Tag: 環境適応

口腔ケアに再び協力ー「具体的に」

視覚的理解力は保たれている方が多いので
歯ブラシを見ていただくようにしています。

食後すぐに歯ブラシを見た方が理解しやすい方もいれば
時間を置いても歯ブラシを見れば理解できる方もいます。

その人の理解しやすい状況で
声かけをしてすぐに歯ブラシやスポンジを口腔内に入れるのではなくて
必ず口元で一旦手を止めて
歯ブラシを視覚的に見てもらってから声をかけます。

開口を促す声かけはいろいろです。
その人の理解力に応じて言葉を選びます。
「歯磨きしましょう」
「口を開けてください」
「〇〇さん、歯磨き」
「〇〇さん、あー!」

時々
「認知症のある方にも口を開けてくださいと言いましょう」
というようなスローガンを見かけますが
一律に声かけが規定されるなんておかしいと思います。
もちろん、通常のそういった声かけで理解できて協力できる方もたくさんいらっしゃいますが
そうでない方もまた多くいて、ケアする人も困って苦労しているのではないでしょうか。

認知症のある方の理解力は様々なのに
声かけを一律に規定してしまえば
「一人一人に寄り添ったケア」という理念の実践ではなくなってしまいます。
大切なことは、目の前にいる方のケアが介助を受ける人にとっても介助する人にとっても
スムーズに行えることではないでしょうか。
アセスメントを伴わない「〇〇すべき」論は、本末転倒だと考えています。

話を元に戻して。。。
声かけだけでは、開口が難しい場合には、Kポイントを刺激します。

声かけをする時には
感覚と感情に働きかける言葉を使います。
「虫歯にならないように歯磨きしましょう」ではなくて
「口の中がさっぱりします」
「今は気持ち悪いかもしれませんが、後が気持ち良くなるからこらえてください」
「口の中が綺麗にスッキリしますから、ご協力お願いします」
などと言います。

歯をブラッシングしている時も
歯のない方は口腔内を拭っている時にも
「口を閉じないで」「噛んじゃダメ」ではなくて
「もう少しで終わるから、こらえてください」
「気持ち悪いけど、頑張って」
「そうです。そのまま、口を開けていて」
という声かけを続けます。

多分、意外に多くの人が見落としているのが終わり方だと思います。

「終わりよければ全て良し」「新近効果」という言葉もありますが
私は終わり方には気をつけています。

大声を出し続けたり、歯を食いしばったり、指を噛もうとして
力を入れ続けたままで口腔ケアを終えることがないように
最後に歯茎や歯の表面をゆっくりそっと拭うと
大抵の方の力がふっと抜けます。
力が抜けたことを確認してから
「これで終わりです」
「もう嫌なことはしません」
「はい、終わり」
「ご協力ありがとうございました」
「おしまい。嫌なことしてごめんなさい。堪忍ね」
などという言葉を使います。

私が対象としている重度の認知症のある方でも
オーラルジスキネジアがあったり
噛もうとし続けたり
Kポイントの刺激で指が痛くなったりするような方でも
ほとんどの場合、ふっと力を抜いて終えることができます。

私は大切なことだと感じているから実践しています。

食事介助で無理やり口の中に食塊を突っ込んでも
食べられるようにはならないのと同じように
口腔ケアでも無理矢理介助をしても
ケアに協力してくれるようにはならない

それは
認知症のある方がわからないから。ではなくて
認知症のある方の能力を介助する側がわからない。からなんだと思う。

だとしたら
私たちが認知症のある方の能力を
把握、評価、アセスメントすることができさえすれば
状況は確実に変わる。

食事介助が変わり
口腔ケアが変われば
誤嚥性肺炎は確実に減らすことができる
呼吸が苦しくて辛い思いをする方を減らすことができる
私は確信しています。

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口腔ケアに再び協力ー「PDCA」

重度の認知症のある方で
口腔ケアの時に
開口を維持するのが難しくて
介助者の指を噛んでしまうような方に対して
細心の注意を払ってケアしていると思う。

Kポイントを使って
開口を維持して
手早く口腔ケアして
その間も大声を出されたり指を噛もうとしているから
終わり次第、さっと指を抜くしかない
という場合も多いかもしれません。

