同じコトが違うカタチで現れている。
例えば
高齢者によくある「立ち上がり問題」
こちらのブログでも過去に何度か記載してきましたが
片麻痺のある方、整形疾患などのある方で生活期で暮らしの困難を抱えている方や高齢者では
歩けるけれど自分ではなかなか即座に立ち上がれない
立ってしまえば立てるけれど自分では立ち上がりができない
という方がとても多くいらっしゃいます。
現状では
低運動→筋力低下→立ち上がり困難 という判断がなされ
筋力強化→筋力復活→立ち上がり可能 という仮説に依拠して
足腰の筋力強化や立ち上がり100回 という方法でのトレーニングが提供されている
ということがよくあるパターンだと思います。
私は、この考え方と方法論にはずっと違和感がありました。
なぜ、赤ちゃんは歩けなくても立ち上がれるのに
お年寄りや身体障害のある方は、歩けるのに立ち上がれないのだろう?
赤ちゃんは筋力強化をしなくても立ち上がれているのに。
私は長く老健に勤務していましたが
老健では積極的な離床と活動的な生活を提供しています。
さらにその上で専門家による個別のリハも提供しています。
それなのに、今まで立ち上がれていた方が立ち上がれなくなってしまう。
こういった現実に対し、為すべきことをしているにもかかわらず
低下してしまったのだから「本人の老化、能力低下」という判断が為されがちです。
ところが、
筋力強化をしても自力で立ち上がりができなかった方が
座る練習をしただけで自力で立ち上がれるようになった方がたくさんいらっしゃいます。
本人の能力低下ではない。ですよね?
再び立ち上がれるようになったのですから。
変わったのは、リハだけです。
ということは、リハの判断と方法論が不適切だった。ということになります。
これらの事実が示している新たな判断は
筋力低下によって立ち上がり困難になったかもしれないが
それは原因ではなくて、きっかけだったのではないか
ということです。
きっかけがなくなれば
立ち上がり困難という状態像も表面化しなくなる
という意味で筋力強化が有効だったケースもあるでしょう。
それを因果関係論であるICIDHの観点に立ったまま
一般化してしまった、そしてPDCAを回し検証されることなく
継承してしまい、適合させてしまった
というところに問題があると考えています。
相互関係論であるICFの観点に立てば
1)本人の病気・障害そのもの:老化による筋の弱化
2)能力による過剰代償:使える筋(主に背筋群)
3)不適切な介助への過剰適応:介助者や手すりを使用した引っ張り上げに呼応した背筋群の過剰使用
という悪循環が過去から長い間の蓄積として生じていて
表面的には「立ち上がれる」状態であったとしても
1)〜3)のバランスが崩れるほんのちょっとしたきっかけによって
「立てなくなってしまう」状態に陥ってしまう。
なんにせよ、「できない」よりは「できる」ほうが良いでしょうけれど
「できれば良い」というわけではありません。
筋力強化や立ち上がりのリハを行ったとしても
その方法論が上記の2)や3)を増長させるような「やり方」であったとしたら
結果的に、立ち上がりができなくなることにリハ職が関与してしまうことにもなってしまいます。
「できる」ようになったら
将来を見越して、より安全によりラクにできる異なる方法でも「できる」ように
それは
Re-Habilis 再び適する:リハビリテーションの理念そのものの具現化ではないでしょうか。
対象者の適応、つまり心身の働き、使い方
脳の回路の多様性を信頼し援助する。
ということなのだと考えています。
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