神奈川県作業療法士会 第1回県民公開講座
「今日の精神科医療への提言〜ご家族の立場から〜」
2月27日(日)13:30〜15:30にオンラインにて開催されます。
詳細は、画像のチラシをご参照ください。
1月 30 2022
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10月 16 2021
認知症のある方に
Activityを提供する際には
さまざまな困難が伴います。
過去にもいろいろな記事を書いてきましたが
ここで一度総括してみようと思います。
長くなるので
シリーズとして連続記事で書いていきます。
まずは
認知症のある方へのActivity提供の現実モロモロの共有化から。
やりたいことの希望を聞いたけれど
・特にないと言われた
・私は何もできないと言われた
・言われたことが認知症のためにできなかった
・過去の趣味を提示したけれど、やりたがらなかったorできなかった
何を提供して良いかわからずにとりあえず
・折り紙を提示したけどできなかった
・塗り絵を提示したら怒られた
・風船バレーならできるかと思ったけどできなかった
他職種から
・徘徊しないように何かできることはない?
・立ち上がりが頻回で困るから何かやらせてほしい
と聞かれた
などなど、作業療法士あるあるではないでしょうか?
次の記事で
これらの表面的な事象に反映されている
本当の困難や意味について書いていきます。
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9月 23 2020
マンネリというと
ネガティブなイメージがつきまといます。
本来、マンネリという状態には
プラスもマイナスの意味合いもありません。
私たちが勝手にマンネリは良くないと思い込んでいるだけです。
認知症のある方には
同じことを同じように繰り返すことで
安心して取り組んでいただける場合が多々あります。
感情記憶は蓄積される
再認ができる方は大勢います。
認知症のある方のこういった特性は
プラスの方向にもマイナスの方向にも作用します。
「できた」
「面白い」
「懐かしい」
ポジティブな感情は蓄積されるし
できた体験を通してポジティブな感情を想起することもあります。
「できなかった」
「困った」
「わからなかった」
ネガティブな感情は蓄積されるし
できない体験を通してネガティブな感情を想起することもあります。
重度の認知症のある方でも
だからこそ
その方の特性と能力に合致したActivtyを行うときには
ものすごく集中して夢中になって行っています。
「少し、休憩しましょうか?」
と言っても耳に入らないくらい。。。
そういう体験をしたことのある人は
きっとたくさんいるのではないでしょうか?
もちろん時間感覚の低下といった要素もあるでしょうけれど
それ以上に、「自分が自分で在る」ことを
体験できているという実感を欲しているのだと思います。
マンネリを良い方向で活用する
根拠なく長年言われているから行っていること
河野大臣は深夜の会見を「前例主義」と言っていましたが
リハやケアの分野でも悪しき前例主義はたくさんあります。
それらをきちんと吟味・検討すると
思いも掛けないブレークスルーの道が開けます。
そして
その道は、対象者の状態を詳細に把握する
ということと決して無関係ではありません。
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9月 18 2020
ヒポクラテスの誓いは
「まず第一に患者を傷つけないこと」
と言う言葉から始まると聞いたことがあります。
私は医師ではありませんが
対人援助職として、この言葉は肝に銘じています。
良いことをしようとするよりも
悪いことをしないようにする
認知症のある方に対して
多様なActivityを提供することには疑問を抱いています。
MCIの方には通用することもあるかもしれませんが
重度になればなるほど現実には難しい。。。
その方ができることは限定的になってきますし
日々暮らすだけでその都度一生懸命どうしようかと考えています。
「私、カラオケは大好きよ。
だって、考えなくていいんだもの。」
この言葉を聞いた時の衝撃を忘れることはありません。
考えなくても楽しめること
新しいことを覚えなくてもできること
嫌いなことや苦手なことを頑張らなくてもいいこと
余暇活動は楽しんでリフレッシュできることの方が大事だと思いますし
治療的な意味合いを考えても
失われてしまった能力は努力してもできるようにはならないのだから
潜在している能力や不合理な現れに反映されている能力を見出し
より合理的に発揮してもらえるような援助を考えることの方が大事だと思います。
普通に考えて、大の大人が
文系の人に「数学は論理的思考のトレーニングに役立つから毎日やりなさい」
理系の人に「漢文は文学的素養を高めるために役立つから毎日やりなさい」
と言われてできますか?
