Category: 教科書的基礎知識篇

評価の進め方ー最初の挨拶

評価の進め方ー最初の挨拶認知症のある方に出会ったら…
「認知症」という診断名がすでにある方なら、まず最初にADLとコミュニケーションを評価しましょう。
ADLとコミュニケーションのそれぞれについて
何ができるか、できないか。
どこまでできて、どこからできないか。
どんな風にできて、どんな風にできないのか。
これで、その人の現状がおおまかに把握できると思います。

そこからさらに詳細に現状を把握するために個々の要素について絞り込んだ評価をしていけばよいと思います。
その過程で、診断疾患から生じる症状がどんな風に現れているか
診断疾患にはない症状の有無についても確認できればなお良いと思います。

ここで重要なことは、必ず状況とセットで評価する…ということです。
状況というのは自分を含めた環境のことです。
ここが臨床ではよく見落とされがちでそのために適切な評価ができずに困惑してしまうということが起こりがちなのです。

一番最初は、まず挨拶から始まりますよね?
最初の自己紹介とご挨拶で、言語的な意思疎通の可否と短期記憶の可否が確認できます。
「○○さんですね?リハビリのよっしーと申します。初めまして。」
「〇〇さんの下のお名前を教えていただけますか?」
「□□という下のお名前はどう書くんですか?」 
このように尋ねてどんな風に反応が返ってくるのか…それが評価の第一歩です。
最初の自己紹介と挨拶が同時にスクリーニングの場でもあります。
もしも、この時点で適切な答えが返ってこないのであれば、その後の評価を構成的面接(場面設定)で行うことは困難だという判断ができます。それは評価場面の選択ができるということで評価できないということではありません。観察主体の評価から始めてみようという判断ができるのです。
そして、適切な答えが言語的に返ってこなかったとしても何らかの「応答」があったはずです。
その「応答」を異なる場面でも確認します。

また、言語的な意思疎通と短期記憶が可であれば、直接尋ねることができます。
「○○さん調子はいかがですか?」
「○○さんの暮らしの困りごとを一緒に解決していくのが私の仕事なんです。」
「〇〇さんのことをいろいろと教えてください。」

そして相手が答えたことに対して、質問をふくらませていく。
相手が答えていないことを尋ねる時には、答えなくてもよいという留保をつけながら尋ねます。

これらの評価をすすめる過程でその方の対応のパターンというものが滲み出てきます。
そのパターンから生活歴を類推することが重要です。

最初の評価ですべてを確認しようなどと思わなくてよいのです。
評価をしぼりこんでいく、回を重ねるごとに評価を深めていく、評価の精度を高めていくという姿勢が重要なのだと考えています。

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症状を援助に活かす:視覚的被影響性亢進

症状を援助に活かす:視覚的被影響性亢進FTD(前頭側頭型認知症)のある方では、視覚的被影響性が亢進します。
目で見たものに行動が影響されやすくなるのです。
たとえば、目の前で手のひらを大きく広げながら言葉で「じゃんけんのグーを出して」と言われても、認知症のある方はパーを出してしまう…ということが起こってきます。

実は、こういった症状はFTDのある方だけではなくてSDAT(アルツハイマー型認知症)のある方にも起こってきます。
認知症というのは、疾患の定義上、進行性の疾患です。
SDATのある方でも疾患の進行に伴ってFTDの症状が現れてくるということにはよく遭遇します。

これは、脳の器質的生理的変化に基づく症状ですが、逆に援助に活用することもできるのです。

「困ったときほど要注意」http://kana-ot.jp/wp/yosshi/37 の記事にも書きましたが、こちらが柔らかい笑顔だと相手もつられて笑ってしまう。
こちらが怖い顔をしていると相手もよけいに怒りだす…ということはよくあります。
試しに、鏡の前で、にっこり笑いながら語気荒く怒ってみてください。
逆に、強面の形相で柔らかい口調でゆったりとしゃべってみてください。
どうでしょう?
できましたか?
仮に、できたとしてもかなりの努力を要したのではないでしょうか?

