Tag: コミュニケーション
能力を観る。。。というのは
単に「これができた」「あれもできた」ということではなくて
できかたを観る。。。ということ
できかたを具体的に観ることができれば
今、ここの環境、この場面設定ではできるけれど
違う環境、異なる場面設定では
できないことも予測できるということ
少なくとも、その幅を予測できるということ
Permanent link to this article: https://kana-ot.jp/wp/yosshi/1441
対応が後手にまわるってことは
表面に現れている困難事、つまり
「既に起こっていること」をどうにかしよう
という視点で考えているということ。
先手の対応は
「こうなる」「これならできる」という
イメージがあるということ。
どんなに丁寧に優しく接しても
対応が後手にまわっていると
行動変容は起こらない。
認知症のある方の
能力と困難と特性が把握できれば
「こうなる」「これならできる」というイメージは
ある程度の幅をもって浮かび上がり
だんだんとその幅が明確に狭くなっていく。
Permanent link to this article: https://kana-ot.jp/wp/yosshi/1439
もちろん善意なのはわかってるけど
「良かれ」と思って対応すると
いつのまにか自分のスローガンの実践になりかねない。
そうは思ってなくても
いつの間にか、からめとられてしまいがち。
むしろ
相手に悪いことをしないように
って心がけると良いと思う。
悪いことって
人それぞれによって違うから
相手をちゃんと観るようになるから。
Permanent link to this article: https://kana-ot.jp/wp/yosshi/1438
認知症のある方と接していて
思い知らされるのは、能力のスゴさ。
失われたものを取り戻すことはできないけれど
埋もれているだけの能力は表面化することはできる。
ただ
表面化する過程において
認知症のある方も、私たちも、どちらにも努力が必要で
その恊働の結果
表面化した能力には目を見張らされるし
恊働の過程があるからこそ、信頼もしていただけるのだと思う。
Permanent link to this article: https://kana-ot.jp/wp/yosshi/1433
一見良さそうに見えることに
私たち自身が喜んでしまうと
かえってそれを助長してしまうことって結構ある。
本当は無理して頑張って過剰適応してるのに
日課への適応や
職員のお手伝いや
周囲への気遣いある言動など
いわゆる「良い人」って「良い」ことだからこそ
「問題」認識しづらかったりする。
Permanent link to this article: https://kana-ot.jp/wp/yosshi/1430
本当に有効な予防は
わかってもらえない。
予防。。。つまり未然に防いだのですから
起こらなかったことはわからない (^^;
でも
認知症のある方とご家族の困りごとが
少しでも少なくなるのであれば嬉しいし
それに
何か起こってから対応するんじゃなくて
事前に先手を打てるように対応を考えて実践すると
自分自身のスキルアップに確実につながります。
Permanent link to this article: https://kana-ot.jp/wp/yosshi/1428
認知症のある方の
能力に胸打たれる。
手遅れになる前に
関わることができてよかった
。。。と思う。
行動変容は起こる
認知症のある方との「恊働」によって起こる。
そして
その体験に支えられる。
Permanent link to this article: https://kana-ot.jp/wp/yosshi/1427
認知症のある方は
場合によって
自分の言いたいことをそのまま言葉で表現するのが
難しくなる時もあります。
言いたいことを言えない
言おうとは思っていないことを言ってしまう
とっさに取り繕ってしまう。。。etc.etc.
でも身体はウソつかない。
逆に言えば
身体を通してコミュニケーションの道もある。
Permanent link to this article: https://kana-ot.jp/wp/yosshi/1422
最近のコメント