Tag: リハビリテーション

関係性で変わる

人ってそういうものじゃない?

だから、友達の友達は友達…とは限らない(^^;

食事介助で食べ方が変わるのと同じように
対応で生活障害の現れ方も変わる

モチロン、ないものねだりはできないから
元通りになることはないし
暮らしの困難をゼロにはできないけれど
今よりは暮らしやすくなる

目指すのは
目の前のAさんがどうしたら
今よりも暮らしやすくなるように
再現性のある方法を
具体的現実的に伝えられることだと思う。

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ホントにあったコト

セラピストがROM-Ex.をしています。
そのセラピストが言いました。

「〇〇さん、良くなりましたねぇ。
痛いって言わなくなりましたものねぇ。」

〇〇さんは言いました。
「痛いですよ。言わないだけ。」

 

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理解されなくても恊働できる(3)

理解されなくても恊働できる。

もちろん、理解されたほうが恊働しやすいけれど
理解の結果に恊働があるんじゃなくて
恊働の結果に理解があるんだから
まず、現状でできる恊働をしていったらいいと思う。

恊働だって
いろいろな過程があって
どんな過程もみんな恊働じゃん?
恊働の在りようが違うだけで。

恊働を阻んでいるのは
OTが理解されないことじゃなくて
私たちが勝手に多職種連携の理想像を作って
そこから現実をマイナスで見ていることだと思う。
(余談だけど実習指導でも同じことが起きてると思ってる)

考えるべきは
私たちが恊働の役に立つように
… ということだと思う。

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理解されなくても恊働できる(2)

前にも書いたけど
原典不明ですけど世界のあちこちで言い伝えられてる言葉

To hear is to forget
To see is to remember
To do is to understand
To find is to use

「体験したことは理解する」なんだよね。

チームで連携するにあたり
OTを理解してもらうのは
手段ではなくて結果なんだと思うよ。

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理解されなくても恊働できる

私たちがまず第一に考えるべきことは
対象者の方に対して役に立てること。

今よりも一歩役に立つことができればそれでいい。
二歩役に立てればもっといい。
三歩役に立てればさらにいい。

だけど
「一歩役に立つ」
って本当に難しいことだよね。

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伝わってしまうコト

視点の変換ができれば
世界が変わる

(正確に言えば世界そのものは変わらない
自分の受けとめ方が変わるだけなんだけど)

発想の転換ができれば
意図が変わる

意図が変われば
伝えてしまうことも変わる

伝えられることが変われば
受け止め方も変わる

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視点の変換・発想の転換

相手を直接的に変えようとするのは「修正」「改善」

「修正」も
「改善」も
どこかで「理想像」から「現状」を
差し引きマイナスで見ているということ。
つまり、「現状」の否定が行われている。

そのような意図で行われるものに対しては
「拒否反応」がはたらく。

けれど
相手の状況を変えるということは
現状を否定してはいないから
状況に要請されて相手の内部から「能動的変化」が起こる。

相手を直接的に変えるのではなく
結果として変わるように
相手の状況を変える。

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修正しない!援助する!

私の考え方の基本です。

食事介助でも
移動介助でも
声かけでも

「修正しない・改善しないで援助する」

つまり、「直すな助けろ」

修正する・改善する…ということは
あるべき像から現状をマイナスで見る
今じゃいけない…という視点に立っていることです。

援助する…ということは
現状を否定しないという視点に立っています。
今でいい。
でも今よりラクにできたらもっといい。
今よりもっとできたらさらにいい。

極論に聞こえるかもですが
身体のはたらきには、その人の歴史が集約されていると考えています。
(後日、説明しますね)
そう考えたら、修正なんてできないです。

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