対人援助職ならどのような方に対しても、自らのノンバーバルなコミュニケーションに自覚的であることは大切だと思いますが、こと認知症のある方に対してはより一層強調されるべきことだと考えています。

認知症のある方が混乱している時に、こちらが強ばった表情で語気荒く接することは火に油を注いでしまうことになりかねません。
相手が混乱している時こそ、柔らかい表情でゆったりした声で接することが必要です。
状況を悪化させないだけでなく、往々にしてそれだけで落ち着かれる場合も多々あります。
「Do No Harm 悪いことはしない」という意味はもちろんですが、さらに症状を逆手にとって援助に活かすこともできるのです。

たとえば、体操をしていただきたいのなら、職員が正面に立ち身体を明確に動かす。メリハリをつけて動きをわかりやすく伝える。
周囲の状況も目に入りやすいように、半円形に並んで座っていただく…などの場面設定をする。

周囲の状況がわかってなおかつ食事に集中できない方の場合には、敢えて食事動作の自立度の高い方たちのいる席に座っていただく。

誘導する時には、言葉だけでなくジェスチャーを使って視覚的に伝える。

ここに書いたような方法論は、たぶんおそらく何となく使える方法として現場では既に取り入れられていることと思います。
ただ、方法論が意味する意図を明確に言語化した上で取り入れられているケースは少ないのではないでしょうか。

対象者の能力と障害と特性に応じ、視覚情報という場面設定を細かく複数組み合わせるとさらに応用することもできます。
ポイントは、こうしてみたらAさんによかったからBさんにもしてみよう…ではなくて(^^; Aさんの能力と障害と特性はこうだからこのような場面設定をしてみた。Bさんの能力と障害と特性はこうだからこんな場面設定はどうかな?というマッチング、照合作業です。

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言語操作能力をみる

言語操作能力をみる私は、障害をきちんと把握できなければ能力も把握することができないと考えています。
認知症のある方の記憶の連続性をはじめ中核症状やBPSDについて、その程度とパターンを把握することはとても大切なことだと考えています。
ところが、案外、臨床で確認されていないのが言語操作能力なんです。

「援助の言葉、意思表示の言葉」

でも触れていますが
どんな風に伝えたら理解しやすいのか
どんな風に言語表現するのか
…という部分の把握があんまり為されてはいないように感じています。

「声かけが大事」という言葉に異論のある方はいないと思います。
でも、「声かけに気をつけましょう」「そうですね。気をつけましょう」
といった総論抽象論になってしまうと
声かけがなぜ大事なのか
声をかける時に、私たちが具体的にどう言ってどう行動することが
気をつけるという行為になるのか
という私たち自身の行動変容につながりにくいものです。
意図的な行為ができなければ、その行為についての振り返りもできない。
声かけが目の前のAさんに適切だったかどうかの判断をできない
ということになってしまいます。

認知症のある方は
脳の生理学的形態学的変化に基づく病気を抱えているのですから
言語操作能力を司る部位が萎縮したり機能不全に陥っていれば
当然、言語理解力や言語表現力も影響を受けます。

よくあるパターンとしては
「大便、どこ?」
と聞かれたりします。

字面だけ見ると、とてもおかしな表現です。
でも、「大便を排泄したいからトイレがどこかを探している」
ということが言いたいのだとすぐわかりますよね。
あまりに日常的によくあるパターンなので
違和感を抱くこともないかもしれませんが…。

関係性においてディスコミュニケーションの影響がないが故に
対象者自身の言語表現力が低下していることを
障害として認識しにくいのかもしれません。

それでも、このような方は
他の場面でも似たような表現をされているわけです。

もっと抽象的な考えを伝える必要性のある場面において困難が生じている
それなのに、障害を把握することなく「普通に」会話をしてしまって
対象者は「なんでわかってくれない!」
職員は「易怒的」「被害妄想」「執拗な訴え」
双方、混乱して悪循環…というようなケースが実は相当あるんじゃないかしら?
と感じています。

