自分が変われば世界が変わる

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その最たるものがスポーツだと思う。

でもリハの世界も同じ。だと思う。

結果を出すこと。

誰の目にも明らかなくらい
対象者の方が良くなるように
そんな関わりができるように。

モチロン、ないものねだりはできないけれど
埋もれていて表面に現れていない能力ってたくさんある。

講演後の質疑応答で必ずといっていいくらい受ける質問の中に
「多職種との協力関係をどうやって築いたらいいでしょう?」
というものがあります。

それはいろいろ気をつけることはたくさんありますが
巷間もろもろ言われていることよりも
まず、第一に自分がスキルアップすることだと伝えています。

対象者の方に対して
30%しかできない人の集まりの中で
もしも自分が50%できるようになったとしたら
他の人を50%に引き上げることよりも
自分が90%できるようになることの方が大切なんだと。

多職種との協力という手段は
対象者のためにという目的のため。
手段を目的化して本来の目的を見失ってはいけないと思う。

ここで対象者の立場に立ってみれば
30%できる人が9人いて残り1人が50%できたとしたら
50%できる人が10人になることを目指すよりも
9人が30%しかできなかったとしても
90%できる人が1人でもいた方がずっといいんです。

だって食事介助の場面だとしたら
その1人の時には
全然食べやすさが違います。
自分の能力がないせいではなくて
相手によって自分の食べやすさが違うという体験ができます。

自分自身への希望、信頼を実感できます。

たった1人が変わることで
その人にとっては世界が変わるも同然です。

そしてそのような関わりができたとしたら
その人の能力と可能性に目を見開かされるような体験になる。

人間って凄いな。
身体って凄いな。

それは私自身の励まし、支えにもなっています。 

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4 個のコメント

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    • 海保よう子 on 2016年12月8日 at 2:32 PM

    こんにちは。
    手引歩行撲滅作戦を拝見しました一介護職員(実務者研修)です。
    突然ケアマネさんが手引歩行をし、喜々として、明日から他の職員にも実施して下さいと伝言ノートに書きました。
    新しく入職したケアマネさんで、何か得意満面で出引き歩行をアピールなさっていました。
    実際その様子を見て、何かとても引っかかるものを感じ、急ぎネットで調べたらよっしーさんにヒットいたしました。
    後日、入居者さんにお聞きしたところ、怖いし、良い気分ではないと伺いました。
    そのケアマネさんに、どうも体重が後ろになってるように見えるが・・・とか、二人とも前方が見えてないが・・・等
    伝えましたが、上の管理者も一緒に、歩行できるのにやらない訳にはいかない、ひっぱらないから大丈夫!と
    全くとりあいません。
    どの様に伝えたら解ってもらえるのでしょうか。
    自分はどの実習でも手引歩行は習っておりません。

    • よっしー on 2016年12月8日 at 8:43 PM

    海保さん、こんにちは。
    コメントありがとうございます。

    私は、海保さんのお勤めされている施設の状況をわかっているわけではないし、入居者の方の状態を把握しているわけではないので、少し的外れなコメントになるかもしれませんが、その点はご了承ください。

    まずは、そのケアマネさんの言う「歩行できるのにやらない訳にはいかない」という言葉が気になりました。

    海保さんがこのようなコメントをされたということから、歩行能力維持のための介助の必要性については海保さんも賛同されていると理解して良いのでしょうか?
    もしも海保さんのご意見として、介助歩行そのものが危険ではないかという認識だとしたら話は別になりますので、この違いについて確認させてください。
    つまり、「介助歩行の方法の問題」なのか、「介助歩行の適否」についての問題なのか、ということです。

    状況を知らない私がコメントを拝見している限りですが
    海保さんから出された疑問は「介助方法への疑問」なのに、ケアマネさんが「介助歩行の適否」と問題をすり替えて認識してしまったのか
    それとも、海保さん自身が「介助歩行の適否」そのものについても心配しているのか
    どちらなのかが、私には今ひとつ明確に判断できませんでした。

    前者だとしたら、「手引き歩行は良くない」ではなくて「側方介助歩行の方がもっと良い」という視点で説明することが重要だと思いますし、側方介助歩行の方がずっと良いということを実際にやってみせられることが必要です。
    入居者の方にとって、介助歩行が大切というところは両者で共有化できる。
    入居者は「怖いし、良い気分ではない」と言っているので、違う方法はどうだろうか。
    ほら、これだったらこんなにお互いがラクですよ。というように。

    もしも、後者だとしたらたとえ介助でも歩くことのデメリット、たとえば痛みや筋肉の硬さの悪化などの身体状況の変化と入居者の方の気持ちや考えなどをもとにした話し合いも必要だと思います。
    歩く機会が無ければ歩きにくくはなりますが、かといって単に歩かせれば良いとは一概には言えません。

    海保さんのコメントが特定の入居者の方を想定されたコメントでしたので
    海保さんが問題として設定されたことの確認とそれぞれについての考え方の方向性をお答えいたしました。

    • 海保よう子 on 2016年12月12日 at 9:25 PM

    よっしーさん
    早速お答えいただき、有難うございました。

    まずは、私が目にした手引歩行の様子から、「介助方法への疑問」が頭に浮かび、
    手引歩行という介助方法そのものが、不思議で、違和感がありました。
    なのでよっしーさんの仰る様に、側方介助の方がずっと良いと、実際にやって見せられれば良い、
    ということになるのですね。
    本当にその通りです。

    手引き歩行に疑問を持つ方に出会えた嬉しさに、勢いで一気に質問をしてしまいました。
    要点を得ない質問でした、すみません。
    よっしーさんのブログでこれからも色々と学ばせていただきます。
    有難うございました。

    1. 海保さん、お返事ありがとうございます。

      人は誰でも自分の過去の知識と体験に基づいてモノゴトを判断するので、「知らないこともある」という意識を持っていないと結果として自分の方法論にこだわってしまいがちです。

      そのような人に対して、言葉での説明だけしてもなかなか受け入れてもらえない…ということはよくあります。
      その人がもっている過去の知識と体験以外のことも起こりうるのだということを準体験してもらうことがまず最初に必要だと考えています。
      一番良いのは対象者の方が目に見えて良くなることです。
      それだけの結果を出せるように海保さんが側方介助をしてみせることがまず最初で、その次に言葉での説明、どこがどう悪くてどこがどう良いのかを説明します。

      表面的な方法論の差異だけを議論することは往々にしてみられることですが、それぞれの意見の依って立つ前提要件(ここでは過去の知識と体験)が異なっているので、表面的な意見だけを検討し合ってもそのまま議論が平行線をたどってしまうのだと考えています。

      「花も実もある毒もある」をモットーにしているブログですが (^^;
      引き続きお立ちよりいただければ嬉しく思います (^^)
      これからもどうぞよろしくお願いします。

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