「ムセない=食べ方OK」じゃないよ〜

「ムセない=食べ方OK」
なんかじゃないですよ〜。

この話題はもう耳タコかも。ですが
繰り返し言いたい。

喉頭の動きは良好だけど
上唇での取り込みは良くない方
って、実際、ものすっごく多いです。

なんか食べさせにくいけど
ムセはないのよね…というケース。
ムセてないからって
重要視されずにそのまま…となりがちですが
たいていの場合、適切な介助によって取り込みも上達します。
(ホントよ!)

逆に放置しておくと
食事拒否、食塊貯留、ムセ…などの問題が出てきてしまいます。

まだまだ、
「ムセない=食べ方OK」
という誤解が多いようですが
食べ方を観る時には
ムセの有無だけでなく
上唇でのとりこみ、舌の動き、食塊認知
…といった面もチェックしてください。

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ワタシという色メガネ

このことはもう随分と考えてきたのですが
昨日読んだ「新しい市場のつくりかた」に
「おまえ自身が牢獄である」というフレーズがあって
触発されて書いています(^^;

「ワタシ」という色メガネははずすことはできない。
無色透明のメガネは「ワタシ」という存在が
ないことになってしまう。

ただ、メガネについた色を
濁っていない色に
透明感のある色に
することはできると思うし必要だと思う。

その上で、ワタシのメガネは〇〇色って
自覚しておくことが大切だと思う。

ワタシが見ている世界は
〇〇色のメガネを通して見ている…って。
ワタシが考えていることは
ワタシが立っている世界を
〇〇色のメガネをかけて見ている世界を基準として
考えていることだ…って。

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「新しい市場のつくりかた」読みました

「新しい市場のつくりかた」
三宅秀道
東洋経済新報社

読みました。
一言で言うなら
あっと言う間に読めるけれど
じっくり何度も読み直したくなる本です。

スティーブ・ジョブズは
「顧客は本当に欲しいものは
手にとるまでわからない」
と言っていた。

商品開発というのは
新しい商品ではなくて
新しい生活様式…文化をつくる
ことなのだと。

その過程において
終始一貫関わる人が必要なのだと。

これはまさしく
「Re-Habilis 再び適する」
を環境の側から書かれた本だと感じました。

何度もリハとの共通点を思い起こしながら読みました。
障がい者用の椅子から快適なオフィス用の椅子を開発したエピソードも出てきます。

納得すること、共感することが盛りだくさんのこの本。
やることやってまた読み直そうっと (^^)

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形容詞にせずに動詞で考える

認知症のある方に対して
形容詞にせずに、動詞で考えると良いと思う。

たとえば
大声で喚き立てるAさん
ではなくて
Aさんが大声で喚く

前者だと
「大声で喚き立てる」が焦点化されてしまい
Aさんは常に大声で喚く人
…というイメージになってしまいかねません。
Aさんは大声を出さない時だってあるのに
その時への意識化がなされにくくなってしまいます。

後者だと
Aさんという個人が焦点化され
Aさんは大声を出す時もあるけれどそうでない時もある
ということが意識化されやすくなります。

この違いを明確にわかる…ということは
すごく大きなことなんだと感じています。

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葉山靖明さんの講演会に参加してきました!

12月1日(土)に開催された
湘南OT交流会さん主催の
「だから作業療法が大好きです!出版記念講演」
に参加してきました(^^)

講師は皆さんご存知の葉山靖明さんです。

参加してよかった…しみじみとそう思いました。
研修会の帰途、にこにこしている自分に気がつきました。
お腹が満ち足りた子どものような
それでいて身体の奥から静かなエネルギーが満ちてくるような
そんな感覚を体験しました。

ご講演には実はOT以外の方もいらっしゃったのですが
その方が「OTの奥深さ、崇高さを知ることができました」
と感想を述べた時に、葉山さんはサラッと
「ありがとうございます」
とおっしゃったんです。

うわー!

こんなにも自然に当たり前のように
OTにエールを送ってくださっているんだ…
ということを強く実感しました。

このエールをムダになんかできない。
葉山さんがOTとの出会いを自らの生きるパワーとしてこられたのと同じように
いいえ、それ以上に、葉山さんとの出会いを自らのパワーにして、目の前の方ひとりひとりに相対していこう。
そう感じました。

葉山さんのHPはこちら
http://www4.ocn.ne.jp/~keyakist/index.html

湘南OT交流会さんのHPはこちら
http://1st.geocities.jp/shounan_ot/index.htm

葉山さん
湘南OT交流会のみなさま

どうもありがとうございました!!!

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いろんな方に助けられて…

いろいろな方に助けられていることを
感じる今日この頃

本当にありがたいことです。

さらっと
何気ない気配りをしてくださったり
困っているときに
ピンポイントで助けてくださったり
最近は涙腺がモロくていけません。。。

助けていただいた分も
それ以上に頑張ろうと思う。
他の誰かが困っていたら
私がしてもらったことを
それ以上にできるような自分になれたらと思う。

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視覚情報 階段の怖さ

階段の怖さについては
当事者のクリスティーン・ブライデン氏も語っています。

下り階段を眼では見ていても
階段と認知しづらかったり
その逆に
上り階段を眼では見ていても
階段と認知しづらかったり

私たちが自覚できるのは
眼で見ている情報ではなくて
既に「階段」と認知した情報でしかない。

そんな時に写真に撮ってみるのもひとつのテ。

情報を取捨選択しないで
ありのままに録音し
ありのままに撮影する
機械を通してみてみると
私たちの「判断」というフィルターを
通さない環境を知ることに
ちょっと近づくことができるかもしれません。

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聴覚情報の取捨選択

以前に食事中の音環境を録音したことがあります。
その結果は、まさに、音声多重放送状態。でした。

こんなに大きく聞こえるとは思わなかった音の筆頭は
スプーンに残った食塊を食器に軽く叩いて落とす音でした。
金属音の高い音でカンカンと響きわたっていました。
配膳者のシャッターを上げ下げする音も
ガガガーッと響きわたっていました。

実際の食事場面では
スプーンを食器で叩く音や配膳者のシャッター音は
まったくといっていいくらい気にならなかった…。

そうなんです。

音が小さかった…のではなくて
音が気にならなかった…に過ぎないのです。

私たち職員は、気にならないでいられる
つまり、無意識のうちに脳の中で
スプーンや配膳者の音は
「気にしない」という取捨選択が為されているのです。
耳は聞いているけれど脳は聞いていないのです。

認知症のある方にとっては、どうなのか…

当事者のクリスティーン・ブライデン氏は
スーパーマーケットなどのにぎやかな場所での音環境を
このように表現しています。

「音の洪水」

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