オーラルバイトもあるけど
虫歯のある箇所で使ってしまうと
歯が折れて誤嚥してしまう恐れもあるから
安易に使用せずに、使用前にはグラグラしている歯の有無は確認しておく必要もあります。

ただ
前の記事で書いたように
本当に重度の方で開口保持するのが難しい方が(状態像の詳細は書けませんが)
再び意図的に開口しようという能力を発揮できるようになるということの意味を考えると
「食事介助で起こっていることと同じコトが違うカタチで起こっている」だけだと感じます。

場面に対して不適切言動が起こる時には必然性がある

認知症という脳の病気によって起こる
状況理解力の低下(低下であって喪失ではない)という本人が抱える課題

認知症のある方に対して
能力にどう働きかけるかという工夫ではなくて
優しく丁寧に快適にといった心理社会的な抽象的な方策にとどまってしまっている
という介助者側が抱える課題

これらが輻輳して「口腔ケアの困難」という現れ方をしている
と考えています。
食事介助で起こっているコトとまったく同じ。

食事介助において
不適切なスプーン操作に適切に適応しようとした結果不適切な食べ方を学習する。
いわば、「誤介助誤学習」が非常に多く散見されている。
だからこそ、適切なスプーン操作に対しては適切に適応しようとして適切な食べ方の再学習が起こる。
「正の介助に対して正の学習」が起こった結果として、重度の認知症のある方でも食べ方が変わる。

口腔ケアに対しても
感覚の最も鋭敏な口腔内のケア時に
「認知症だから」「わからないから」と考えて
通じやすい説明を工夫したり、ラクな方法を工夫したりすることがなければ
そりゃあ、当然、抵抗も起こると思う。

口腔ケアの時に
口を開けてくれない、指を噛まれる、大声を出す
じゃあ、どうしたらいいの?
と考えるのではなくて
認知症のある方は、能力は低下していても喪失しているわけじゃないのだから
どんな能力があるか
その能力を活用するにはどうしたら良いのか
こちらがどう伝えたら理解しやすくなるのか

私たちの思考回路を変えること

大切なのは、その方の状態把握、評価、アセスメント。だと思う。

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口腔ケアに再び協力ー「終わり方」

口腔ケアをする時に
気をつけていることがあります。
それは終わり方。
認知症のある方が力を抜いた状態でケアを終えること。

HDSーRをとる時には、終わり方に気をつけています。
最後の設問は語想起課題ですが
なかなか答えられない、想起しようとしているのに想起できなかった
という体験で終わらないように。
不全感や喪失感を拭うことはできないにしても
こちらのマナーとして行なっています。

それと同じ意味で
認知症のある方の口腔ケアの終わり方にも気をつけています。
特に、介護抵抗のある方が歯を食いしばって大声を出したままで終わらないように。

もちろん、説明も声かけもしていますが
それでも、自分の口の中に他者の指やスポンジが入ってきて触られるのは
決して嬉しい体験にはならないと思う。

せめて、終わる時にラクな状態で終われるようにするということ
対象者の方が力を抜いた状態で終われるように

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口腔ケアに再び協力ー「能力」

すごく嬉しかったのは
能力がなくなっていたわけじゃない。ということ。

能力を発揮できない状態や状況にあったとしても
能力そのものがなくなってしまったわけじゃない。ということ。

両者をとり違えてはいけないし
能力を発揮できるような状態や状況を工夫することの重大さ

あらためて
身が引き締まるような思いがしました。

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口腔ケアに再び協力

口腔ケアをする時に
開口を保持できない方には
Kポイントを刺激して開口していただくことがあります。

じゃないと
こちらの指を噛まれてしまいます。

ある時ふと感じることがあって
Kポイントの刺激を外してみました。

意図的に開口を保持してくれてることに気がつきました。
すごく嬉しい。

口腔ケアに協力するということが、できなくなったわけじゃない。

能力を喪失したわけじゃない。

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適切なスプーン操作ができて初めて能力を見いだせる

認知症のある方の食べることに関する困難はいろいろありますが
まず、私たちが適切なスプーン操作をすることができて初めて
認知症のある方の本当の食べ方、本来の食べ方、食べる能力に
触れることができるようになります。

言い換えれば
私たちが適切なスプーン操作を実行できなければ
認知症のある方の本当の食べ方
何に困っていて、何ができるのか
気がつくことができないということになってしまいます。

