Tag: リハビリテーション

特性をフィードバック

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認知症のある方の
Act.という「対象への向き合い方」をよく観察して
その向き合い方の特性をフィードバックします。

人によって向き合い方は、さまざまです。
早く
たくさん
丁寧に
慎重に
きっちりと
などなど全然異なります。

「手早く為さるんですね」
「もうこんなにたくさんできましたね」
「ていねいに為さったのでとてもよい仕上がりになりましたね」
「間違えないようにとても注意深く為さっていましたね」
「きっちり作られたんでぴしっとできましたね」
などなど。。。

時には
認知症のある方がニコニコして「綺麗ねー」とおっしゃってる時には
私も「わー綺麗。すっごい綺麗。」などと言うこともありますが。

認知症のある方の
「対象への向き合い方」が現れる行動をよく観察する。
認知症のある方の
注意を向けているその向け方に着目して言語化する。

ただ単に
作った、できた、よかった、上手…ではなくて
その過程への向き合い方を理解し、受けとめたということを言葉にして伝えます。

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特性を評価:形容詞の詳細化

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認知症のある方へAct.を提供する時には
特性を重要視した選択をします。

まず、こういう傾向のこういうAct.だったら
特性に合致してるし、できるだろうなーという見立てのもとに
ハズレないカンタンにできるものを提供します。

最初から、ぴったりハマるAct.を提供することはないんです。

だって、認知症のある方は
たいていの場合、失敗体験・喪失体験を繰り返し体験されてきて
しかも、多くの場合に、その時に適切な援助を受けられなかったことが多いので
「何かする」とりわけカタチになって結果が明確に残るような手工芸系のAct.には
ものすごく強い不安感を示されて
結果として「何もできない」「わからない」と拒否されることが多いです。

だから、最初のAct.は
その方の特性に沿ったもので
「あら、カンタンにできたわ」「ラクにできた」
と感じられる程度のもの「が」いいんです。

そして、私は
そのAct.を通して評価をします。
「どんな風に」行うのかを観察します。

人によって「どこに」力点をおいた行い方をするのかは異なります。
ひと言で言うなら形容詞の詳細化の過程です。

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「私の名前なんて覚えてなくていいんですよ」

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認知症のある方に
私はいつも言っています。

「私の名前なんて覚えてなくていいんですよ」

私がこういう風に言う前にたいてい
認知症のある方がこんな風におっしゃるんです。

「あら?あなた誰でしたっけ?」
「前にもお会いしましたっけ?」
「ごめんなさいね。私バカだからわかんなくて」

そこで
「私の名前なんて覚えてなくていいんですよ」
といつも言っているんです。

だって
認知症のある方が一日暮らすだけで
どんなに日々気をつけながら暮らしているのか
その一端は私にもわかります。

私の名前なんかより
認知症のある方が覚えようとしなくてはならないことがたくさんあります。

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感情と感覚に

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認知症のある方に関わる時に、気をつけていることがあります。

それは
症状が進行すればするほど
感情と感覚に対して、はたらきかける。ということです。

だからといって
「あなたの今の感情は?」
「どう感じましたか?」
と尋ねるわけではありませんし
挨拶するたびに手を握ったりするわけでもありません。

認知症のある方が
感情や感覚を言語化しやすいように
言語的・非言語的コミュニケーションをしていきます。
その時その場のその関係性において行われることです。

イマ、ココで
感受されるのが「感情」と「感覚」だから。なのです。

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真贋の見極め

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私が尊敬する群馬大学の岩崎清隆先生が
かつて、機関誌のあとがきで
ある骨董屋さんのお話を書いていらっしゃいました。

「小僧さんには本物しか見せない。
本物だけがもつ品の良さがなんとなくわかってくる」

私がずっと大切にしている言葉です。

本物を知らなければそうでないものとの区別がつかない。
そうでないものしか知らなければ本物の良さがわからない。

本当にそうなのだと思います。

とこや談義のような、評価もどきしか教えてもらったり体験したことがなければ
本当の評価とは何ぞやということがわからない。
評価と評価でないものの区別がつかない。

だから
結果として
巷間取りざたされる事柄をそのまま援用したり
流行している方法論をそのまま適用したりすることしか
できなくなってしまっている。ということはないでしょうか。

でも
それで対象者の方が良くなるはずがないのは当然の帰結です。

評価ができなければ評価ができるようになるしかない。
評価を適切に行えるために情報収集ができるようになるしかない。

そこは
私たちが悩んだり、考えたりするところじゃなくて
行動するところなんです。

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日精看「ナーシング・スター」11月号見てね

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日本精神科看護協会の「ナーシング・スター」
私が実践している食事介助に関する記事が掲載されました!

