Tag: 環境適応

ICFで対応する

対象者は
現在の横軸
過去からの縦軸
輻輳した関係性の中に「在る」

だからこそ
相互関係論である
ICFで評価・アセスメント・見立てをし
ICFにのって対応するということが必要なのだと考えています。

VFやVEによって
嚥下の状態を明確に把握できる機会が増えたということはとても良いことだと感じています。
ただ、「今、そうだ」ということは言えても
原因なのか、結果なのか
的確に判断することが必要だと考えています。

脳血管障害のようなエピソードがあれば原因と判断できても
特段のエピソードがない、高齢者や認知症のある方の場合には
原因ではなくて、結果であることが非常に多いという体験をしています。

認知症のある方の
能力低下が原因ではなくて
私たちの不適切なスプーン操作の結果として起こっている。
だからこそ、私たちが介助を変えれば
認知症のある方の食べ方も変わる。

主治医が「この方の大脳新皮質はコピー用紙1枚の厚さしかない」と言う方でも
食事介助の場面だけで食べ方が変わる。

誤嚥性肺炎を再燃せずに
摂取時間も大幅に短縮し
食べこぼしもなく
対象者の方も
介助する人も
お互いラクに行えるようになる。

このことは、もっとたくさんの方に知っていただきたいことですし
もっと重要なことは
「不適切な環境へ適応しようとした結果として起こる。過剰代償の結果として起こる」
ということが食事介助の場面でだけ起こっているわけではない
同じコトが違うカタチで現れていることがたくさんある。
ということを知っていただきたいと思っています。

どんなに良心的な職員でも
知識がないために
あるいはケアの常識に囚われてしまうと
「見れども観えず」になってしまっていることがたくさんあります。

観るポイントがわからなければ観ることはできません。
観ることができるように
このブログに具体的なポイントを記載していきますし
講演の時にはもっと明確にお伝えすることができます。
私の本の中にも記載してあります。

周囲にかけられたメガネを外して
目の前にいる人をまっすぐに観ることから始めれば
新たな発見がたくさんある。
常識として言われていたことは新たな概念のごく一部だった。
つまり今までの常識をさらに包含するような新たな概念を発見できることだってあります。

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パワーによる代償:全介助

食事全介助の方でも
同じコトが違うカタチで起こっています。

開口した時に舌が後の方に丸まってしまっていたり
口角から食塊が溢れたり
舌をスプーンの背で押した時に硬い抵抗感があったり
嚥下していないのに開口したり
これらは、対象者の方の能力低下ではありません。
適切なスプーン操作をするだけで解消される状態像です。

単に「食べさせる」「口の中に入れる」介助をしているだけでは
このような状態像を見過ごしてしまいますが
全介助の方でも食べ方は本当にいろいろです。
どんな風に食べているのか、観察することが重要で
観察もせずに「ゆっくり時間をかけた介助」が良いわけではありません。

たとえ時間をかけたとしても、
「何を確認しながら介助しているのか」自分の中でわかっていなければ
「見れども観えず」
自己修正が効きません。
大切なポイントを見過ごしているという意味では
時間をかけない介助と同じ結果になってしまいます。
「意味の理解」で書いたことと
同じコトが違うカタチで起こっているだけだと感じています。

クリスティーン・ブライデンが言ったように
「異常な環境には異常な反応が正常だ」

私たちは
認知症があろうがなかろうが
身体障害があろうがなかろうが
常に総体として環境適応しています。

養成課程において明確に学ぶ機会がなかったために
結果として職員が不適切なスプーン操作をしていれば
対象者の食べ方の巧みさ、細かな筋肉の多い口腔内の筋の協調はすぐに低下してしまう。
低下した協調を補おうとしてパワーで代償する。
舌の柔軟な動きが発揮できなくなってしまう。
代償が効いている間は不適切なスプーン操作にも適応できているが
代償では応じきれなくなり、結果として誤嚥が起こり、肺炎に至ってしまう。

特に
舌をスプーンの背で押した時に感じる「堅さ」「抵抗感」については
舌の過剰筋緊張が考えられます。

上の歯でこそげ落としたり
食べようとしている、そのタイミングに合わせて舌を押せなかったり
といった不適切なスプーン操作が行われれば
「食べにくい」と感じて
口腔内の筋の協調が低下した状態で
食べようとするならば、頑張ってパワーで代償するしかない
その結果として、舌が硬くなってしまう
そうすると、ますます、不適切な介助を引き起こし、
ますます口腔内の筋の協調が低下し
ますます、パワーで代償し。。。
悪循環が起こり、結果として、誤嚥性肺炎になってしまう。。。