どのような伝え方をしたら
Aさんが理解しやすいのか
Aさんはどのようなパターンで表現することが多いのか

SDATアルツハイマー型認知症の方でも
記憶の連続性だけではなくて
言語理解力、言語表現力の程度と特性を把握しておくことが
重要だと感じています。

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記憶の連続性の低下が見落とされている

記憶の連続性の低下が見落とされているちょっとかなりビックリしてしまうことですが臨床でかなりの確率で遭遇していることなのです(^^;

その場での言語のやりとりがきちんとできると記憶の連続性の低下についてきちんと評価が為されにくいようです。

礼節が保たれ
ユーモアたっぷりに
時には療法士を気遣うような対応ができる
それでも記憶の連続性は著明に低下している
というケースはたくさんあります。

HDS-Rが10点以下でも
そのような対応ができる方は大勢おられます。

「普通のおばあちゃん?」

の記事にも書きましたが
そのくらいに、誤解がまだまだ多いのだと思います。

リハという特別に設定された場面で
従命可かどうか…ということが優先されるのであれば
記憶の連続性について評価しなくてもすむかもしれません。

ですが
その方が生活という場でどのように過ごせるのか
という観点に経てば
否が応でも、記憶の連続性という状態を観ないわけにはいきません。

介護保険で要支援認定のおりた方でも
冷蔵庫の中にはモノがあふれ
薬の飲み残しや数が足りない
といった状態の方はたくさんおられます。

老健では認知症短期集中リハ加算が創設されたこともあり
「なにかトレーニングしなくちゃ」
と焦る療法士も少なくないかもしれません。

でも「やる」ことばかりに気を取られ
「どんなことをしたらよいのでしょうか?」
と質問されることがかなりあります(^^;
「記憶の連続性はどの程度?」と聞き返すと
何の評価もしていなかったりします。
観察もしていない
HDS-Rもとっていない

うーん…
それって
CVA後遺症のある方に
評価もせずに、とにかく麻痺側上肢を動かすためにどうしたらよいのか
と問うようなものなのですが(^^;

記憶の連続性について
自分の観察と客観的指標との照らし合わせの経験が少ない人には
まず、HDS-RなりMMSEなりを必ずとることを推奨します。
自分の観察が結構いい加減なことに気づかされると思います。
(いかに、その場の対応に左右されるか…という意味です)

よっしーずボイスでもHDS-R関連の記事を複数書いています。
もしよかったらご参照ください。

「HDS-Rは対象者を傷つける」

「HDS-R 答え方にも注目」

「HDS-Rの終わり方」

「ふだんの会話の中での視点」

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記憶の連続性の低下

記憶の連続性の低下SDATでは、中核症状の根幹は記憶の連続例の低下です。
近時記憶が障害されます。

今、その場で話したことは了解できるけれど
遠い昔のこともよく覚えているけれど
昨日のことは忘れてしまう
病状が進行すると、5分前、1分前のことも忘れてしまいます。

記憶のトレーニングが可能なのは
そのずっと前の状態にある方に対してで
このような状態像の方には
忘れてしまってもその人らしく暮らししていくために
どうしたらいいのか…を考えることのほうが重要です。
そのために
記憶の連続性の程度を把握している必要があるのです。

どのぐらい記憶の連続性が保たれているのか
内容によって連続性が異なるのかどうか
…これらは現状の困難の把握です。

でも、これだけではまだ片手落ちです。

困った時にどう対応する方なのか…をみておくことが肝要です。

自分でなんとかしようと努力工夫する方なのか
誰かに助けを求められる方なのか

表面的にあらわれる混乱や困難というものが
実は、自分で何とかしようとした結果
起こっていることだったりすることがままあります。

見た目に困ったこととしてあらわれることを
ただ単に注意したり咎めたりしても
対象者の方にとっても周囲の介助者にとっても
現実的には何のプラスももたらさないのです。