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関連職種に聞こうという企画の中で私も登場することになりました。
11月27日(日)の日本精神科看護協会学術集会での実践セミナーに関するPRも兼ねてくださっています。
ありがたい限りです。

私たちが食事介助を変えるだけで対象者の方の食べ方が変わります。

認知症治療病棟に入院される患者さんはモチロンですが
精神科療養病棟に入院されている高齢患者さんの中に食事介助が必要な方が増えてきていると思います。

ところが、残念なことに
精神科作業療法に従事している作業療法士が
「食事介助に詳しくない」
「ポジショニングに詳しくない」
ということで看護師さんも相談にのってもらいたいのにのってもらえなくて困っている
という声を聞くことがあります。

精神科作業療法に従事している作業療法士にも諸般の事情があるのだと思います。
診療報酬の枠内でいろいろなことに対応するためには物理的な限界もあるでしょう。
でも、それって精神科に限ったことではありません。
身障系でも診療報酬の枠組みが大きく変わり、そのことへの対応が迫られました。
介護保険の分野でも、大きな変更がたびたび行われ、その都度対応が迫られています。
チャレンジを続けるのは、どの分野でも同じです。

もし使えるようでしたら、この情報誌を活用してくださいませんか?

看護師さんは、「こんなことしてる作業療法士がいるんだって」と
腰の重い作業療法士のお尻をひっぱたいてください。
作業療法士は、「こんな風に変わるんだそうです。試してみたいんです」と
看護師さんにはたらきかけてみてください。
もしかしたら黒船効果?として機能して第一歩を踏み出すことに寄与できるかもしれません。

それは私にとっても嬉しいことです。

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臨床あるある(座り方↑ // 立上がり↑)

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たとえ、自力では立ち上がれない人でも
座れないという人は非常に少ない。
ただ、その座り方が後方へひっくり返るようにドシンとなってしまうけど。

こういう場合には
立ち上がりは重心の移動方向に気をつけた全介助で行い
座る練習を恊働して行います。

言語的指示は
「音がしないようにそーっと静かに座る練習をしましょう」

最初はお一人ではできないので
座る時の重心の移動方向の練習を動作介助も含めて行います。

たいていの場合に
体幹の前傾と前方への体重移動が困難なことが多いので
腰部を伸張するように気をつけて介助をします。

そうすると
だんだんと肩甲帯のretractionを起こさないように軽介助するだけで
音がしないようにそーっと静かに
つまり重心の移動方向を自分で気をつけて座ることができるようになります。

それができるようになると
立ち上がり全介助だった方が軽介助で
立ち上がり軽介助だった方は自力で
立ち上がれるようになってきます。

(続く)

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sensitiveにcoolに

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ある人に
「よっしーさんは理系ですからね」
と言われたことがあって内心ビックリしたことがあります。

いやー高校の時は理系苦手でした。。。
でもある時に数学の美しさに触れて感動して
「年とってから数学にハマると大変だからやめておきなさい」と言われ
なんとなくわかる気がして老後の楽しみに封印してるということは言ってないはず。。。

私が仕事で認知症のある方に接する時には
ものすごく感覚と感情を使ってる。
でも、何が起こっていたのか判断する、どうしようか考える時には
できるだけ論理的であろうと努力している(つもり)

講演などで誰かに伝える時には
なるべく明確に論理的に伝えようと努力している(つもり)

恥ずかしながら白状すると
私、すごく涙もろいんです。
子どもが小さい時に、ドラえもんの映画を観に行って自分が泣いてたくらい (^^;
でも、というか、だから、というか
私、お涙頂戴はキライなんです。
公私ともに。

認知症のある方への対応の話って
なぜだか、感動路線に流されやすい部分もあるのよね。
そういう講演構成にしてる人もいるし。
それを求めて聞く人もいるし。
「泣く=良い」と判断する人もいるし。

でも、そんなことしたって
明日からの臨床の役には立たないのになー。
自分の困りごとも認知症のある方やご家族の困りごとも解決できないのになー。

だから、私は講演で感動路線は微塵も狙わない。
考え方や対応の提案も毒を吐く時も理詰めで吐きます (^^;

inputもoutputもsensitiveに
思考はcoolに

そういう在りようってカッコいいもん。
私の憧れです。

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