Tag: リハビリテーション

食べることで食べられるようになる

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その時々の状態を
的確に把握して的確に対応することで
その時々で食べられるようにしていくことで
食べ方も良くなり
少しの配慮で食べられるようになっていく

今まで一番少ない一口量は
シリンジで2ccから始めたケースがありました。
その他にも3ccとかあるし
ペムパルという栄養補助食品1本125ccを30分かけて摂取とか
お茶ゼリーコップに1杯を30分とか
当たり前によくあります (^^;

最初はお互いに大変ですけど
そういう量しか摂取できない方でも
多くの場合に通常の食事時間帯に通常の提供量が
食べられるようになっていきます。

2ccや3ccしか飲めない…ということを
認知症のある方のそういう状態像だという「原因」と認識するか
そういう状態像を来した「必然」があると認識するか
その違いは本当に大きい。

「原因」と認識している限り
食べ方を良くしていくことは難しい
結果として、脱水や低栄養や誤嚥性肺炎を予防することも
食べられるようになることも難しい
今までそういったことが「常識」や「現状」として
認識されていたのではないでしょうか?

でも本当はそうじゃない

「必然」と認識すれば
もう一度、私たちの実践を振り返り
異なる実践へのチャレンジをすることができる

その結果
重度の認知症のある方でも
もう一度安全に楽に円滑に早く
食べられるようになっていく

これは
本当に起こっていることなのです。

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目の前の現実が最前線

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本に書いてあることを話したってしょうがない。
それが私の講演におけるスタンスです。

申し訳ないけど
教科書は過去の知見をもとに記述されてる。

それはそれで
先人たちの努力の積み重ねによって得られた
学ぶべき大切なことが記載されているわけだけど
読めばわかるようなことを
お金を払って時間を費やしてまで聴きにはいかない
だったら本を読めばすむこと。

本には書かれていないけど
臨床において大切なこと
私が気づいていないような異なる視点
新しい知見
そういうことを知りたいから
お金と時間を使って話を聴きに行く。

私は負けず嫌いだから
モトをとることを考える
自分が選択した研修会がつまらないなんて文句を言うのは
自分自身の癪に障るから (^^;
絶対に何か1つは参加して良かったって思えるものを持ち帰る
そう思って参加してきたし、今もそうしてる。

講師の話の内容だけじゃなくて
表現の工夫
(講師自身の肉体による表現とパワポなどの媒体による表現と)
組み立てや展開の工夫
主催者の態度や設定、配慮…etc.etc.

凄いなぁ…って思ったことも
逆に他山の石とすべきことも

目の前の現実が最前線
プレゼンの本とかもいっぱい出てるけど
生身の体験に勝る機会はないです。

臨床こそが最前線
私はたくさんのことを対象者の方から教わり今も学んでいます。

それは決して臨床だけじゃない。

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自己投資は無限大

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こんなことは自慢には全然ならないけど
私は勉強してきました。とは言える。

図書館に行く時間がなかったから
ちょっとでも気になる本があれば買って
時間を見つけては読みあさり
ちょっとでも気になる研修会があれば、まず参加

初めての就職先は準公務員扱いだったから
お給料は安かったので
パンの耳とか、素ラーメンとか食べてて
当時つきあっていた彼に笑われたこともあったっけ。

そんな私ですが(私だから?)
研修会の参加費が高い!なんて思ったことは実は一度もない。
その本を読みたいから買うし
学びたいから研修会に行くし
(ちなみに今まで一番高い受講費は
バリデーションを学ぶ時で398,000円払った)
主催者が設定している金額には根拠があると思ったし
(たとえ私にわからなくても)
高いならかえって絶対にモトをとってやる!と燃えたし
どんなつまらない研修会でも学ぶべきところは必ずあるはずだから
「つまらなかった」「おもしろくなかった」
と文句を言うのではなくて
絶対に自分の身になるように学んでやる!と思って参加してた。