だとしたら
回避すべき不適切なスプーン操作とは何か
望ましいスプーン操作の基本は何かを
明確に学ぶ機会がありさえすれば現実は変えられる。
認知症のある方は、ラクに安全に食べられるようになるし
介助する人は、ラクにスムーズに安全に早く介助ができるようになります。
誤嚥性肺炎は確実に減らせると確信しています。

変えようと思えば今すぐにでも変えられることです。
そして今まで知ることもなかった
認知症のある方の能力に触れる入り口になることを強調したいと思います。

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巧みさの発揮と環境

向こう側が透けて見えるカンナ屑
どれほどの技術があったら、こんな風に削れるのでしょうか。

   

新神戸駅近くにある竹中大工道具館で展示されています。
写真撮影OKの博物館です。
鉋、鑿など、たくさんの種類が展示されていました。
対象と用途に応じて道具を使い分けていることを感じ入りました。

さて、本題です。

前の記事で
食事後に指にスプーンの跡がクッキリと残ってしまった方に
スポンジを差し込んだスプーンを使っていただきました。
スプーンの把持の仕方が異なっています。
食事後に指にスプーンの跡が残ることもありませんでした。

身体能力としての巧みさが発揮できるためには
道具を含めた相応の環境が必要だし
道具を使いこなせるためには身体能力としての巧みさがどの程度あるのかという判断が必要です。

大工さんが
たくさんの道具を揃える一方で
道具を使いこなせるための身体能力を育むための修行期間が必要で
その期間の長短よりも実際にできるようになることが大切だという記載を
宮大工さんの本で読んだことがあります。

認知症やその他の障害があると
今までできていた身体能力を発揮しにくくなるから
身体能力に合わせた環境としての道具の工夫が求められるのだと思うし
仮にその環境整備が為されない時には
自らの能力として使えるパワー、力任せに頼った能力を発揮してでも
頑張って「食べる」という行為遂行しているのだと思う。

末梢の過剰な筋収縮が
近位の筋の過剰収縮をも引き起こすことによって
肘周囲の筋の過剰代償の結果として、口元までのリーチがおろそかになってしまったり
首周囲の筋の過剰代償の結果として、誤嚥を招きやすくなってしまっている
といった可能性は十分にあります。

だとすると
「今」自力摂取できているからといって安易に「問題なし」という判断をするのではなくて
将来を見越して
「より長く」自力摂取できるように
「より安全に」食べられるように
パワーによる代償をせずに、
持っている巧緻性・協調性を発揮しながら食べられるように
「今」スプーンの工夫をすることが必要なのだと考えています。

施設にしても病院にしても
道具を含めた多様な環境整備には限界がある。
現実として多様性をどこまで整備できるのかは施設によりけりでしょうけれど
少なくとも、その暗黙の前提要件を抜きにして
一方的に、安易に、対象者のせい…「高齢だから」「認知症だから」「能力低下してるから」
にしてはいけない。
抽象的に曖昧な認識のまま対象者の状態像のせいにしてしまうことではなくて
物理的現実的に今すぐの対応が難しいのだという
現実を直視した認識ができることだと考えています。

また、「適切な」道具選択という意味でも
自力摂取の評価・アセスメント・見立てができる職種として
作業療法士の関与が求められていると感じています。

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パワーによる代償:スプーン把持

イメージ_スプーン

まずは、食事を自力摂取できている方から説明していきます。
認知症があってもなくても同じコトが起こっていると感じています。

さて、本題に戻って。。。
食事を自力摂取している方は
往々にして手指の巧緻性や協調性の低下を
抹消や上肢の中枢部の過剰筋緊張によって補おうとして頑張りすぎて食べている。
最初は「問題」がなくても
パワーによる代償は将来の上肢の各関節間の協調を低下させてしまう。
そういうケースが非常によくみられています。

一人の対象者の方を長くみている方は経験があるはずです。
最初は自力摂取できていたのに、特別なエピソードがあったわけでもないのに
いつの間にか、食べこぼしが多くなり、口元へ運べなくなり、全介助になり、ムセるようになり。。。

多くの場合に
対象者の「老化」「能力低下」のせいにされてしまいます。
でも本当にそうなのかな?