相手の能力がないということと
相手の能力に気がつけないということは全く違います。

いったい、どちらの能力がないのか。。。時々そんな風に感じることもあります (^^;

認知症のある方の能力に眼を見開かされた経験をしたことのある人は
自らの見落としに細心の注意を払うようになると思います。

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たった1人が変わる意味

私のお話を聴いた後に
「他の職員にも伝えたい」
という感想をお寄せいただくことがよくあります。

本当に嬉しい。
是非、1人でも多くの人に伝えてほしいと思います。

と同時に
「どうやって連携をとっていったら良いのでしょうか」
というご質問をいただくこともよくあります。

それは、いろいろな方策がありますが
相手のあることだから、所属している施設によって
受け入れも実行も可能なことはさまざまだと思う。

善かれと思っての提案によって
提案者が疎まれるということだって起こりえます。
モノゴトには、いろいろな経過と背景がありますから
今すぐには難しいということもあるでしょう。
Bestを望んで性急な対処を焦ると
自分にとっても相手にとっても提案にとっても
良いことなくつぶれてしまいます。
それでは元も子もありません。

じゃあ、どうしようもないのか
というと、それもまたとんでもないことで
誰か1人でいいから、変わることには大きな意味があるのです。

もしも
対象者Aさんのいる施設において
職員全員が30%の介助が行えているとしたら
職員全員の力量を50%にするよりも
誰か、たった1人でいいから、80%の介助が行えるようになることが
とても重要なのです。

なぜか?
対象者Aさんにとって
30%の力量の職員に介助された時と
80%の力量の職員に介助された時と
明確に食べにくさ・食べやすさの違いの体験ができます。

職員によって食べにくさ・食べやすさが違う
つまり、Aさん自身の能力は職員によっって発揮される度合いが違う
自分の食べる能力は30%しかないわけじゃない。
自分には80%の食べる能力があるんだ!という体験ができます。

これは、とても大きな違いです。
天と地ほどの違いです。

多職種連携、チームワークがなぜ必要か
対象者にとってより良い環境が提供できるためであって
良い連携構築のためにチームワークが必要なのではありません。

手段の目的化を起こしてはいけない

誰か1人でいいから
まずは、80%の介助ができるようになることこそが必要です。
そして、その誰か1人いるのといないのとでは大違いだけれど
1人よりも2人、2人よりも3人いたほうが対象者のためになる

そのような視点から考えていくことが大切なのだと考えています。

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伝聞表現を使う

MCI〜軽度の認知症のある方に対して
ご家族の方へのアドバイスとして
「伝聞表現を使う」ことをご提案する場合もあります。

実は認知症のある方ご本人は
自分の物忘れを自覚している
でもしっかりしなければ。と自分で自分に言い聞かせている。
ご家族だからこそ、弱音を吐いて心配をかけたくない。
そういう方はとても多いのです。

そんな人に受診する。
薬を飲む。
水分を摂る。

そんな時にご家族の方は一生懸命だからこそ
「病院に行くのよ」
「薬を飲むのよ」
「水分をしっかり摂って」
と直接的な表現をしがちですが
そうすると認知症のある方は
ご家族が味方じゃないように感じがちです。

「うるさいわね!」と言いたくなる気持ちもわからなくないような。。。

「病院に早めに行くといいんだって」
「薬を飲むと身体がラクになるんだって」
「水分を摂るとぼーっとしなくなるんだって」
と伝聞表現を使うと
私はあなたの味方だ。。。ということを言外のニュアンスを伝えることができます。

入院に付き添ってこられたご家族が帰る時に嫌がられたらどうしよう
だからといって黙って帰るのも悪いし
と迷っているような時には
「今日はここに泊まるんですって」と言ってみてください。
とお伝えすることもよくあります。

ご家族の方は私たち職員に気を遣って
「今日はここに泊まるの」と説明しがちですが
そうすると認知症のある方には
ご家族が積極的に入院をすすめたのかと受けとめられる可能性があります。

そうではなくて
伝聞表現を使うと
ご家族は味方なんだけど
入院した方がいいと病院の人たちが言っている
というニュアンスを込められるというメリットがあります。

まったく知らない環境で知らない人たちと過ごすのですから
心配になって当たり前。
ご家族の方は味方なんだということが伝わるといいなと思います。

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