たぶん
その全部が今の自分を作ってくれてる
そう思う。

自己投資は無限大

本当に身につけるためには投資が必要
時には身銭を切ってムダ金を使って
そうしないと真贋の区別がつかない。

そのかわり
いったん習得した知識と技術は無限大

誰にも奪われることのない
誰にもマネできない
自分だけの能力

そういうものって
投資しないとリターンもないんだよね。

お金とエネルギーだけじゃなくて

実際に
良いと言われたものは
自分の眼と耳と手を使ってやってみて
できなくって落ち込んで
どうしたらできるようになるのか
必死になって考えて
もう一度挑戦して
そうすると講師の話がまた一段と深いレベルで理解できたり

そんな、泥臭い試行錯誤の果てに
ようやく身になる

そこにたどりつくまでの努力が
ムダになることなんて絶対にない

どんなにたくさん論文を読んでも
どんなにたくさん研修会に参加しても
それはあくまでも入口で
自分自身のアウトプットを通して
再学習をするしかない。

そういう孤独な自己投資こそが大事

頑張ってほしい。

私もガンバリます (^^)

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セミナー「食事介助」8月7日@大阪

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認知症のある方の食事介助は本当に大変です。

でも、それって私たちが大変にしてしまっている部分の方が
大きいということをご存知ですか?
私たちが変わることで
大変さを改善することができるのだということを
ご存知ですか?

認知症のある方の食べ方は
90%以上の確率で良くすることができます。
良くする…という意味は
安全に、円滑に、早く、食べられるようになる
という意味です。

そのためには
「食べる」ことに関する知識と技術と
「認知症」に関する知識と技術の両方が必要なんです。

ところが現実には
「食べる」ことに関する
知識と技術を学べる機会がほとんどありません。

「認知症」に関しても
4大認知症すら知らない人も少なくありません。

そして
認知症のある方の食べ方の改善のためには
「食べる」ことと「認知症」についての
両方の知識と技術をもった上で
視点の転換が要求されます。

だから
私が食事介助の講師を務める研修会に参加してくださる
医師や看護師、リハスタッフ
中には摂食嚥下の認定をもっている看護師や
認知症の認定をもっている看護師の方もいますが
そういう方から「勉強になった」「眼からウロコだった」
という感想を頂けるのだと思っています。

(株)geneさん主催で
実技のある食事介助に関するセミナーは
今年度この大阪会場での1回限りの開催です。

『認知症のある方の能力を発揮していただけるように援助する』
という根本的な理念と実践を
実技と体験談を通して
理解することができるセミナーです。

ご参加お待ちしております m(_ _)m

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POST連載記事 7

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POST 理学療法士によるリハビリ職者のためのサイトに
私の連載記事が掲載されました。
http://1post.jp/2016/07/13/interview_ot_dementia_colum07/

同じコトが違うカタチで現れているだけ
だから食事介助が適切にできるようになることは
食事介助だけにとどまらず
生活障害、BPSDへも適切に対応できるようになることと
大きな関連があります。

「食べさせる」ことしかできない人は
他の場面でも「〇〇させる」ことしかできない。
それが、たとえ、優しい言葉と口調によるものであったとしても
使役は使役に過ぎない。

でも
「食べることの援助」ができる人は
他の場面でも「〇〇することの援助」を
具体的に考えられるようになる。

「具体的に」
自分の介助を気をつけられること
相手の反応を観察できること

そのための知識であり
現実化するためには技術が必要

当たり前のことですが (^^;

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結果なのか原因なのか関連なのか

我慢のしどころ

結果なのか原因なのか関連なのか
本当はわからないことなのに
あたかも認知症のある方の「せい」ー「原因」
にされてしまっていることって
とても多いように感じています。

私は基本的に「原因」という言葉を使わないようにしています。

いわく
BPSDは、それを引き起こす不安や不快などの
何らかの原因があるから、それを探索して改善する。。。etc.