ちょっと食べこぼしがあったり、摂取に時間はかかっても
自力摂取できていると、その人がどんな風にスプーンを把持しているかということは案外見過ごされてしまいがちです。
実際には、ものすごい把持の仕方をしている方がたくさんいらっしゃいます。
自力摂取できているからといって対応しないでいると
そう遠くない将来に全介助になってしまうリスクの高い方達でもあります。

つまり
スプーンで自力摂取の可否だけを観るのではなくて
どんな風に、というHowの部分を観る
ノーマルかアブノーマルかという視点ではなくて
過剰代償していないか、頑張り過ぎていないか、という視点で観察することの重要性を強く感じています。

よくあるのが
お食事後に手指を見ると
スプーンの跡がくっきりと指に残っているという方。
とてもたくさんいらっしゃいます。
つまり、スプーンを「持つ」のではなくて、指にグッと力を入れて「握って」います。

身体は総体として働いている
環境との相互作用を行なっている

私たちの身体は無意識にも機能しています。

試しに親指と人差し指、親指と中指で丸を作るように指先をつけた状態で
指先にぐーっと力を入れてみてください。
意識的に力を入れているのは指先であっても
肘の周りの筋肉や首に勝手に力が入っているのを感じることができると思います。

極論すると
こんな風にしてでも食べているということになります。

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必然・相互関係

誤嚥性肺炎などで絶食期間があれば
経口摂取で必要水分・栄養量の最低限が担保されるまでは
最低、その絶食期間と同じ日数を考慮しています。

絶食前に
誤介助誤学習があれば、さらに能力復帰までには日数がかかってしまうし
脱水や低栄養、貧血などがあったり
経過において過度な離床で体力消耗があれば、さらに日数がかかってしまう。
(離床設定の問題については後日改めて)

何事も必然がある

現状は
現在の相互関係の結果であり
過去の相互関係の結果でもある

縦軸・横軸の輻輳した関係性の中に「イマ」がある

だから
「今」「私」が変わる「意義」がある

そのことの意味が本当にわかると
一見、その場では、大きな過誤が起こっていないように見えることでも
徒や疎かにはできなくなる。

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口腔ケアに再び協力ー「具体的に」

視覚的理解力は保たれている方が多いので
歯ブラシを見ていただくようにしています。

食後すぐに歯ブラシを見た方が理解しやすい方もいれば
時間を置いても歯ブラシを見れば理解できる方もいます。

その人の理解しやすい状況で
声かけをしてすぐに歯ブラシやスポンジを口腔内に入れるのではなくて
必ず口元で一旦手を止めて
歯ブラシを視覚的に見てもらってから声をかけます。

開口を促す声かけはいろいろです。
その人の理解力に応じて言葉を選びます。
「歯磨きしましょう」
「口を開けてください」
「〇〇さん、歯磨き」
「〇〇さん、あー!」

時々
「認知症のある方にも口を開けてくださいと言いましょう」
というようなスローガンを見かけますが
一律に声かけが規定されるなんておかしいと思います。
もちろん、通常のそういった声かけで理解できて協力できる方もたくさんいらっしゃいますが
そうでない方もまた多くいて、ケアする人も困って苦労しているのではないでしょうか。

認知症のある方の理解力は様々なのに
声かけを一律に規定してしまえば
「一人一人に寄り添ったケア」という理念の実践ではなくなってしまいます。
大切なことは、目の前にいる方のケアが介助を受ける人にとっても介助する人にとっても
スムーズに行えることではないでしょうか。
アセスメントを伴わない「〇〇すべき」論は、本末転倒だと考えています。

話を元に戻して。。。
声かけだけでは、開口が難しい場合には、Kポイントを刺激します。

声かけをする時には
感覚と感情に働きかける言葉を使います。
「虫歯にならないように歯磨きしましょう」ではなくて
「口の中がさっぱりします」
「今は気持ち悪いかもしれませんが、後が気持ち良くなるからこらえてください」
「口の中が綺麗にスッキリしますから、ご協力お願いします」
などと言います。

歯をブラッシングしている時も
歯のない方は口腔内を拭っている時にも
「口を閉じないで」「噛んじゃダメ」ではなくて
「もう少しで終わるから、こらえてください」
「気持ち悪いけど、頑張って」
「そうです。そのまま、口を開けていて」
という声かけを続けます。

多分、意外に多くの人が見落としているのが終わり方だと思います。

「終わりよければ全て良し」「新近効果」という言葉もありますが
私は終わり方には気をつけています。

大声を出し続けたり、歯を食いしばったり、指を噛もうとして
力を入れ続けたままで口腔ケアを終えることがないように
最後に歯茎や歯の表面をゆっくりそっと拭うと
大抵の方の力がふっと抜けます。
力が抜けたことを確認してから
「これで終わりです」
「もう嫌なことはしません」
「はい、終わり」
「ご協力ありがとうございました」
「おしまい。嫌なことしてごめんなさい。堪忍ね」
などという言葉を使います。