子どもは自分自身でも何が適しているのか分からないから
さまざまな体験をすることに意義があるし
ネガティブな体験からもポジティブな体験からも学んで
自身の成長に役立てるようにする意義もあると思います。
でも
高齢者は?
まして重度の認知症のある方は?
説明された工程を理解し、覚えて、実践する
新しいことを覚えることは
近時記憶障害のある方にとって最も苦手なことです。
まして、自分の不得意な分野のことは。
私たちが認知症のある方に接する以前に
既に認知症のある方は暮らしの場面で
さまざまな失敗体験・喪失体験を重ねています。
余暇活動において
まして治療的な場面において
余分な失敗体験・苦手な体験をすることの意義が
私には理解できません。
目の前にいる方には
長年の人生経験で培ってきた特性がある
たとえ重度の方でも生きている限りできることがある。
いろいろなことを提供する
と言うことは、つまり、そのかたの特性も能力も把握できていないから
という側面があるのではないでしょうか?
認知症のある方が
今、楽しめること、特性と能力を発揮できること
それが何なのかを具体的に提供できることが
本当の作業療法士なのだと考えています。
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9月 08 2020
Activityの選択というのは、難しいものです。
「何もしないと認知症が進行しちゃうから何かさせよう」
「認知症進行予防のためにいろいろなプログラムを提供します」
という人もいるようですが。。。
私は、Activityの提供は慎重に検討しています。
「私、カラオケは好きよ。
だって、何も考えなくていいんだもの。」
この言葉は、HDS-R7/30点の方の言葉です。
胸がつまるような思いがしました。
朝から晩まで一日暮らすというだけで
考えなければならないいんだということが伝わってきました。
例えば
私は
服を着る時には、どういう順番でどのようにしたら着られるのか
ということは意識的に考えなくても着ることができます。
トイレに行きたい時には、迷うことなくトイレの場所に向かい
トイレ内での諸々の動作を済ませることができます。
遂行機能が低下したり
構成障害があったり
空間認知が低下したり
近時記憶が低下したり
そのような状況で以前にできていたことをするために
一つ一つ考え、緊張しながら過ごしている。。。
このあたりのことについては
当事者である、クリスティーン・ブライデンの本
「私は誰になっていくの?」「私は私になっていく」という本に詳細に記載されています。
ご一読をお勧めします。
冒頭に掲載した写真は
七夕の輪くさりを作ろうとして作れなかった写真です。
「輪くさりなら簡単だから作ってもらおう」
という人もいますが、実際には難しい人も大勢います。
このような作り方になってしまう方に対して
隣で「ここをこうしてこうするの」とお手本を見せても
何回も繰り返し教えても挑戦しても
作れるようにはならないことが多いのです。
輪くさりが悪いわけでも
作れなかった人が悪いわけでもありません。
今のAさんに対しては、輪くさりが不適切だった
ということなのです。
輪くさりは、
両手作業だし、手続き記憶としてあるものだし
認知症が進行しないようにやってもらおう
という意図は善意からのものですが
果たして、Aさんに対しては、プラスの刺激になったでしょうか?
何にもやらないより
できなかったとしてもやった方が良いなどと言えるでしょうか?
もし、そう言えるとしたら
Aさんが言える言葉であって私たちではないのではないでしょうか?
物理や数学が苦手な人に対して
物理や数学は論理的思考を鍛えるから
大人になっても毎日取り組んだ方が良いと言われて
本当に実践できるでしょうか?
その時間とエネルギーがプラスの刺激になったと言えるでしょうか?