原因探索改善というのは
因果関係論としてのICIDHの考え方で
ICFには、なじみません。

ICFになじむ言葉ーつまり概念として
私は「必然」という言葉を使っています。

そうなる必然があって現状がある

自分で使っていて自分で言うのも、何ですが
私はこの言葉ー考え方がすごく好き
自分の実践にぴったり合うんです。

今を否定しない
治療的態度、治療的関係性を駆使して
結果として行動変容を援助する

結果なのか原因なのか関連なのか
わからないけど
わからないことはテキトーに判断はせずに
わかるときまでは、わからないままに
思考を停止せずに関与していく

そうすると
日々の臨床の中で
いろいろな発見があって
それは、まさしく

「大事なのは…まだ誰も見ていないものを見ることではなく、
誰もが見ていることについて、
誰も考えたことのないことを考えることだ」
(エルヴィン・シュレディンガー)

というような見方ができるようになって
結果として、認知症のある方のあれこれが改善されていく

それは本当に私自身が励まされる過程でもあるのです。

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パターンに当てはめるだけなら専門家はいらない

ちょっと待った

巷にあふれる
「こんな時にはこうしたらいい」という手合いの本。

ある意味、購読者のニーズにはマッチしているんだろうなー。
とは思う。

でも、そういうことをやるから悪循環になっちゃう
悪循環に結果として関与してしまっている
ということをどんな風に考えているんだろう?

パターンに当てはめるだけなら
専門家はいらない。

パターンに当てはめるって
対人援助の対極にある態度なんだけど。

今から20年以上前から
専門家と素人の垣根が低くなってきた
って言ってきたけど
ネットの定着もあってどんどん拍車がかかってきてると思う。
良くも悪くも。

その一方で
本物のプロは
必ずどこかにれっきとして存在してる。

本物のプロは凄いです。

専門家と素人の垣根が低くなった分
本物のプロとその他との垣根が
相当高くなりつつあるんじゃなかろうか。

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安易な食事介助は逆効果

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ときどき、ホントに哀しくなるようなことを聞きます。

食べられる機能、状態ではないのに
そこを的確に、障害と能力の把握ができない人たちが
とにかく「食べなさい」と叱咤激励したり。。。
無理矢理食べさせたり。。。

知識と技術がないから
できることがそれしかないのだろうとは思いますが
逆効果にしかならないことは
やめてほしいとすら、思ってしまいます。

ご本人は、ちゃんと食べにくさを感じているのだから
食べにくいのはわかる
でも、大丈夫
こうしたら食べやすくなる
という方法を具体的・現実的に探して提案できることが
私たち対人援助職の仕事だと考えています。

そういう私たちがすべき努力をしないで
「食べなさい」
「食べなきゃダメよ」と言うだけだったり
無理矢理食べさせたりするのは
あまりに安易だと思うし
そんなことをしても
単に食べられなくなるのを先延ばししてるだけだし
そんな介助を受け続けていると
誤介助による誤学習によって
どんどん食べられなくなってしまいます。

プラスがないだけなら、まだしも
マイナスになってしまうんです。
そのマイナスのつけをいったい誰が払うのか
次の施設や病院のスタッフとご本人が払うなんて
なんて不合理なんだろうと腹立たしく思うことすらあります。

でも、私がすべき仕事は腹を立てることではなくて
大変でしたね
でも大丈夫
もう一度がんばって
こうしたら食べやすくなりますから
という方法論をみつけて
具体的・現実的に実践して
食べやすくなるように援助すること

認知症のある方が
「あなたの介助では私は食べにくくてイヤ」
と言葉にしないからといって
そう感じていないわけではないのです。
そんな食べにくい介助でも
必死になって食べようと合わせてくれてるんです。
そんな報われない経過のあとですら
もう一度食べやすくなろうと挑戦しているんです。

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