Tag: 環境適応

能力に胸がいっぱいになる

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認知症のある方の能力に胸がいっぱいになる

そういうことって
本当によくあります。

食事介助の最初と最後で食べ方が大きく変わった方がいます。
舌で食塊を押し出してしまい食べこぼしが多かったのに
文字通り押し出さずに食べられるようになって食べこぼしもゼロに
それだけではなくて
意思表示としてうなづいているということが明確にわかるようにうなづけるようになりました。

私がしたことは
姿勢を少し変えて
スプーンを小さくして
スプーン操作を少し変えて
それだけ。

あとは、その方がもっていた能力なんです。

埋もれていて表面には出ない
でもちゃんともっていたその方の能力

こんなにわかっていて
こんなに能力があって
だとすると
今までどれだけ頑張って食べていたか。。。

そうなんです。
その方にイマ、ナニが起こっているのか
ということが明確に把握できるようになると
その方がどれだけ頑張っていらっしゃるのかがものすごく伝わってきます。

認知症のある方の能力に胸がいっぱいになります。

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読んでね「OTジャーナルvol.51 No.2」

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三輪書店さんから
1月25日に発刊される「作業療法ジャーナル」2月号の特集に
私の書いた「認知症のある方への対応-能力と障害の把握-」が掲載されます。
(1月号の次号予告でご覧になって既にご存知の方もいるかもしれませんが)

障害と能力のプロである作業療法士が作業療法士として寄与するとはどういうことか
認知症のある方に対して評価をもとにした対応の工夫とはどういうものか
臨床でよく遭遇する、あるあるな場面について記載してみました。

きっと、記載した方法論が役に立つことが多いと思いますが
その方法論が依って立つ考え方をお汲み取りいただければ、とても嬉しく思います。

なぜなら
本当に役に立つのは
方法論ではなくて、考え方なのです。

その考え方をもとに
それぞれの場で展開していただければ
きっと目を見開かされるような体験があるのではないかと思います。

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キュウべぇのセリフ

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前にも書きましたけれど
今さらではありますが
「魔法少女まどか☆マギカ」に出てくるキュウべぇのセリフで痛切に残っているものがあります。

 

「観測さえできれば干渉できる
干渉できるなら制御もできる
観測できない、存在すら確認できないものは手の出しようがない」

 

現実には
干渉と制御には大きな溝があるでしょうけれど
認知症のある方への対応についても本当にその通りなんだと感じています。

「観測できない、存在すら確認できないものは手の出しようがない」

目の前で起こっていることが何なのか
私たちが観察できない
あるいは観察しそこなっている
だから結果として見当違いのことをしてしまう

だとしたら
観察できるようになりさえすればいい

口で言うのはカンタンですが (^^;

でも、まず、そこから。なんですよね。

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自分が変われば世界が変わる

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その最たるものがスポーツだと思う。

でもリハの世界も同じ。だと思う。

結果を出すこと。

誰の目にも明らかなくらい
対象者の方が良くなるように
そんな関わりができるように。

モチロン、ないものねだりはできないけれど
埋もれていて表面に現れていない能力ってたくさんある。

講演後の質疑応答で必ずといっていいくらい受ける質問の中に
「多職種との協力関係をどうやって築いたらいいでしょう?」
というものがあります。

それはいろいろ気をつけることはたくさんありますが
巷間もろもろ言われていることよりも
まず、第一に自分がスキルアップすることだと伝えています。

対象者の方に対して
30%しかできない人の集まりの中で
もしも自分が50%できるようになったとしたら
他の人を50%に引き上げることよりも
自分が90%できるようになることの方が大切なんだと。

多職種との協力という手段は
対象者のためにという目的のため。
手段を目的化して本来の目的を見失ってはいけないと思う。

ここで対象者の立場に立ってみれば
30%できる人が9人いて残り1人が50%できたとしたら
50%できる人が10人になることを目指すよりも
9人が30%しかできなかったとしても
90%できる人が1人でもいた方がずっといいんです。

だって食事介助の場面だとしたら
その1人の時には
全然食べやすさが違います。
自分の能力がないせいではなくて
相手によって自分の食べやすさが違うという体験ができます。

