ふだん、何気なく使っている言葉をちょっと考え直してみる
これって、とても大切なことだと思います。
たとえば…
「対応を話し合う」にあげた、「車いすを押しますよ」という言葉
たぶん、とてもよく使われている言葉だと思うけれど
案外、無自覚に使われている言葉でもあると思います。
どういうことかというと…
「車いすを押しますよ」は、意思表示の言葉。
通常の会話なら、この言葉を聞けば
相手の意思表示→自分が座っている車いすが押される→自分が動かされる
と推測してもらえるけれど
認知症のある方の場合、この推測するということが困難な方もおられます。
「車いすを押しますよ」という言葉は聞こえているけれど
聞こえた言葉から自分の身に次に起こる状況を予測することと結びつけられない。のです。
そういう場合には、援助の言葉を使います。
「○○さん、動きますよ」
と、これから起こる状況を説明しながら伝えるのです。
ほとんどの人は
食事介助する時に「ご飯を食べさせますよ」とは言わないものです。
たいてい、「お食事しましょう」「食べましょう」という言葉を使っていると思います。
意思表示の言葉と援助の言葉
私たちは実は無自覚のうちに使い分けているのです。
でも、無自覚だからこそ
使っている言葉が意図せずに伝えていることに気がつけない…
認知症のある方の混乱や情緒不安という
「障害」や「問題」として現在扱われているコトの中に
実は、私たちの無自覚な言葉が
意図せずにもたらしてしまっているコトが含まれているのではないかと考えています。
だから
私たち自身が私たちが扱う「言葉」を
もっと自覚的に使い分けられたらいいんじゃないかなぁ…と思うのです。
「声かけは大事」
誰だってそう言うし
そのことに関して否定する人はいないと思うけど
声をかけりゃあいいってもんでもない(^^;
それなのに、具体的に現実的には
あんまり検討されてこなかったように感じられてなりません。
一般的な抽象論として考えるのではなくて
その時その場のその人にとって
理解しやすいように言葉を意図的に使うということを
具体的に自覚して実行することが大事…なんだと思うのですが。
4 個のコメント
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初めまして、takeです。
声掛けって大事ですよね。
言葉を発するからには、自分の言葉に責任を持たなくちゃいけないし、無意識にいうのは対象者に不憫な思いをさせてしまいますよね。
例えば入浴の時、入浴拒否の方に対して、お風呂という言葉を使わずに「着替える」、とか「ちょっとあっちに行きましょう」、という言葉に置き換えています。
その場しのぎではあるし、はたから見ればおかしい場面です。
何と言ってよいか困っています。
takeさん、初めまして。
コメントありがとうございます。
現実には、職員の無自覚な声かけが対象者の混乱を助長してしまっていることが少なくないにもかかわらず、そのことについても気がついていない…というケースが多々あるように感じています。
入浴を拒否される方も多いようですが
実際、湯船につかってまで嫌がられる方はそんなに多くはないように感じていますが、いかがでしょうか。
そうなると、入浴そのものの拒否ではなくて、入浴に関連する何らかの部分に拒否を示している…と言えると思います。まず、それがどの場面なのか明確にする。
そしてその場面がどのような状況なのか確認する。
(このあたりがあまり為されていないように感じています)
対象者の能力と障害からその場面をどのように受け取っているのか推測する。
…そこで初めてどう対応したらよいのかという方向性が見えてくると考えています。
また、もしも入浴そのものを嫌がられているとしたら、生活歴も含めてその方が入浴をどんな風におこなっていたのか確認する。
その方が入浴そのものを嫌がっているという部分にこちらが共感をもてたうえで入浴することの気持ちよさの体験の工夫に思いが至るとまた違う展開があるように感じています。
こちらの意図として「どうしたら入浴させることができるのか」ということと「どうしたら気持ちいい入浴体験の援助ができるのか」の違いを明確にしておくことが本当に重要だと感じています。
よっしーさん、ありがとうございます。
