上の遅延や不完全挙上、複数回挙上などが起こる
そして、誤嚥性肺炎になってしまう場合が多い。
人の手によって
助長された事柄なら
人の手によって
改善することもできる。
そのようなケースをたくさん体験しています。
なぜなら
「食べる」という行為は
赤ちゃんの時から繰り返し繰り返し行ってきた
究極の手続き記憶だから
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8月 21 2015
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8月 14 2015
事実を積み重ねると浮かび上がってくる。
〇〇という言動が見られた。
だから、△△と考えた。なんて無理矢理考えなくていい。
実習に来た学生さんには必ずそう伝えています。
認知症のある方の言動に
無理矢理意味を当てはめようとするのではなくて
認知症のある方の言動を
今日、明日、あさってと
積み重ねていくと
時系列の縦糸
異なる場面での横糸
どちらの方向にも、自然とつながってくる「線」が浮かび上がってくる。
浮かび上がってきた線を
手元にある情報と照らし合わせると
自然と明確になる「意味」が見えてくる。
見えてきた「意味」と
これから見える言動を照らし合わせると
「意味」に無理があったのかどうかも浮かび上がってくる。
「無理」だったら「意味」を見直せばいいし
無理がなければ「意味」をスタートに進めばいい。
「線」が浮かび上がってこない時には
見てるようで見えていないから
見ることを積み重ねればいい。
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