さまざまな生活障害やBPSDは
結果として起こっていることだから
困難というカタチで現れているコトに
能力も障害も投影されている。
生活障害やBPSDという名前で呼ばれている
それぞれの行動だけをきりとって
どうしたら、それらをなくせるのか考えるのではなくて
生活障害やBPSDという名前をつけずに
それぞれの行動をよく観察して
投影されている能力と障害を把握すると
「イマ、ココ」をどんな風に認識しているのか
予想がつく
今ある能力に
どんな「環境」(場面設定、伝え方の工夫)を補ったら
認知症のある方と
私たちが
「イマ、ココ」を共有できるようになるのかを考える
その「環境」の工夫を
私と認知症のある方のいる「イマ、ココ」にそって
考えられるためには
何よりも先にまず障害と能力の把握が必要
そして
認知症のある方の能力に働きかける工夫を考える
私たちは援助することしかできない
能力に働きかければ
能力を発揮できる
その意味を
「イマ、ココ」にそって
具体的に考える努力って
実は、あんまり為されてこなかったと感じています。
だからこそ、これからの課題だと考えています。
最近のコメント