どこまでが
努力しようとした意図として行われていたのか
どこから
何をきっかけとして
その意図がズレてしまったのか

記憶の連続性の低下とともに
課題解決への対応のパターンをみていくことが重要です。

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中核症状とBPSD

中核症状とBPSD認知症の症状には大きくわけて2つの症状があります。
中核症状とBPSDです。

BPSDとは、Behavioral and Psychological Symptoms of Dementiaの略で、直訳すると認知症の精神行動症状になります。
内容的には、徘徊、暴言暴力、介護拒否、異食などの状態像を意味します。
かつて、周辺症状と言われていましたし、その昔は問題行動などと呼ばれていた時代もありました。
1996年に国際的に呼称を統一しようと決定され、以来、日本でも厚生労働省のHPや認知症の人と家族の会でもBPSDという言葉が使われています。

私は時折、地域の公民館などでお話させていただくこともあるのですが
そのような時にもBPSDという言葉を使っています。
すると、必ず頷きながら聞いている方がいるのです。
BPSDという言葉を知らない…という人もいるかもですが、一般の人でも知っている言葉を専門家と呼ばれる私たちが知らない…というのは、ちょっと恥ずかしいことかも。ですね。

一方、中核症状というのは、記銘力低下、抽象思考力低下などの状態像をさします。
SDATアルツハイマー型認知症の場合には、中核症状は必発しますが
BPSDは、ある方もない方もいます。
また、中核症状は重度でもBPSDは軽度だったり、逆に中核症状は軽度でもBPSDは重度ということもよくあります。
このあたりは、身体障害とは異なるところです。
中核症状が軽度の時には、記銘力低下を明確に自覚できるが故に、将来を悲観したり、不安感が高まり情緒不安定になったり、ひきこもったり怒りっぽくなることもあります。
また、そのような時期には周囲に病気としての認識がない場合も多く、本人の性格のせいにされて関係性が損なわれてしまうこともあるようです。

「さっきも同じことを言ったでしょう」
「どうして同じことを言うのかしら」

お気持ちはお察ししますが、このような言葉は百害あって一利無しです。
片麻痺のある方に対して
「どうしてその手は動かないのよ」と言うようなものなのです。
でも、片麻痺のある方に対しては誰もそんなことは言いませんよね。

まだまだ、「認知症=ヘンなことを言ったりしたりする人」という誤解も多く
知識がないために、余分に苦しんだり困惑したりする場合も多いのが現実のように感じています。

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認知症とは

認知症とは「認知症」とよく一言で言いますが
実は、認知症という単一の疾患名はありません。

認知症という状態像をひきおこすさまざまな疾患があるのです。
(たとえば、ADアルツハイマー病やDLBレビー小体病など)
認知症…というのは、いわばそれらさまざまな疾患の総称です。

巷では、認知症に対しての対応マニュアルの本などをたくさん見かけますが
うーん、どうなんでしょう。
認知症を引き起こす疾患によって状態像はさまざまです。
Aさんに対して有効なことがBさんに対して有効でないことはヤマほどあります。

どのように対応したらいいのか…という切実な問いは
実は、単に答えを求めているのではなくて
どのように考えたらいいのか…という問いの、カタチを変えたもうひとつの問いなのです。

私たち専門家と呼ばれる者は
その時その場のその関係性において
どのように感じ、考え、対応したのか
説明できる責任を常に負っていると考えています。

そのためには
どのように考えたらいいのか
…という根拠の1つとしての
疾患や障害に対する知識は必須です。

このカテゴリーでは、
認知症を引き起こす病気と障害像について
とっかかりとなるような導入的な知識を体験談とあわせて書いていきます。

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