Tag: リハビリテーション
「なぜ」は自分に問いかける。
認知症のある方が「なぜ」生活障害やBPSDを起こすのか
とは考えない。
そうする(なる)必然があるとは考えるけど。
むしろ「なぜ」は自分に問いかけた方が良いと思う。
なぜ、そうしようと考えたのか?と
前に他の方にやってみて効果があったから
前にこうしたらとアドバイスしてもらったから
…というケースって案外多いんじゃないかしら?
でもそれって本当は「なぜ」には答えていない。
「なぜ」今目の前にいる方に?
という答えには全然なっていない。
ということに気がつけると思うから。
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重度の認知症のある方が
食べ方が変わっていくのを
(食べ方を良く変えていこうとして、そうなっていくのを)
見ていけるのは嬉しい。
私とだけじゃなくて
他のスタッフが介助しても
前より上手に食べられるようになったのは嬉しい。
上手に食べようと工夫しているのを見られることは嬉しい。
脳の可塑性って凄いな。
人間の能力って凄いな。
そう思う。
そしてそのチカラがどちらにも転ぶことの怖さを改めて思う。
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ICIDHの考え方は、私たちに非常に大きな影響を与え
今も根深く私たちを支配しています。
「原因を探索し改善する」
という言葉は、認知症のある方のBPSDや生活障害を改善する
ための方策として、よく聞く言葉だと思います。
一見、正しそうに聞こえる。
そこがまさに落とし穴なんです。
この言葉は、ICIDHに依拠した考え方です。
ICFという言葉は知ってるという人でも
私たちの日々の関わりをどう考えるのか
という段階でICIDHに戻ってしまう人ってとても多い。
ICFという言葉つまり概念を
どうケアに活かすのか…ということについて
突き詰めて検討されていないのではないだろうか?
という疑問を抱いています。
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肺炎が日本人の死亡原因の第3位だそうです。
「認知症のある方に起こる肺炎は
仕方のないもの
どうすることもできないもの」
と認識されている方も少なくないようですが
それは違います。
もちろん、そういう場合だってありますが
圧倒的大多数の場合に
「認知症のある方に起こる肺炎は
介助者のスプーン操作によって改善できる」
という事実があります。
誤嚥性肺炎になった方も
再燃することなく経口摂取が可能となる場合が
非常に多くあります。
認知症のある方「だけ」の「問題」ではなく
認知症のある方と介助者との関係の中で起こっている。
だからこそ、改善可能なのです。
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いろいろなことの意識化はあるにしても
たとえば、暗黙のうちに自分が依拠している事柄ってあって
そういった前提としている事柄を明確化できると
さらに納得がいったり
より伝わりやすい説明ができたり
有益な意見交換ができたり
と通常業務にも良い効果をもたらすことができたりする。
案外多いのは
前提として依拠している考え方や事柄は
共有できているという誤解のもとに
表面的に意見交換をしているというケースってよくある。
前提要件の明確化、共有化って
とっても大事だと思う。
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声かけの重要性について
否定する人はいないと思います。
でも、じゃあ声かけの何にどんな風に気をつけたらいいか
って具体的に検討されているようで
あんまり検討されていない。ように感じています。
丁寧に。。。とか、敬語をつかって。。。とか
そのくらいで。
対人援助職としては当然だと思いますけど
認知症という状態像によって起こる
障害への配慮が必要で
そのための声かけの工夫って
もっと具体的に検討されていいのではないかと考えています。
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「OTは素晴らしい」かもしれないけど
肝心なことは
自分が「素晴らしいOT」を実践できているか。だと思うし
「認知症は難しい」かもしれないけど
肝心なことは
「自分が(認知症を)難しく感じてる」ことだと思うし
仮に
魔法の杖のようなツールがあったとしても
肝心なことは
自分が使いこなせるかどうか。だと思うし
結局は自分なんだと思うんだけどなぁ。。。
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願っているだけでは
願いごとを叶えることはできない
お題目を唱えているだけでは
より善い現実を手にすることはできない
「その人に寄り添ったケア」
という理念を具現化したいのなら
願うのではなく
唱えるのではなく
日々の暮らしの中でこそ
もっと地道に愚直に
私たちの言動を具体的に検討することなのだと考えています。
具体的に検討できるくらい、目の前で起こったことを
観察できるようになることなのだと考えています。
観察する前の「判断」(実際には感想)が多すぎる
…そう感じています。
そのためにも
知識と技術が必要で
だって
知識がなければ抽象論・総論・一般論にとどまってしまう。
技術がなければ現実化・具体化することができない。
願いごとを叶えたければ
その願いが強く大きなものであればあるほど
要求される知識と技術は比例して広く深くなっていくと思う。
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