自分自身への希望、信頼を実感できます。

たった1人が変わることで
その人にとっては世界が変わるも同然です。

そしてそのような関わりができたとしたら
その人の能力と可能性に目を見開かされるような体験になる。

人間って凄いな。
身体って凄いな。

それは私自身の励まし、支えにもなっています。

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言語化=明確化

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認知症のある方への対応や
お年寄りの生活支援に関して
いろいろなところでお話させていただく機会があり
本当にありがたく思っています。

時にはアンケートも拝見しますが
「認知症のある方の見方が変わった」
「今までの自分を反省した」
「がんばって勉強しようと思った」
という感想が書かれていると
本当に嬉しく、お話してよかった…と思います。

それは
認知症のある方への可能性について思いを馳せるからこそ
出た言葉であり
同時に
自分自身への可能性を信じるからこそ、出た言葉だからです。

がんばってほしい。

対人援助職は技術職だから
トレーニングの積み重ねで習得できる部分がすごく多いんです。

その1つに言語化があります。

言語化の過程は明確化の過程です。

これはもう、今すぐにたった一人でも心がけ次第でできる部分です。
でも。というか、だから。というか
実はあまり為されていない部分でもあります (^^;

よーくよく聞くのが
「言語化するのが苦手だから」
「言葉で説明するのが苦手だから」

ブブー!

本当は言語化が苦手じゃなくて
本当は明確にわかっていない。ということを
自分で言ってるんですよー。
そういう恥ずかしいことを人前で言うのはやめましょうねー。
プロなんだから (^^;

でも
そうやって現状を自覚できるのが第一歩。

「作業療法は説明するのが難しいから」
「作業療法士じゃないとわかってもらえない」
なーんて、したり顔で言っている人はそのままうっちゃって
さっさと言語化できるようにトレーニングしていきましょう!

いろんなトレーニングがあると思うけど
手っ取り早く、今すぐにもできるのは
ポジショニングでも食事介助でも自主トレでも
何でもいいけど、対象者に関することで
誰か他者に提示する情報について
一度言語化してみる。
そしてその言語化したものを
(最初は紙に書き出す、プリントアウトする等
「外」に出した方がやりやすいと思います)
言語化された通りに自分でやってみる
(ここで大切なことは書かれていないことは決して行わないこと)
そうすると、「あれ?」「ここはどうするの?」という
部分に気がつくことができるから
(そこは自分で何となくしていた部分なので言語化できない)
その部分の言語化に挑戦する
こういった繰り返しが大切です。

こういう具体的な個々の場面で
自分の中での言語化を繰り返し実践する
こういった不断の努力をしておくことで
「作業療法とは何か?」
「Act.選択をどのような根拠・手順で行ったらよいのか?」
という抽象的な事柄についても
言語化できるようになっていきます。

具体的なことを言語化できないうちは
抽象的なことを言語化したり、
ましてや他者とコミュニケーションできるようにはならない
トレーニングとはそういうものですから (^^;

それなりの立場にある人や
経験年数の多い人や
有名な人でも
「?」ということは、よくあることです。
世の中そういうものです。
だからいいや。じゃなくて
他人は他人
自分は自分
自分自身がプロとして恥じないように在るにはどうしたらよいか
自分自身で実践を積み重ねていくことがよっぽど大切です。

トレーニングは反復学習
技術はトレーニング=反復学習によって習得可能なものです (^^)

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ROM-Ex.よりポジショニングを

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今、老健にも特養にも
寝たきりの方や準寝たきりの方が少なくないと思います。

私は勤務終了後に
ある施設に依頼を受けて伺っています。
そこで施設の職員の方の相談にのっているのですが
多いのが、食事介助とポジショニングの依頼です。

後頚部の筋が過緊張状態にあったり
全身の筋緊張が亢進していたりする方も少なくありません。

そんな時の第一選択は
まず、ポジショニングの設定です。

老健に入所されていれば
ご利用者の方は、最低週に2回のリハ職による
マンツーマンのリハを受けられますが
ご利用者の方は、個別のリハの20分よりもずっと長い時間を
車いすやベッド上で過ごされるのですから
その時間、どんな姿勢で過ごされるのか
ということはとても重要になってきます。

