Category: よっしーずボイス(ブログ)
忘れちゃいけないのは
当たり前のことほど自覚しにくい
ということだと思ってる。
たとえば
今やっている「やりかた」を変える
ということは
新しい「やりかた」をする
ということよりも
何倍も難しい
とか。
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まず
介助して
言語化して
言語化した方法で介助して
言語化できていなかったところを言語化して(Aとする)
Aの言語化にしたがって介助すると
まだ言語化しそこねていた部分があることに気がつくから
そこを言語化して(Bとする)
Bの言語化にしたがって介助する。
ここまでは、自分の中でする作業。
言語化しそこねていない部分がないことを確信できたら
正式に他スタッフに伝える前に
仮伝達を他部門の誰かに伝えて再現してもらいます。
そうすると
「伝えられていなかった」部分がはっきりするから
そこを修正してから
正式に伝達情報として使うようにしたりしています。
「動きのある情報」を
的確に言語化する
的確に伝える
的確に受け取る
って、難しいものね。
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たとえば
Aさんに対する食事介助の方法を
他スタッフへ伝達する時には
いきなり伝達しないで
まず、自分の中で方法を言語化してみます。
次に
自分が言語化した方法で介助してみる。
そうすると
言語化しそこなった部分があることに気がつけます。
実は、その部分をきちんと「言語化できてから」
伝えることが大切だと思っています。
言語化できていないけど
なんとなくやっていて自分はできている
この部分が再現性のキモだったりする
ということがよくあるわけで (^^;
自分の動作や行為を言語化する
って案外難しいものです。
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たいていのリハスタッフは
実習において
担当したAさんの目標の適・不適は教えてもらえるけど
Aさんを通した目標設定の過程の体験学習はしていない。
目標が悪いって指摘されても
どう修正したらいいのかは教えてもらえない。
悪い目標と良い目標の違いを教えてはもらえない。
だから
目標設定について
漠然とした知識で臨床に向かうことになる。
根本的には
このことがいろんな状況を生み出している
そんな風に感じています。
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リハスタッフはもちろん
対人援助職って
仕事をすすめる上で会議への参加は必須です。
業務の中に確実に組み込まれている「会議」なのに
卒業前も卒業後も
養成プログラムに組み込まれることはまずない
「会議運営のしかた」
「会議への参加のしかた」
会議のしかたがわからなければ
適切に「向き合う」ことができない。
会議がやたら形骸化してたり
単なる報告会に終わっていたり
脱線しまくりで時間がかかったり
「会議」が悪いんじゃなくて
「会議」の扱い方を知らないことで
結果として起こっている問題じゃないのかな?
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ICFについて
いろいろと言う人もいるけど
ICFを理解して活用できたら
リハの在り方が変わります。
評価はICFでも
治療の組み立てがICIDHになっちゃってる人って
まだまだ多いみたいですが。
原因を探索する…というのは
ICIDHの考え方であって
必然がある…と考えるのは
ICFに依拠した考え方です。
そして
ICFって仏教の縁起と同じ考え方でもあるのよ。
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原因などないけど必然がある
この違いがわかりますか?
認知症のある方のBPSDを含めた生活障害には
そうするだけの必然があるのです。
原因ではなくて。
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先日の静岡でのセミナーで
「何が起こっているのか」観察することの重要性を
お話しました。
SDATアルツハイマー型認知症で80歳代、大声という
診断名も年齢もBPSDも同じケースを3例紹介しました。
「大声」という主訴は同じでも
実は
現れ方は全然違っていて
対応の工夫も全然違っている
ということを説明したつもりです。
視点を固着させずに
「何が起こっているのか」観察することが重要なのです。
そして
観察することができるためには
知識が必要なのです。
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