案外、現実の罠に陥ってしまっていることが多いと思う。
「すぐに怒り出すAさん」
「なかなか立ち上がってくれないBさん」
「徘徊しているCさん」
etc.etc.。。。
でも、そう言う言葉を使うことによって
怒ってない時のAさん
すぐに立ち上がるBさん
徘徊してないCさん
を見落としちゃうんだよね。。。
BPSDが「解決」すると
たとえ、「問題」を内在していたとしても
予防的な対応ができなかったりしちゃうんだよね。。。
言葉って、扱う人の意識が投影されてるから。
7月 30 2012
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7月 20 2012
の記事で、現行よく言われている「褒めてあげる」という言葉への違和感を書きました。
1年以上前の記事ですが、最近になってその違和感を振り返れるようになってきたので、改めてとりあげてみたいと思いました。
そもそも、「褒める」ことは目上の人が目下の人に向かってすることで目下の人が目上の人に対してすることではない。だとすると、お年寄りに対して「褒める」ことを励行する時点で非常に失礼なのではないかと感じていました。また「寄り添って」「その人らしさを尊重して」という言葉の真意としての「尊敬」という概念と矛盾するのではないかとも思いました。
人間が生きていくうえでさまざまな矛盾を抱えているのは、この年になればさすがにわかりますけれど(^^; よりよいサービスを提供する…ということを考える時に、最低限考えられる限りは整合性のあるものを提供して初めて矛盾ある生に向き合えると考えていますので、現行よく言われている「褒めてあげることが大事」というスローガンはおかしい。と思っています。
また、神奈川県作業療法士会ニュース147号
http://kana-ot.jp/wpm/news/files/2011/07/147.pdf
の8-9ページに掲載されているインタビューで失敗談として取り上げていますが、私たち職員がどんなに褒めても、ご本人自身が落ち込んだ気持ちは変わらなかった…という体験をしています。
「褒めてあげることが大事」とよく言われているけれど、それは違う。
でも、概念としては違っている言葉が、何故こんなに流行しているのか。
こんなに流行しているのは、何かしらの意味があるから出回っているのではないだろうか…と考えました。
本当によくない言葉なら、みんな使わないだろう…とも思ったのです。
人口に膾炙するからには、それだけの理由があるはず。
もしかしたら、この言葉のどこかに何か重要な本当に大事なことが含まれていて、たまたま褒めるということと似ている概念があってそれがすり替えられて言い伝えられているのではないか。と思い至りました。
そこで思いついたのが「確認」です。
「それでいいんだ」と伝えること。
認知症のある方は記憶の連続性が低下しているので、自分の言動の根拠を過去の記憶と照合することが困難になります。
果たしてこれで本当によいのかどうか、自信がない。
自分だけでは判断するべき「根拠」がわからない。
だから、誰かにそれでよいのだと言われて安心する。
とりわけ、確証が得られやすいのが、褒められる…ということだったのではないかと。
だとしたら、尊敬するということと矛盾しません。
言葉に敏感になる…ということは概念に明敏になるということだと考えています。
言葉の限界はあるけれど、だからこそ言葉を意図的に明確に扱えるようになりたいと考えています。
本当は
「褒めてあげることが大事」
なのではなくて
「それでいいんだと伝えることが大事」
だったのではないでしょうか。
今はそう考えています。
でも、私の経験では
認知症のある方ができなかったことができるようになった時
褒める…なんて心理的距離のあることじゃなくて
本当にうれしいから、ともに喜ぶ!感じなんですけどね。
その人自身の能力と特性が
その人自身の日々の暮らしの困難を乗り越えていく
その過程をともにした者としては、まずうれしい!とにかくうれしい!本当にうれしい!
