Tipsに使われるのではなく
Tipsを活かせるように
認知症のある方への対応は
対応の意図のベクトルが伝わる
同じTipsを使っていても
意図がControlならば活かされないし
意図がRe-Habilisであれば活きるのだと思う
Tipsの善し悪しではなくて
Tipsを扱う人の意図の適否なのだと思う。
12月 18 2012
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12月 14 2012
認知症のある方への対応について
常識のように流布している言葉であっても
違和感を抱く言葉って結構あります。
なじみの関係をつくる
この言葉もその1つ。
中核症状が軽ければ
対象者の方が気配りしてくれた結果として
なじみの関係を作ろうと思って作ることも
可能かもしれませんが
中核症状やBPSDが重度になると
なじみの関係を意図して
毎日挨拶にいったりしても
なかなか困難なのではないでしょうか?
なじみの関係は
対象者の方から信頼された結果としてできる
ものであって
目的として行動するのは
実は、対応の意図のベクトルとしては真逆なんだと思う。
信頼されるような対応ができるためには
能力と障害と特性を適切に把握できて
初めて可能なことだと感じています。
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2月 23 2012
ふだん、何気なく使っている言葉をちょっと考え直してみる
これって、とても大切なことだと思います。
たとえば…
「対応を話し合う」にあげた、「車いすを押しますよ」という言葉
たぶん、とてもよく使われている言葉だと思うけれど
案外、無自覚に使われている言葉でもあると思います。
どういうことかというと…
「車いすを押しますよ」は、意思表示の言葉。
通常の会話なら、この言葉を聞けば
相手の意思表示→自分が座っている車いすが押される→自分が動かされる
と推測してもらえるけれど
認知症のある方の場合、この推測するということが困難な方もおられます。
「車いすを押しますよ」という言葉は聞こえているけれど
聞こえた言葉から自分の身に次に起こる状況を予測することと結びつけられない。のです。
そういう場合には、援助の言葉を使います。
「○○さん、動きますよ」
と、これから起こる状況を説明しながら伝えるのです。
ほとんどの人は
食事介助する時に「ご飯を食べさせますよ」とは言わないものです。
たいてい、「お食事しましょう」「食べましょう」という言葉を使っていると思います。
意思表示の言葉と援助の言葉
私たちは実は無自覚のうちに使い分けているのです。
でも、無自覚だからこそ
使っている言葉が意図せずに伝えていることに気がつけない…
認知症のある方の混乱や情緒不安という
「障害」や「問題」として現在扱われているコトの中に
実は、私たちの無自覚な言葉が
意図せずにもたらしてしまっているコトが含まれているのではないかと考えています。
だから
私たち自身が私たちが扱う「言葉」を
もっと自覚的に使い分けられたらいいんじゃないかなぁ…と思うのです。
「声かけは大事」
誰だってそう言うし
そのことに関して否定する人はいないと思うけど
声をかけりゃあいいってもんでもない(^^;
それなのに、具体的に現実的には
あんまり検討されてこなかったように感じられてなりません。
一般的な抽象論として考えるのではなくて
その時その場のその人にとって
理解しやすいように言葉を意図的に使うということを
具体的に自覚して実行することが大事…なんだと思うのですが。
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