○?✖️?誘導の声かけ

リハへの誘導に際して困っているという場合には
実は、認知症のある方の状態が把握できていないという
職員側の問題が「認知症のある方が誘導に応じてくれない」というカタチで
現れているというケースが圧倒的に多いのです。

認知症のある方の
体調(睡眠、疲労、覚醒リズム)はもちろん
近時記憶、見当識、視空間認知、言語理解力、特性などなどの把握

声かけの工夫をするに際して、最も重要なのは言語理解力の把握です。

  接遇は対人援助職として大切ではありますが
  ホテルマンのような対応が認知症のある方に適切というわけではありません。
  脳血管障害後遺症のある方にどんなに敬語を尽くしても
  それだけで機能が良くなるわけでもADLが改善されるわけでもありません。
  認知症も脳の病気ですから敬語を使用するだけで
  BPSDや生活障害が改善されるわけがないのです。
    
  敬語を使うのも大切ですが、敬語というのは得てして

  婉曲な表現、長い文章表現となりがちで
  認知症のある方には理解しにくいこともよくあります。
  言葉は届いてこそ、言葉。
  「敬語=良い」という思い込みは卒業しましょう。

ところが、案外現場で確認されていないのも言語理解力です。

言語理解力には量的側面と質的側面があります。
量的側面とは、一度に受け取る言語の多さ・長さ
質的側面とは、「援助の言葉と意思表明の言葉」の違いであり
       「目的の言葉と手段(方法)の言葉」の違いです。

   これらについては既に記事にしてありますので検索してみてください

目の前にいる認知症のある方が
どんな言葉であれば理解しやすいのか把握したうえで
意図的に言葉を選び、使い分けることが必要です。

当然のことながら
声をかける時には、どちらの耳が聞き取りやすいのか確認する
そして、聞き間違いも多いので明瞭に発音する
ことに気をつけるのは言うまでもないことです。

また、何を言うかだけでなく
自身の口調や声の大きさ、視線などのノンバーバルな表出もコントロールすべきです。

そのうえで
先の記事でご説明したように
その方が再認しやすいように
キーとなる言葉を探したり、視覚的情報を提供します。

つまり、誘導時の声かけとは
すべてがその方の状態に応じて
評価にもとづいて選択されるものです。

私が提唱しているのは
「認知症のある方がリハへ行くための援助」です。
決して、「認知症のある方をリハへ行かせるための方法」ではありません。

認知症のある方がリハへ行くための援助ですから
どのような援助が必要なのか
その根拠はその方の状態像、つまり、評価をもとに判断できます。
評価とは上記の工夫と表裏一体のものです。

そのような評価なしに
「毎朝訪室してなじみの関係を作ろう」として
良い結果が出なかった、誘導に応じてもらえなかった体験をしている人は
少なくないはずです。

しかも、どんな言葉を選ぶのか、その言葉をどんな風に伝えるのか
意図的に選択したうえで使い分けていなければ
効果が出ないどころか、逆効果になってしまいます。
「何か言ってるけど何言ってるかわからない」
このような体験を再認する人は「うるさいからもう来るな!」と言うかもしれません。
そして易怒的とレッテルを貼られる。。。
リハを拒否すれば「意欲低下、やる気がない」とレッテルを貼られる。。。
認知症のある方の状態も改善されず
一生懸命毎朝訪室していた職員もガックリして落ち込んでしまう。。。
誰にとっても良いことがありません。

ただし、今まで漫然と為されていた方法論が継承されてきたのには
きっと継承されるに足る、それなりの理由があったのだろうと思います。
例えば「なじみの関係を作る」であれば
軽度で職員に配慮できる方だから効果があったように見えた、ザイオンス効果という論拠がある、情報収集や評価に手間をかけずにすむ、、、などなどの。

そして
仮にあなたが「なじみの関係を作ったら誘導に応じてもらえた」としても
単なるハウツーとして用いるのであれば
短期的には良くても長期的には望ましいことはありません。
認知症のある方にとっても、あなたにとっても。

一事が万事
他の事象に対してもハウツー的な表面的な対応をする思考回路になってしまいます。
認知症のある方は表面的な拒否というカタチに
反映されている意思や能力や困難を読み解いてもらえず
表面的に従うように要請されることを受け入れることになってしまいます。

認知症のある方にとっても、
職員にとっても、
もっと良い対応があるのだから
リハへの誘導のために毎朝訪室して挨拶するなどの漫然とした方法は
もう卒業しませんか?

認知症のある方の状態を把握することに慣れていないうちは時間がかかります。
それは仕方のないことなのです。
今までやったことのないことをやるんですから。
どんなことであれ、誰であれ、
モノゴトを習熟するには時間が必要です。
(ただし、意図的な反復体験こそが必要で
 単に経験年数が多ければ良いということではない)

まず、自分のできなさから目を背けないことです。

近くにいる先達は
「こうすればちゃんとできるよ!」とやってみせることです。
そのうえで何をどうしていたのか言語化して伝えることです。

未熟な時は辛いけど
その時にきちんと一つ一つをおろそかにせず
経験を経験として積み上げていけば
  (ここをはしょると、なんちゃってOTになる)
必ず自分自身の評価の能力すなわち観察力も洞察力も
量的にも質的にも高まっていきます。

知識は必要だし、検査やバッテリーも必要だけど
対人援助職として生涯をかけて研鑽すべきは観察力であり洞察力です。

ナイチンゲールの言葉を紹介します。
「経験をもたらすのは観察だけなのである。
 観察をしない女性が、50年あるいは60年
 病人のそばで過ごしたとしても
 決して賢い人間にはならないであろう」

 

 

 

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