行為という自発的な場面の観察を

食事には、

その人の能力と困難と特性が投影されるように

他の行為にも、

その人の能力と困難と特性が投影されてる。

自発的な場面だからこそわかることがある。

こちらが設定したリハやレクの場面では

わからないことがいっぱいある。

だから病棟にいりびたっています(^^) 

ふだん対象者の方が過ごす場面を大切にしてる。

病棟の何気ない日課の流れの中で

何にも規制がない場面において、どんな風に応答するのか。

リハやレクの場面では

どうしたってこちらが枠を設定するのだから

設定した枠そのものが

規定する応答というものが存在する。

OTは、その前提をもとに観察してる。

無自覚であったとしても。

でも、それだけじゃ、見落としてしまうことがいっぱいあるのよね。

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相棒の決めゼリフ「ロレンツォのオイル」

うっわー!

右京さん、だから、カッコいい。

あの場面で「ロレンツォのオイル」と友人に伝えられるなんて…。

酸いも甘いも噛み分けた、成熟した人だからこそ使える言葉。

この言葉に万感の思いをこめて

 

「相棒」がおもしろいのは

ドラマを構成する段階で

こういったところまで

ちゃんと知っている?調べている?からなんだよね。

プロだから当たり前って言えば当たり前なんだけど

そうとも言い切れないもんねー

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なかなか立ち上がってくれない方

時々いると思います。

身体能力的には立ち上がりも自立、独歩もできるのに

(お食事だから席に座り替えてほしい)

(お風呂だから立ってほしい)

そういう時に声をかけてもなかなか立ち上がってもらえない

身体は動くはずなのに…。

そんな時に無理矢理全介助で立たせるのではなくて

どうしたら立ち上がっていただけるのか

…を考えて工夫したい。

「無理矢理立たせるのはダメ」

って言うんじゃなくて

「こうしてみたらどうかしら?」

って具体的に提案を。

その提案の根拠としての

対象者の能力と障害と特性を言語化しながら。

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ADL

私が疑問に思うこと

えてして

リハやケアの現場では

「その人らしく」ということと「ADLの介助」が切り離されがち

その人らしく=レクや手工芸やお話などの時間をとってすること

ADLの介助=できることはしていただきできないことを介助する

ADLの介助にこそ、

その人らしく…ということが問われると思うんだけどな

ADLの訳は「日常生活動作」だけど

現実には、ADLって「動作」じゃなくて「行為」だもの。

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作業療法考その1

私たちが出会う人は

心身ともに弱っている状態で出会う。

弱っているのだから

馴染みのないコトや苦手な課題をやるのってどうかと思う。

弱っていてもできることがある

できることをする

よりよくできていくことを積み重ねていく

その過程において

その人らしさは滲み出てくる。

その過程は、対象者が自分自身で自らをエンパワメントしていくこと

それが作業療法だと思う。

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かなひろいテスト

老健に勤務している時はよく使っていました。

HDS−Rよりも、課題への能動的な関わり方がより求められるので

対象者のパターンがあらわれやすいのです。

慎重な方は

じっくり確実に取り組むし

思い込みの強い方は

パッパッとたくさんマルをつけるけれどミスも多いとか。

それから

かなひろいテストで点数は年齢的にクリアできたとしても

あまりにミスが多い方や文意把握ができなかった方は

数年後にはっきりと記銘力が低下する傾向がありました。

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ふだんの会話の中での視点

HDS−Rをとってみて初めてわかることもある

HDS−Rをとらなくても、

ふだんの会話を意識することでわかることもある

記憶の連続性や時、場、人物の見当識など

会話のテーマによって

記憶の連続性が変わることもある

大切なことは

それらの情報をふだんの対応に活かすということ

そのための情報収集

現実には

順序が後先になってることが多いような気がするけど(^^;

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HDS-Rの終わり方

ご存知のように

HDS−Rの最後は語想起課題です。

あまり答えられなかった方は不全感を抱えてしまいます。

特にセッションの最後にHDS−Rを行った場合には

失敗体験、喪失体験を抱えたままリハ室を出ることになります。

ですので、終わり方には気をつけています。

例えば

野菜の名前を「じゃがいも、さといも」

の2つしか答えられなかったとしたら

「焼き芋にするお芋って何芋でしたっけ?」

「輪切りにして天ぷらにしたり、

大学芋にするお芋って何でしたっけ?」

等とヒントを出して答えてもらったり

「じゃがいもを使ったお料理って何がありましたっけ?」

「じゃがいもを使ったお料理で1番好きなものって何ですか?」

等とお話したりします。

もちろん、

ここで得られた情報は今後の展開に活用することはあっても

HDS−Rの検査結果に反映されることはありません。

検査終了後、すぐにおしまい!ではなくて

ワンクッションおくようにしているだけです。

そうしたからといって

失敗体験や喪失体験に伴う感情を解消できるわけではありませんが

こちらのマナーとしてそうしています。

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