Tag: コミュニケーション
2013年が始まり、最初の1ヶ月がそろそろ経とうとしています。
今年もナオミ・フェイルさんが5月に来日してバリデーションセミナーが開催されます。
詳細はこちらをご参照ください。
公認日本バリデーション協会http://www.clc-japan.com/validation/index.html
日程としては下記のとおり。
5/11(土)東 京
5/12(日)名古屋
5/14(火)福 岡
5/18(土)大 阪
5/19(日)東 京
私の名刺には「作業療法士」だけでなく「バリデーションワーカー」も記載しています。
名刺交換の折に「バリデーションワーカーって何ですか?」と尋ねられることも多いのですが、最近は「私もセミナーに参加したことがあります」と言われたり「バリデーションという言葉を聞いたことはあります」という方が増えてきてとても嬉しく思っています。
認知症のある方を対象として働いているのであれば、ぜひ一度はセミナーに参加してみてください。
「認知症のある方に寄り添って」という言葉を(つまりは概念を)実践するとはどういうことなのか…ということを体験を通して学ぶことができます。
バリデーションの本もDVDも発売されていますが、本を読んだくらいではバリデーションを理解することは難しいと思います。
表面的にテクニックだけを流用しても効果は限られているし、認知症のある方にも援助者の側にも内的な変化は起こらないでしょう。
バリデーションは、認知症のある方にとっても援助者にとっても豊かな体験ができる場です。
それは本来、私たち自身の内に在るものだということを思い起こさせてくれる場です。
みなさま、お忙しい日々をお過ごしのことと思いますが、ぜひご参加いただきたいと思います。
受講費は、OTの研修会参加費と比べたら…確かに高いかもしれません。
でも、参加費に見合うだけの体験はすることができます。
迷っているなら、参加してみてください!
申込やお問い合わせは上記サイトからできます (^^)
Permanent link to this article: https://kana-ot.jp/wp/yosshi/699

機械的なリハ、ケア、援助
考えることもなくあてはめるだけで
振り返り検証することもなく
努力もせずにできるけど
作用反作用の法則
物理的にはたらくチカラが
心理的にはたらいたっておかしくない。
援助は
対象者にも援助者にも
エンパワメントをもたらすものだけれど
機械的なそれらは
逆にpowerを奪われてしまうのだと思う
機械的な人たちは
それを恐れて一層機械的になるのだろうけれど
知らないうちに一層powerを奪われている
対人援助職
恐ろしい仕事だ。。。
Permanent link to this article: https://kana-ot.jp/wp/yosshi/694

人間、身体が資本だから
身体的な疲労はあるにしても
対人援助職が心理的に疲弊してしまうのって
どこか今ひとつ援助できていないことも
要因の1つとしてあるんじゃないかな?
ある意味、割り切ってしまって
そんなの考えようともしないような人たちは
心理的に疲弊することすらできない。
一生懸命な人ほど
どうしたら真に援助できるのか
真に援助するとはどういうことなのか
考えながら実践に励み、現実との間で疲弊してしまう
悪化が良貨を駆逐する…というような現実は哀しい。
一生懸命な人が遠回りしないでもすむように
疲弊する前に
希望をもって働けるように
「よっしーワールド」「よっしーずボイス」が
少しでも役に立てばいいな…。
高望みし過ぎかな…。
Permanent link to this article: https://kana-ot.jp/wp/yosshi/693

キレイごとだからこそモノゴトまわる
「ちゃんとした食事介助は時間がかかる」
って言われたことがあってビックリしたことがあるけど
ちゃんとした食事介助は時間だって短縮される。
(切り替え時だけは時間はかかるけど
それを乗り越えたら質的にも量的にも改善される)
対応の工夫だって然り。
効果のある対応は、能力を見いだすことに始まる。
無根拠な信仰としてではなく
現実を根拠として信頼するに値すること。
効果のないキレイごとは単なるたわごとだけど
効果のあるキレイごとは
その人自身をエンパワメントするだけでなく
援助者をもエンパワメントする。
Permanent link to this article: https://kana-ot.jp/wp/yosshi/691

優秀で志の高い方たちと
一緒にお仕事できるのは、とてもありがたく幸せなことです。
対応が迅速で的確。
これってなかなかできそうでできないことです。
その上、向いてる方向がブレてない。
相手のため…と言いながら
いつの間にか、自分のほうを向いてる人も多いけど
目的は一貫して対象者。
ブレはない。
スッキリくっきりブレてない。
ほんと、凄い!
思いっきりinspireされました。
そんな凄い方たちと巡り会えて
私はなんて幸せなんだろう。。。(^^)
Permanent link to this article: https://kana-ot.jp/wp/yosshi/688

例えば
レスキュー隊の養成過程は
過酷な状況においても人を救出することができるように
知識と技術と体力をトレーンングされる
そして必ずクリアすべき条件が設定されている。
クリアできなければふるい落とされることだってある。
プロとしてのスタート地点に立てるかどうか
トレーニングした上で判断される。
OTはどうなんだろう…?
「実習では、OTの素晴らしさや楽しさを教える」
と言ってる人たちは
学生がOTとしてスタートラインに立てるかどうか
トレーニングした上で判断している、できているのだろうか?
卒前の養成よりも卒後の養成に力点がシフトして
でも現実問題、協会の加入率は低下し
個々の職場での養成だって職場任せになっていて
その人たちはこういう現実を
OTという国家資格の質の担保をどう考えているのだろうか?
自分や自分の大切な人が
対象者の側にまわった時にどう感じるのか
…ということを考えたことがあるのだろうか?
Permanent link to this article: https://kana-ot.jp/wp/yosshi/685

あちこちで起こっているような気がします。。。
結果として起こることを目的化する。
う〜ん…
たとえば
実習指導において「実習は楽しくなくちゃ」
たとえば
臨床場面では「認知症のある方の笑顔を求める」
もちろん、実習は辛いほうがよいとか
認知症のある方が泣いたっていい
…なんて言ってるわけじゃありません。 念のため。
実習では、まずは、規定されている到達目標に
学生が達するように援助することがSVの本来の目的なんだし
(学生が楽しいと感じるかどうかは学生の自由であって
SVがcontrolすることじゃない。)
認知症のある方だって、状況認知が明確になったが故に
笑顔がなくなり表情が不安そうになることもあります。
でも、笑顔があったって状況認知が低下している状態と
いったいどちらが「よい」のかは…本当に難しいことです。
結果として起こることを目的化して
本来の目的が揺らぐようであれば
それは本末転倒のそしりを免れえない…と思います。
Permanent link to this article: https://kana-ot.jp/wp/yosshi/684

私が卒業して1年目。
準公務員的職場だったからお給料は。。。
必死になって研修に出たり本を読んで勉強しまくりました。
(お金が足りなくてパンの耳食べてたこともある。。。マジで(^^;
だって対象者やご家族の立ち場だったら
まったく同じ時間で同じお金を払うのに
誰だって腕の良いセラピストに担当してもらいたいですよね。
もっと良くなるはずなのに
私が担当したばかりに良くならなかったら申し訳ない。
だから必死だった。
お金も時間もエネルギーも
随分使ったけれど、だからこそ身についたこともある。
そして、努力の積み重ねのある言葉とそうでない言葉は
ちょっと聞けばすぐわかっちゃうんだよね。
今、必死になって頑張っている人は
もしかしたらとてもそんな風には思えないかもしれないけれど
努力は決して自分を裏切らない。
寒さ全開!の今日この頃ですが、お互いガンバロー!
Permanent link to this article: https://kana-ot.jp/wp/yosshi/683
最近のコメント