Tag: リハビリテーション

学生の時に誰でも1度は耳にしたことのある言葉だと思います。
Re-Habilis
ふたたびー適した状態になること
それが、リハビリテーションの語源であると。
認知症のある方は
残念ですが、疾患の定義上、 モトには戻れない
年老いていく、ということは若い時には戻れない
たとえ若くて活気あふれる頃には戻れなかったとしても
認知症になったとしても
ふたたびー適する
生き方、暮らし方を再発見再構築する
それは、やっぱり、
「再」発見「再」構築であって
そのヒントは目の前のお年寄りの在りようにこそある
と確信しています。
認知症のある方への
リハビリテーションとして
作業療法として
提供するコトやモノが
「Re-Habilis」 の思想にのっとっているのかどうか
問い返しながら実践するということは
自分が1人の人間として生きていく日々の暮らしの中で
自分自身を再発見再構築していく過程を
否応もなく、問い返し揺さぶり
そして、励まし支えてくれる過程でもあるということに
あらためて気がつきました。
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本当は
解き方がマズいんじゃなくて
問いの立て方がマズい
…ってこと、結構あるんじゃないかしら?
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今はこの言葉が自分にとって一番しっくりくる。
「OTは触媒」
一緒に仕事をしたたくさんの療法士から聞いてきた言葉があります。
それは
「オレが治してやった」
「自分が歩かせてやった」
あるいは
「私は何にもしていない」
それらの言葉はその人たちにとっては確かにそうなのでしょう。
でも
私の考えるリハは対象者の方との恊働作業
対象者の能力と特性が暮らしの困難を乗越えていく
だからこそ、ないものねだりはできないし
対象者の能力と特性が望ましい方向性で有効に発揮されるように
触媒として適切に機能できるようでありたい
触媒がなければ反応は起こらないけれど
触媒はあくまで触媒に過ぎない
だからこそ
適切に機能できる触媒でありたい
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提起した方法にはポイントがあります。
それは、「動きを止めないように動く」ということです。
タイヤの1ヶ所を手で押し出すようにすると
タイヤがぐるっとまわるように
円環状になっているという特性を活かすのですから
ふんばったりするような動きを止める行為をすれば
そこで身体全体の動きが止まってしまいます。
滑らかに
がんばらずに
個々のパーツとしての筋力に頼らずに
身体全体の協調を活かして
立ち上がりー座る
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身体を総体として働きやすくするために
立ち上がりの時には
両手を大腿から下腿、足首、つま先へ…と
さすりおろすようにします。
ここでのポイントは
手が常に身体に触れたまま動くということです。
手が触れていることによって
たとえば、タイヤのように
身体が線ではなくて円環状になるようなイメージです。
身体に端のない状態をつくる
身体がつながっていて始めも終わりもない状態
この状態で動きが生じれば
身体の他の部分もつられて動かざるをえません。
手でさすりおろす…という動きにひきづられて
臀部が持ち上がります。
動きを決して止めないことがポイントです。
座る練習をする時には
立った状態で両手を大腿に置き
大腿〜下腿、足首、つま先へと手をさすりおろすようにしながら
腰をおろしていきます。
臀部が着座したら
手をつま先、足首、下腿、大腿とさすりあげるようにして
身体を起こします。
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お年寄りに対して
筋力強化を主体としたリハを行うということは
「個々のパーツの能力の総和=身体能力」
という考え方に基づいています。
でも、それは本当でしょうか?
身体は常に全体として 総体として働いています。
身体のあるパーツの能力が
低い時には低いなりに
高い時には高いなりに
身体は常に総体として働いている。
それなのに
筋力強化を主体とするということは
逆に言えば、
総体として働いている身体を
無自覚であったとしても
否定してしまうということを意味します。
抽象的な「正常な身体」を 勝手に設定して
そこからの引き算として
お年寄りの現状をとらえる
…という考え方は
いろいろな人生経験をしてこられたお年寄りの生き方までも
暗に否定してしまうことにもなりかねません。
判断基準が「正常な身体」であるならば
追い求めているのは「正常化」ということです。
それは、はたして、
「その人らしさを大切にする」と言えるでしょうか。
「お年寄りを尊重する」と言えるのでしょうか。
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実は、健常と呼ばれている私たち自身が
腰部の筋を収縮させることによって 臀部を持ち上げているのです。
観てればわかるし
やってみればわかる
けれど、そこに注意を向けなければわからない…
常識を鵜呑みにする人にはわからない…
身体を前傾し、足裏からの床反力を使って立ち上がれるのは
膝と股の屈曲角度が鈍角になる
スツールのような高いイスに座っている場合です。
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立ち上がり方については
昭和大学で開催された
第12回神奈川県作業療法学会のワークショップはじめ
いろいろな研修会や勉強会で説明していますが
巷でよく言われているような
「身体を前傾して足の裏を意識してふんばって立つ」
という方法は
実はあんまり適切ではないのではないかと考えています。
臀部が接地した状態で いくら上体を前傾しても
この肢位での重心は
足底からの垂直線上より後方にあるので
床反力を利用したら後方へ倒れるしかありません。
それでは立ち上がれないので
たいていの対象者の方は立ち上がるために
腰部の筋を収縮することによって臀部を浮かしています。
(あまり療法士によって明言されることはないようですが)
実は、ここが分水嶺になると考えています。
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