私が対象としている重度の認知症のある方でも
オーラルジスキネジアがあったり
噛もうとし続けたり
Kポイントの刺激で指が痛くなったりするような方でも
ほとんどの場合、ふっと力を抜いて終えることができます。

私は大切なことだと感じているから実践しています。

食事介助で無理やり口の中に食塊を突っ込んでも
食べられるようにはならないのと同じように
口腔ケアでも無理矢理介助をしても
ケアに協力してくれるようにはならない

それは
認知症のある方がわからないから。ではなくて
認知症のある方の能力を介助する側がわからない。からなんだと思う。

だとしたら
私たちが認知症のある方の能力を
把握、評価、アセスメントすることができさえすれば
状況は確実に変わる。

食事介助が変わり
口腔ケアが変われば
誤嚥性肺炎は確実に減らすことができる
呼吸が苦しくて辛い思いをする方を減らすことができる
私は確信しています。

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口腔ケアに再び協力ー「PDCA」

重度の認知症のある方で
口腔ケアの時に
開口を維持するのが難しくて
介助者の指を噛んでしまうような方に対して
細心の注意を払ってケアしていると思う。

Kポイントを使って
開口を維持して
手早く口腔ケアして
その間も大声を出されたり指を噛もうとしているから
終わり次第、さっと指を抜くしかない
という場合も多いかもしれません。

オーラルバイトもあるけど
虫歯のある箇所で使ってしまうと
歯が折れて誤嚥してしまう恐れもあるから
安易に使用せずに、使用前にはグラグラしている歯の有無は確認しておく必要もあります。

ただ
前の記事で書いたように
本当に重度の方で開口保持するのが難しい方が(状態像の詳細は書けませんが)
再び意図的に開口しようという能力を発揮できるようになるということの意味を考えると
「食事介助で起こっていることと同じコトが違うカタチで起こっている」だけだと感じます。

場面に対して不適切言動が起こる時には必然性がある

認知症という脳の病気によって起こる
状況理解力の低下(低下であって喪失ではない)という本人が抱える課題

認知症のある方に対して
能力にどう働きかけるかという工夫ではなくて
優しく丁寧に快適にといった心理社会的な抽象的な方策にとどまってしまっている
という介助者側が抱える課題

これらが輻輳して「口腔ケアの困難」という現れ方をしている
と考えています。
食事介助で起こっているコトとまったく同じ。

食事介助において
不適切なスプーン操作に適切に適応しようとした結果不適切な食べ方を学習する。
いわば、「誤介助誤学習」が非常に多く散見されている。
だからこそ、適切なスプーン操作に対しては適切に適応しようとして適切な食べ方の再学習が起こる。
「正の介助に対して正の学習」が起こった結果として、重度の認知症のある方でも食べ方が変わる。

口腔ケアに対しても
感覚の最も鋭敏な口腔内のケア時に
「認知症だから」「わからないから」と考えて
通じやすい説明を工夫したり、ラクな方法を工夫したりすることがなければ
そりゃあ、当然、抵抗も起こると思う。

口腔ケアの時に
口を開けてくれない、指を噛まれる、大声を出す
じゃあ、どうしたらいいの?
と考えるのではなくて
認知症のある方は、能力は低下していても喪失しているわけじゃないのだから
どんな能力があるか
その能力を活用するにはどうしたら良いのか
こちらがどう伝えたら理解しやすくなるのか

私たちの思考回路を変えること

大切なのは、その方の状態把握、評価、アセスメント。だと思う。

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口腔ケアに再び協力ー「終わり方」

口腔ケアをする時に
気をつけていることがあります。
それは終わり方。
認知症のある方が力を抜いた状態でケアを終えること。

HDSーRをとる時には、終わり方に気をつけています。
最後の設問は語想起課題ですが
なかなか答えられない、想起しようとしているのに想起できなかった
という体験で終わらないように。
不全感や喪失感を拭うことはできないにしても
こちらのマナーとして行なっています。

それと同じ意味で
認知症のある方の口腔ケアの終わり方にも気をつけています。
特に、介護抵抗のある方が歯を食いしばって大声を出したままで終わらないように。

もちろん、説明も声かけもしていますが
それでも、自分の口の中に他者の指やスポンジが入ってきて触られるのは
決して嬉しい体験にはならないと思う。

せめて、終わる時にラクな状態で終われるようにするということ
対象者の方が力を抜いた状態で終われるように

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