提起した方法にはポイントがあります。
それは、「動きを止めないように動く」ということです。
タイヤの1ヶ所を手で押し出すようにすると
タイヤがぐるっとまわるように
円環状になっているという特性を活かすのですから
ふんばったりするような動きを止める行為をすれば
そこで身体全体の動きが止まってしまいます。
滑らかに
がんばらずに
個々のパーツとしての筋力に頼らずに
身体全体の協調を活かして
立ち上がりー座る
1月 27 2012
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1月 26 2012
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1月 25 2012
身体を総体として働きやすくするために
立ち上がりの時には
両手を大腿から下腿、足首、つま先へ…と
さすりおろすようにします。
ここでのポイントは
手が常に身体に触れたまま動くということです。
手が触れていることによって
たとえば、タイヤのように
身体が線ではなくて円環状になるようなイメージです。
身体に端のない状態をつくる
身体がつながっていて始めも終わりもない状態
この状態で動きが生じれば
身体の他の部分もつられて動かざるをえません。
手でさすりおろす…という動きにひきづられて
臀部が持ち上がります。
動きを決して止めないことがポイントです。
座る練習をする時には
立った状態で両手を大腿に置き
大腿〜下腿、足首、つま先へと手をさすりおろすようにしながら
腰をおろしていきます。
臀部が着座したら
手をつま先、足首、下腿、大腿とさすりあげるようにして
身体を起こします。
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1月 24 2012
お年寄りに対して
筋力強化を主体としたリハを行うということは
「個々のパーツの能力の総和=身体能力」
という考え方に基づいています。
でも、それは本当でしょうか?
身体は常に全体として 総体として働いています。
身体のあるパーツの能力が
低い時には低いなりに
高い時には高いなりに
身体は常に総体として働いている。
それなのに
筋力強化を主体とするということは
逆に言えば、
総体として働いている身体を
無自覚であったとしても
否定してしまうということを意味します。
抽象的な「正常な身体」を 勝手に設定して
そこからの引き算として
お年寄りの現状をとらえる
…という考え方は
いろいろな人生経験をしてこられたお年寄りの生き方までも
暗に否定してしまうことにもなりかねません。
判断基準が「正常な身体」であるならば
追い求めているのは「正常化」ということです。
それは、はたして、
「その人らしさを大切にする」と言えるでしょうか。
「お年寄りを尊重する」と言えるのでしょうか。
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1月 23 2012
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1月 20 2012
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1月 19 2012
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1月 18 2012
立ち上がり方については
昭和大学で開催された
第12回神奈川県作業療法学会のワークショップはじめ
いろいろな研修会や勉強会で説明していますが
巷でよく言われているような
「身体を前傾して足の裏を意識してふんばって立つ」
という方法は
実はあんまり適切ではないのではないかと考えています。
臀部が接地した状態で いくら上体を前傾しても
この肢位での重心は
足底からの垂直線上より後方にあるので
床反力を利用したら後方へ倒れるしかありません。
それでは立ち上がれないので
たいていの対象者の方は立ち上がるために
腰部の筋を収縮することによって臀部を浮かしています。
(あまり療法士によって明言されることはないようですが)
実は、ここが分水嶺になると考えています。
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