Tag: リハビリテーション

理解されなくても恊働できる(2)

前にも書いたけど
原典不明ですけど世界のあちこちで言い伝えられてる言葉

To hear is to forget
To see is to remember
To do is to understand
To find is to use

「体験したことは理解する」なんだよね。

チームで連携するにあたり
OTを理解してもらうのは
手段ではなくて結果なんだと思うよ。

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理解されなくても恊働できる

私たちがまず第一に考えるべきことは
対象者の方に対して役に立てること。

今よりも一歩役に立つことができればそれでいい。
二歩役に立てればもっといい。
三歩役に立てればさらにいい。

だけど
「一歩役に立つ」
って本当に難しいことだよね。

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伝わってしまうコト

視点の変換ができれば
世界が変わる

(正確に言えば世界そのものは変わらない
自分の受けとめ方が変わるだけなんだけど)

発想の転換ができれば
意図が変わる

意図が変われば
伝えてしまうことも変わる

伝えられることが変われば
受け止め方も変わる

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視点の変換・発想の転換

相手を直接的に変えようとするのは「修正」「改善」

「修正」も
「改善」も
どこかで「理想像」から「現状」を
差し引きマイナスで見ているということ。
つまり、「現状」の否定が行われている。

そのような意図で行われるものに対しては
「拒否反応」がはたらく。

けれど
相手の状況を変えるということは
現状を否定してはいないから
状況に要請されて相手の内部から「能動的変化」が起こる。

相手を直接的に変えるのではなく
結果として変わるように
相手の状況を変える。

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修正しない!援助する!

私の考え方の基本です。

食事介助でも
移動介助でも
声かけでも

「修正しない・改善しないで援助する」

つまり、「直すな助けろ」

修正する・改善する…ということは
あるべき像から現状をマイナスで見る
今じゃいけない…という視点に立っていることです。

援助する…ということは
現状を否定しないという視点に立っています。
今でいい。
でも今よりラクにできたらもっといい。
今よりもっとできたらさらにいい。

極論に聞こえるかもですが
身体のはたらきには、その人の歴史が集約されていると考えています。
(後日、説明しますね)
そう考えたら、修正なんてできないです。

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言語化する視点

再現性を高めるためのトレーニングとして
日頃から言語化に努めています。
自分ひとりでもできる方法です(^^)

感覚的にできた方法を
一度言語化してみて
言語化のとおりに身体を動かしてみると
言い足りていない(明確化できていない)箇所がわかる。
さらに言語化してみて
身体がその通りに動くかどうか確認する。

それでもナントナクやってるところがあるのよね。。。

そういう意味でも
他の人に伝えるのってとても重要。
他者が再現できていないところが
私が言語化していなかったところだとはっきりわかる。
自分が見落としていた言語化する視点を教えてもらえる。
ということにもなります。

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上肢を使った立位訓練

身体は総体としてはたらいている

だから
上肢を使った立位訓練をおこないます。
この考え方は決して新しいものではありません。
むしろ、昔ながらの考え方だと思います。

けれど
臨床的にはとても効果的で
なのに
臨床的にはあまり活用も重要視もされていないように感じています。

身体は目に見えて動いている部分だけがはたらいているわけではない。

上肢を動かすことによって
下肢のはたらきも変わります。

望む動きを怖がってしようとしない時には
無理強いせずにサポートをします。
その積み重ねで怖がらずにおこなえるようになってきます。

「筋力低下」という言葉は本当によく聞く言葉ですが
実際には、「筋力低下」ではなくて「はたらきの低下」
によるものが少なからず含まれていると感じています。

(了)

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できかたを良くする

できないことをトレーニングするのではなくて
できていることのできかたを良くする
その過程において
関連しているはたらきが他の能力として表面化してくる

歩けないけど
かろうじて立てる
そういう時には、歩き方ではなくて
立ち方をよくするトレーニングをする
そうすると、かろうじて歩けるようになってくる
そこで、歩き方をトレーニングする

これは、過去に立ち上がりと座り方のトレーニングの記事でも書きましたが、身体面でも認知面でも対応についての私の基本的な考え方です。

もう1つ、私の基本的な考え方があります。
それは「身体は総体として働いている」
というものです。

(もう少し続く)

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