Tag: コミュニケーション
良いことをしようとするのではなくて
悪いことはしないようにするのって
案外大切なことだと感じています。
対人援助職としては
良いことをしようとして
えてして結果的に悪いことをしていても
気がつかない…ということは案外多いもの。
良いことをしようとする時には
案外、相手の状況を観ていなかったりする。
けれど、悪いことはしないようにする時には
相手の状況を観ざるを得ない。
観察をする…ということを
余儀なくされるから。
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って、結構あるよね。
いろんなところで
同じコトが違うカタチで現れている。
問題なのは
問題と思ってることじゃなくて
問題設定の仕方が問題だという。。。
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その1回をただの1回とするか
またとない1回とするか
私たちは選択することができる
小さな1回を大切に積み重ねていくことで
次の1回の意味がわかる
小さな1回に最善を尽くすことで
次の1回にも巡り会える
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すっごく不思議なのが
立ち上がりを一生懸命練習させるけど
座り方には無頓着…ってパターン
がんばって立ち上がらせても
座る時にはドシーン
マッチポンプになっちゃってる
立ち上がりも座ることも
重心の移動の軌跡は
方向こそ逆だけど同じなのに。
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最重度の認知症のある方でも
誤学習から離脱できます。
失われてしまったコトを取り戻すことはできないけれど
誤介助に対する誤学習の結果として
能力が不合理な現れ方をしているのであれば
離脱できます。
正の学習をすることができます。
そのことを伝えたい。
いつかは低下してしまうかもしれない能力だから
できるだけ早く正の学習を促したい。
そして誤学習しなくてもすむような状況が増えることを
心から願っています。
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リハ職は障害の専門家
でもそれってウラを返せば
能力の専門家でもあるってことなんだよね。
とりわけ
作業療法士は能力に関して
医学と暮らしの橋渡しができる専門家。。。のはず。
声高らかにそのことを叫ぶのではなくて
日々の実践を通して
「やってみせる」ことができる専門家。。。のはず。
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最重度の認知症のある方でも
生きている限り能力がある。
私はそのことを信じています。
信じる…ということは盲信する
ということではなくて
実感をもって信頼している
ということなんです。
こうやって書くと
当たり前に思うでしょう?
でも
対応の方法論のベースが
「できなくなった」
「やらないとできなくなる」
である場合がとても多いように感じています。
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能力が不合理な現れ方をしている
のであって
能力がないわけじゃない
だから
現状を修正したり改善したりする前に
能力を見いだすことが必要です。
起こっていることを認識できる
起こっていることの意味がわかる
能力を見いだすために必要なこと
つまり
認知症のある方の問題ではなくて
私たちの問題なのです。
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