Tag: コミュニケーション

家族評価は大事

ご家族によって
退院先によって
何をどこまでどんな風に伝えるか
…それはすごく気をつけています。

認知症のある方の評価は
能力と障害と特性の把握に始まるけれど
ご家族の評価も同じ。

ご家族と「やりとり」をする過程で
やりとりそのものの成立はもちろんだけど
ご家族の能力と困難と特性の把握もおこなうことができます。
場合によっては、明確化するために「やりとり」を「使う」こともあります。

とりわけ、ご自宅に退院される場合には気をつけないと。

安易な評価で安易な作業を指示した結果
ご家族を追いつめ
ご本人が辛くなってしまうことだってあり得ます。

私たちの目標は「帰す」ことではなくて
「在宅支援」…家で暮らし続けることの援助。なのですから。

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相手の特性で対応する

相手の特性で対応する

これはスムーズな関係作りのコツです(^^)

礼儀正しい方には、こちらも礼儀正しく。
フランクな方には、こちらもフランクに。
マジメな方には、 こちらもマジメに。

礼儀を大切にしてきたからこそ、身に付いているのだから
礼儀を大切にできない人から信頼して…と言われても
ムリがあるかと思います。

その人が大切にしてきた「ありよう」を
こちらも表現することで
「あなたにとって大切なことを私は大切にします」
と、もう1つの言葉で伝えることができます。

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バリデーション体験談

バリデーションをすると
意思疎通や見当識が曖昧だった方が
まさしく現実認識している発言を
自発的にするようになる
…という体験を何度もしています。

それだけの能力をもっている。

もっているが故に混乱もする。

そんな風に感じています。

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変化を待つ

認知症のある方は
ないものねだりはできないけれど
重度の方でも学習できます。

もっとはっきり言うと(^^;
不適切な介助に適切に学習した結果
不適切なパターンを習得している
…ということは、決して少なくないのです。

適切な介助であれば適切に学習することができるので す。

でも、一朝一夕というわけにはいきません。
学習ですから、変化が現れるには当然時間がかかります。

でも、なぜか、一夜漬けをやるのよねぇ…。

私たちだって
初めてのことを完全にすぐにはマスターできない。
試行錯誤、反復練習の期間があって初めて身につく。
ですよね。

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あんたと話すと…

(ご自身の胸を叩きながら)
「あんたと話すと筋が通ってくる」

よかったなーと思うし
ちょっと相当うれしい(^^)

だって
私は、安心させたり、笑わせたり、楽しませたり
そういうことがしたいんじゃない。

そういうのは
結果としての感情だから。

私は、結果を目的にしたいんじゃない。

筋が通った考え方ができるようになって
その結果としての感情だもの。
もちろん、結果としての感情を共有できるのはうれしいけど

筋の通った考え方ができたと
その人自身が感じたこと
その援助ができたこと

それがうれしい。

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座席配置の工夫

「ちぎり絵の工夫」がこれだけ閲覧してもらえてるので
基本的すぎるかも。と思いましたが
再確認の意味でも書いてみようと思いました。

今日、書くのはきっとたくさんの方が
すでに、実践されていることだと思いますが
たとえば、大勢で体操する時にどんな風に座っていただくか
ということです。

進行役との距離(物理的距離)の遠近によって
身体模倣ができるかどうかが異なってくるということは
よくあることです。

視力や聴力はもちろんですが
理解力という面や集中力の持続性でも
困難な方は、なるべく進行役の近くの席に

認知症のある方は
「今、体操をしている」
ということを忘れてしまうことも
よくあります。

物理的距離が
「伝達」と「理解」のそれぞれを
明確化し、増幅することに関与します。

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禁止も命令の1つ

「○○してはいけない」って言うのと
「△△しなさい」って言うのと
同じことだと思うのよね。

同じことの裏返しなだけで。

そういうのって、結局は行き詰まるんじゃないかと思う。
お互いに窮屈で。
唯一無二の方法論なんてないし。

それよりも
こんな風に考えてみたらどう?
こういう方向性でやってみたら?
っていう、もっと緩やかな枠組みが示せればいいんだと思う。

それにしても
こういう「標語」「スローガン」がもてはやされる
ということは
逆に言えば
私たちが無自覚のうちに
「自由から逃走」してるのかなぁ
…なんて、思ったりもして。

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「否定しちゃいけない。でも…」

今や常識的に言われている
「認知症のある方の言うことを否定してはいけない」
あまりに常識的に言われるので
ご家族の方もよく知っておられます。

でも
否定はしないけれど
そんなこと言われても…とか
否定しちゃいけないなら
なんて答えたらいいの?…って
すごく疑問に思い、不安にも感じておられる方が
大勢いらっしゃいます。

そういう疑問や不安な気持ちを
ぶつけられた方もまた大勢いると思う。

その時に何て答えていますか?

答えにつまった…という体験をした方も
きっと少なくないと思います。

その現実が意味することは、何なのでしょう?

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