職種を名乗っていませんでした、すみません。
OT2年目になります。
ほとんどの日本人は風呂に入るという習慣があるので、湯船につかって温まるという行為は嫌いでないと思います。
入浴拒否をしている方を少し観察させていただいた所、現在はお風呂場へ昼ごろから「無理やり行かされて」います。おそらく、その時間には入らないという意識があるのだと思います。
浴槽に入っている間は大丈夫ですが、脱衣所への移動~更衣までに不安がらせています。
その方がよくおっしゃっている言葉が「なぜ?」「いやだ、いかないよ。」です。
この言葉の裏には、「今はまだ行かない」という言葉が隠れているのではと考えています。
それでも、職員はその言葉を受け入れず脱衣所へ向かいます。
その方が浴室へ行くまで様子を観ていましたが、更衣の最中も職員の手を叩いてしまっています。
裸になってしまうと浴槽に入るしかないのか、落ち着かれるそうです。(入浴担当の介護士談1)
別の利用者で、入浴拒否があって説明をしても認知のゆがみの影響から「入ったよ」と言われてしまい、言葉に詰まったそうです。結局、その方は翌日に清拭をされていました。(入浴担当の介護士談2)
「家で入るからいいよ。」とおっしゃる方がいます。(通所、ショート利用者が多い。)そういう方に対して、家族を引き合いに出したり(家の人に頼まれてるから)、言葉を置き換えたりしています。(入浴担当の介護士談3)
入浴時間を遅らせるか、夜間入浴は出来ないか看護介護長にも聴いてみましたが、断られました。
夜勤者の人数が足りない、時間をずらすと食事時間にも影響が出ると。
こうなると、ウチの施設のシステムを整えていかなければ難しいのでは、とも考えています。
言葉かけの方法、スピーチロックの弊害・・・など、カンファレンスなどの場で伝達をしていく必要がありそうです。
takeさん、返信ありがとうございます。
>ウチの施設のシステムを整えていかなければ難しいのでは
うーん…気持ちはわからなくもないですが、焦り過ぎです。
一足飛びどころか十足飛びくらい飛んでいますよ(^^;
OTとしてやるべきこと、できることはまだまだたくさんあります。
まず、takeさんが事実と推測を混同していて、確認すべきことをきちんと確認していないことがたくさんあります。
該当の方の記憶の連続性やワーキングメモリ、言語理解力や言語操作能力についておそらく評価が曖昧だと思われます。
(きっちり評価が為されていれば表現方法が異なってきます)
提示された方のようなケースはとても多いのですが、入浴以外でも似たようなことが起こっているのではありませんか?
そのような方に対して、OTがアプローチすることで、入浴時の声かけに対する抵抗感が結果として減少することはたくさんあります。
takeさんが今考えるべきことは、介護職の入浴時の方法論の改善を考えることではなくて、OTとして、すべきことできることをきちんと行うことのほうが先だと思います。
>カンファレンスなどの場で伝達をしていく必要がありそう
もしそう考えるなら、takeさん自身がピンポイントで具体的現実的な改善案を言語化できていることが必要です。抽象的な理想論として総論的なことしか言えないようであれば、現実を改善していくことができないばかりか、OTと看護介護職との連携を乱してしまうおそれがあるだけでなく、takeさん自身の信頼性にも関わってくることです。
最後に…
このコンテンツの「著者の紹介」の《免責・著作権》に書いてあるとおり、この場では個別のご相談に具体的に応じることは困難です。もしもそれをお望みなら別の場…例えばこちらの勉強会などをご利用ください。
http://kana-ot.jp/wpm/lecture/post/292
ただ、今回のようにコメントをいただければ、どんな内容の記事を書けば、読んでくださる方の(ひいては対象者の)役に立つことができるのか…ということがよくわかります。
個別の案件に具体的にアドバイスをすることは困難ですが、ふだん臨床でお困りのことがあればどしどしコメントをお寄せください。
いただいたコメントをもとに、対応や考え方の方向性などできるだけ一般化したカタチで記事を書いていこうと考えています。
これからもよろしくお願いします!