普通に考えておかしなことを
リハやケアの名目で実施するのは、おかしなことです。
Activityの種目から考えてはいけない
「どうせ、ボケちゃってるからできなくたってわかんないわよ」
と言った人もいますが
決してそんなことはありません。
Activityを提供する立場にある、OTやケアワーカーさんなら
昔とった杵柄、若い頃によくしていたことを
良かれと思って提供したのに、
できなくて本人が落ち込んでしまった
あるいは見た目綺麗に上手にできているのに
ご本人はショックを受けて困ってしまった
という経験をしているはずなんです。
(続く)
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8月 23 2017
みなさま〜本日はお知らせです!
この神奈川県作業療法士会公式ウェブサイトに
認知症対策委員会のブログ
「オレンジ☆マルシェ ひとりひとりがサポーターby認知症対策委員会」
http://kana-ot.jp/wpc/marche/
が誕生いたしましたー!!!
どなたにとっても
便利で役立つ、眺めているだけも楽しくなるような
市場の賑わいのようなサイトを目指します。
まだ、公開されたばかりで記事も少ないけれど
これからいろいろな項目にそって記事も増えていきます。
どうぞ新しいブログもご贔屓に♡
よろしくお願い申し上げます m(_ _)m
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10月 25 2016
あちこちで起こっています。
手段の目的化
たとえば
現在の作業療法の世界で流行していることは
かつての作業療法からブラッシュアップさせたいのかもしれないけれど
それだと作業療法士のスローガンの実践になっちゃうんだよね。
手段の目的化という観点でみれば
同じことが違うカタチで繰り返されてるだけになってしまって
本質的な問題は、解決されないどころか結果として、より曖昧なカタチで隠蔽されてしまう。
問題の本質は
評価と目標設定にあるのに。
基本的すぎて
当たり前すぎて
問い返されることがほとんどないけど
現実問題として目標設定を適切に行えてる人がどれだけいるのだろう?
臨床家でも教育家でも、目標と目的と方法を混同している作業療法士は少なくないし
しかも、多くの場合にそのことに無自覚だったりする。
「認知症は難しい」「どうしていいかわからない」
という声もよく聞きますが、難しいのは対応や作業療法の提供ではなくて
本質は、認知症のある方の評価を適切に行うのが困難だというところにあるし
現状では、評価ができるように教えてもらえる機会がほとんどないというところにある。
そして
それは認知症にだけ起こっていることだろうか。。。?
本質からのすりかえ
手段の目的化
もしかしたら、人ってそういことに取り込まれやすいのかも。
もしかしたら、私も気づかないままに取り込まれているのかな?
それはイヤだ。
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10月 21 2016
スティーブ・ジョブズは言いました。
「人は形にして見せてもらうまで自分のほしいものがわからない」
だから、アップルは他社とは違って
敢えて、商品開発のための事前の市場調査を行っていなかったんだそうです。
そのかわり、発売した製品の使い勝手などのモニタリングは徹底して行ったとのこと。
なるほどー。と思ったものです。
Mac OSやi Macやi Phoneが世に出て初めて
「こんなのがあったらいいなーと思ってたんだよ」とは言えても
商品化される前に具体的なイメージができていた人は圧倒的に少なかったと思います。
作業選択だって、そういう場面にはよく遭遇しています。
だって、重度の認知症のある方には
昔とった杵柄をそのまま適用はできませんもの。
「かつて」好きだった、得意だったことが
「今も」そのままできるとは限らない。からです。
でも、昔とった杵柄がそのままできないからといって
まるきり、意味がなくなるわけでは決してありません。
昔とった杵柄と同じ要素を違うカタチで提示するといいんです。
初めて行う作業であったとしても
集中して行えるし
綺麗にできるし
満足感も高いし
何よりも重度の認知症のある方自身が
自分で在ることの意義を言葉ではなくて体験を通して再確認できる。
Re-Habilis の体験をすることができる。
それら一連の過程を言葉ではなくて
体験を通して確認・恊働することができる。
その援助ができるのが、作業療法士の作業療法士たる所以なのだと感じています。
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