ベッドで休んでいるのに
身体がガチガチで筋緊張が亢進したままだと
寝ても身体は休まらない

不適切姿勢による筋緊張亢進をそのままにしておいて
ROM-Ex.をいくらしたとしても
効果がないどころか、逆効果になることすらあります。

適切なポジショニングを設定すれば
ほんの数分後には
全身がリラックスして
「こんなにユルユルになってるの、初めて見ました」
と施設職員の方に驚かれることもよくあります。

こういうことって本当に多いのが残念

同じコトが違うカタチで現れているだけなんです。

食事介助における、誤介助による誤学習で食べ方が悪くなってしまう
認知症のある方に適切な対応ができなくて混乱が増悪してしまう
適切なポジショニングが設定されていなくて全身の筋緊張が亢進してしまう

みんな同じコトの異なる現れに過ぎません。
私たちが変わることによって
目の前の対象者の方の現実が変わるのです。

身体が辛いのは対象者のせいだけじゃない。
混乱してしまうのは対象者のせいだけじゃない。
うまく食べられないのは対象者のせいだけじゃない。

私たちの無知や未熟さによる部分の方がずっとずっと大きい。

だとしたら
ううん
だからこそ
私たちの側の問題だから
私たちが変わることによって
対象者の方のもっている本来の能力が
やっと表面に出てくることができるんです。

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食べることで食べられるようになる

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その時々の状態を
的確に把握して的確に対応することで
その時々で食べられるようにしていくことで
食べ方も良くなり
少しの配慮で食べられるようになっていく

今まで一番少ない一口量は
シリンジで2ccから始めたケースがありました。
その他にも3ccとかあるし
ペムパルという栄養補助食品1本125ccを30分かけて摂取とか
お茶ゼリーコップに1杯を30分とか
当たり前によくあります (^^;

最初はお互いに大変ですけど
そういう量しか摂取できない方でも
多くの場合に通常の食事時間帯に通常の提供量が
食べられるようになっていきます。

2ccや3ccしか飲めない…ということを
認知症のある方のそういう状態像だという「原因」と認識するか
そういう状態像を来した「必然」があると認識するか
その違いは本当に大きい。

「原因」と認識している限り
食べ方を良くしていくことは難しい
結果として、脱水や低栄養や誤嚥性肺炎を予防することも
食べられるようになることも難しい
今までそういったことが「常識」や「現状」として
認識されていたのではないでしょうか?

でも本当はそうじゃない

「必然」と認識すれば
もう一度、私たちの実践を振り返り
異なる実践へのチャレンジをすることができる

その結果
重度の認知症のある方でも
もう一度安全に楽に円滑に早く
食べられるようになっていく

これは
本当に起こっていることなのです。

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NHK「ミラクルボディ」見ました

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7月16日(土)21:00からNHKで放映されてた
「ミラクルボディ」見ました。
http://www.nhk.or.jp/special/miraclebody/005/index.html

ロシアのシンクロペアの脅威の身体能力にびっくりです。

水中にいるときに陸生の人間は
脳を守るために筋肉の酸素消費を減らそうとして心拍数を減らす
働きがあるのだそうです。
ところがロシアのロマーシナとイシェンコは心拍数が増える
緊急時にのみ脾臓が行う働きー脾臓が収縮して蓄えていた血液を
放出することにより血液循環を保ち筋への酸素供給を維持ーを
通常化しているのだと。

内蔵の働きを変えるまでに
厳しいトレーニングをずっと継続してきているのだ。。。

人間の意思と要請される環境への適応能力は
ここまであるのだ。。。

同じくTOPアスリートのスペイン?の選手を遥かにしのぐ身体能力
彼女をして「いったいどんなトレーニングをしたらそうなるのか」
という言葉に否応もなく厳しさが伝わってきました。

そこまで身体能力を鍛えるということは
身体を壊すことと紙一重だから
きっとそのあたりのリスク管理について
ものすごい研究と知見の積み重ねがあるのだろうと思った。
その陰で身体を壊してしまった選手がたくさんいるのだろうとも。。。

自分はスポーツとは無縁の世界にいるからか
そんなに無理しないで。身体を酷使しないでほしい。
とつい思ってしまったのですが
高みを目指しているアスリートにとっては
限界への挑戦=高みへ近づくということなのかもしれない。。。

努力という言葉では届かないだろう
あまりに過酷なトレーニングを思い
その過程において得られる人間の身体能力の凄さを
思わされた番組でした。

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