Category: よっしーずボイス(ブログ)
講演などで
認知症のある方とのあれこれを
体験談として紹介させていただく時には
ご家族に許可をいただいているのですが
ほとんどのご家族がご快諾してくださいます。
「同じように困っている方々のお役に立つなら」
この言葉を聴くたびに胸が熱くなります。
今まで私が出会ったたくさんの方々に
教えられてきたこと。
これからの若い人たちには
遠回りする分の時間とエネルギーを
より建設的なことがらに振り向けてほしい。
そう思って
「よっしーずボイス」「よっしーワールド」を書いたり
いろいろな機関からの講演依頼を引き受けています。
来週は1週間で3本の講演
準備もハードだったし実際もハードだけど (^^;
ここでやらねば女がすたる。
どうぞ私の声がみなさまに届きますように …
そして、願わくば
みなさまのそれぞれの立ち位置での
日々の実践が一歩前に進むことに寄与できますように … 。
認知症のある方の余分な困難が
少しでも少なくなりますように … 。
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本来、検討する…というのは
具体的に考える…ということだと思うのだけれど
認知症のある方へのケアやリハにおいて
抽象論的なレベルにとどまり
だからこそ声高に叫んだり
共感して盛り上がったりもするのだろうと思うのだけれど
なんだかなぁ…と思ってしまうのです。
目の前の現実を
小さな困難であったとしても
1つずつ改善することが
望まれていることだと思うし
明日の私たちにできることだと思う。
「優しく不快のないように対応します」
と宣言することよりも
まずは、今日、この晩ご飯を
食べやすく介助できる。
宣言するよりもそっちのほうが先じゃないかな。
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手関節を掌屈させ前腕回外を強める。
自分にとっては不自然な身体操作ですが
こうすると対象者はまっすぐに前を向いた状態で
食塊をとりこむことができるようになります。
(対象者の斜め前から介助が可能であるなら
他の方法も選択肢にはいるけど
たぶん、通常は難しいことが多いと思う)
自分にとって
自然な動きというのは
自然だからこそ自覚しにくい。
だから常に自分の身体操作が対象者にとって
不利益な結果となっていないかどうか
確認することが大事だと考えています。
本当は養成過程において
このあたりをトレーニングすべきだとは思いますが
トレーニングされていないことを言い訳にしちゃマズイと思う。
「対象者に寄り添ったケアを」
と言うのならば
大きな理想を抽象論として語ったり叫んだりするのではなくて
まずは日々の小さな現実から見直すことが必要だと思う。
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通常、食事介助は真横から行われる。
その位置ではよほど気をつけないと
介助者の身体構造にのっとった自然な動きは
スプーンを対象者の口元に斜めに差し入れることになる。
介助者にとっての自然な動きだから
これでいいのか?という意図がなければ
目の前で起こっている現実に気がつけない。
対象者の顔が自分のほうに向いていて
正面を向いていないことに
気がつけば修正しようとする。
じゃあ、どうしたらいいのか?
続きはまた明日(^^)
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食事介助の時に
まっすぐに正面を向いて食べるのではなくて
介助者のほうを向くようにして食べている人って案外多い。
でも、これは食べている人の問題ではなくて
介助者の問題。
なぜか?
それは明日。
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ワーキングメモリが低下していて
後ろにひっくり返されそうに感じて
結果として、座るのを嫌がる方の場合には
後ろにはひっくり返らない…という安心感があれば
スムーズに座っていただけます。
たとえば
職員の片手を背中に当てて
他方の手で動作介助する
…そうすると支えられていることを感じて安心されるので
スムーズに座っていただけるようになります。
私たちはワーキングメモリが機能しているので
「椅子がある」 ということは暗黙の前提条件として
言葉を言い、行動を起こしています。
ですが、私たちにとっては自明の「椅子がある」ことが
認知症のある方にとっても同様に自明のことかどうかは
わかりません。
認知症のある方とのDisCommunicationは
私たちが症状や障害を言葉としてだけではなくて
暮らしの1つ1つの場面にどんな風に投影されているのかを
把握できるようになることで
少しずつ解消されるようになっていくのだと感じています。
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認知症のある方は
ワーキングメモリが低下する。
これは誰でも知ってると思う。
大切なのは
ワーキングメモリの低下が
どんな風にふだんの暮らしに影響してるのか
…ということを観察できること。
その上で、どうしたら暮らしをサポートできるのか
…ということを具体的に提案できること。
たとえば
椅子に座るように動作介助した時に嫌がる方も多いのですが
この場合、後ろに椅子がある…ということを忘れてしまっている場合が少なくありません。
認知症のある方にしてみれば
動作介助の場面だけを切り取って理解しているので
後ろにひっくり返されそうに感じて怖くて嫌がっている
…という状態になっているのです。
じゃあ、どうしたらいいのか?
続きは明日(^^)
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機械的なリハ、ケア、援助
考えることもなくあてはめるだけで
振り返り検証することもなく
努力もせずにできるけど
作用反作用の法則
物理的にはたらくチカラが
心理的にはたらいたっておかしくない。
援助は
対象者にも援助者にも
エンパワメントをもたらすものだけれど
機械的なそれらは
逆にpowerを奪われてしまうのだと思う
機械的な人たちは
それを恐れて一層機械的になるのだろうけれど
知らないうちに一層powerを奪われている
対人援助職
恐ろしい仕事だ。。。
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