…のです。
だから、今は
過程において、それでいいのだと伝える。
結果において、ともに喜ぶ。
そう考えています。
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2月 23 2012
ふだん、何気なく使っている言葉をちょっと考え直してみる
これって、とても大切なことだと思います。
たとえば…
「対応を話し合う」にあげた、「車いすを押しますよ」という言葉
たぶん、とてもよく使われている言葉だと思うけれど
案外、無自覚に使われている言葉でもあると思います。
どういうことかというと…
「車いすを押しますよ」は、意思表示の言葉。
通常の会話なら、この言葉を聞けば
相手の意思表示→自分が座っている車いすが押される→自分が動かされる
と推測してもらえるけれど
認知症のある方の場合、この推測するということが困難な方もおられます。
「車いすを押しますよ」という言葉は聞こえているけれど
聞こえた言葉から自分の身に次に起こる状況を予測することと結びつけられない。のです。
そういう場合には、援助の言葉を使います。
「○○さん、動きますよ」
と、これから起こる状況を説明しながら伝えるのです。
ほとんどの人は
食事介助する時に「ご飯を食べさせますよ」とは言わないものです。
たいてい、「お食事しましょう」「食べましょう」という言葉を使っていると思います。
意思表示の言葉と援助の言葉
私たちは実は無自覚のうちに使い分けているのです。
でも、無自覚だからこそ
使っている言葉が意図せずに伝えていることに気がつけない…
認知症のある方の混乱や情緒不安という
「障害」や「問題」として現在扱われているコトの中に
実は、私たちの無自覚な言葉が
意図せずにもたらしてしまっているコトが含まれているのではないかと考えています。
だから
私たち自身が私たちが扱う「言葉」を
もっと自覚的に使い分けられたらいいんじゃないかなぁ…と思うのです。
「声かけは大事」
誰だってそう言うし
そのことに関して否定する人はいないと思うけど
声をかけりゃあいいってもんでもない(^^;
それなのに、具体的に現実的には
あんまり検討されてこなかったように感じられてなりません。
一般的な抽象論として考えるのではなくて
その時その場のその人にとって
理解しやすいように言葉を意図的に使うということを
具体的に自覚して実行することが大事…なんだと思うのですが。
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2月 08 2012
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10月 26 2011
「そういうことはしないって約束したでしょう」
この言葉に遭遇するたびに、ヘーンなの!…って思っちゃいます。
だって、ケアやリハの場面で「約束」する時って
たいてい、通常の対応でどうにもならないから使われることが多いと思う。
つまり、どうしようもないから最後の印籠として登場する(^^;
だけど、どうしようもないものだから
結局、約束は破られ、対象者の方は二重に叱られる。
「待ってるって約束したでしょう」
「そういうことはしないって約束したでしょう」
「どうして約束したのに守らないの」
おいおい…(^^;
できもしないことをさせてるのはどっちなんだい?
しかも、対象者の尊厳を二重に損なってしまっているのに…
そもそも、約束って、自分で自分に誓うもの。
誰かにさせられるものじゃない。
「○○様」とか何とか言うより先に
対象者の方に対して約束なんかを持ち出さずにすむように
対応の工夫を私たちが考えるほうが先なんじゃないのかなー?
と思うのであります。
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9月 20 2011
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6月 30 2011
「認知症の作業療法」
うーん???
ヘンなの。
認知症のある方へ作業療法をすることはできるけど
認知症というコトへ対して作業療法なんてできないんだけど(^^;
そんなわけで私は
講演の依頼を受ける時に
こっそりパワーポイントのタイトルを変更することもあれば(^^;
依頼者にきちんとお話をして講演のタイトルそのものを変更していただくこともあります。
こういうことって、実は何でもないことのようでいて、とっても重要な問題だと感じています。
何気なく使っている言葉に概念の根本が投影されてしまう…。
私たちは、言葉を意識化することで概念に明敏になることができます。
それって、リハビリテーションの依って立つ根拠でもありますよね?
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6月 30 2011
最近、よく耳にするこの言葉。
「認知の人、認知のある方」
うーん…???
認知症のある方のことを指して言っているのはわかりますが(^^;
ヘンな言葉です。
だって、日本語として考えれば、
いいじゃありませんか。
認知があって。
なのに
言ってる言葉と意味している言葉とで意味が真逆になるのに使われている(^^;
私は、時々、地域の公民館などで地元の方を対象として、
認知症予防や認知症のある方への対応について
お話をさせていただく機会があります。
以前、講演後に参加者の方に言われたことがあります。
「認知の人って言葉を聞きますが、あれってヘンな言葉ですよね」
適切に言葉を扱えないと
そのギョーカイの概念の扱い方まで疑われてしまいかねません。
「認知症の人、認知症のある方」
言葉は正しく扱いたいものです。
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