作業療法士として

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実は
私は過去あんまり「作業療法士として」働く
…という気持ちよりも
対象者の方に役立てるようになりたい
…という強い気持ちを抱いてきました。

初めて勤めたのが小児の肢体不自由児施設だったし
その後も老健で長く勤めていたので
「全身を観る」「リハスタッフ」という意識の方が
強かったと思います。

でも
不思議なもので
結果として
私は作業療法士として働いている
と言明できるようになっています。

自分自身の言葉で
作業療法とは何か…ということを言えるようになっています。

それは
作業療法を作業療法として
実践できるようになった…ということと
無関係ではないと思っています。

作業療法よりも
目の前のAさんにとって優先して必要な時には
バリデーションを実践できるようになった…からこそ
安心して作業療法を提案できるようになった
ということも大きいと感じています。

私は臨床家なので
一番興味のあることは、自分の腕…知識と技術を磨くこと。
そのことによって、目の前のAさんに寄与できるようになること。
少なくとも、Aさんにとって悪いことをしないですむようにはなること。

ただ、さすがに年齢を重ねてきて
イヤでも自分が第一線から退く日があるのだ
…ということを意識しないわけにはいかなくなってきました。
(若い頃はそんなこと微塵も感じなかったケド)

ある医師が
「精神科作業療法は作業療法士によってつぶされる」
と言っていたそうですが
そう言わずにいられなかったんだと思う。
作業療法の素晴らしさを知っているからこそ
似て非なるものを哀しいやるせない思いで見ていたんだと思う。

平成28年度は
作業療法士として…ということも
ちょっと書いておきたいなぁ…と思いました。

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プロの在りよう

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ふとしたことから
「NHK 精霊の守り人」のメイキング番組を見て
本編も見始めました。

「精霊の守り人 NHK放送90年大河ファンタジー」
http://www.nhk.or.jp/moribito/

ふだん、私はあんまりテレビドラマは見ないのですが
綾瀬はるかのアクションも凄い。
アクション俳優じゃないのに
身体の動きがしっかりしてる。

だいぶ前に映画「陰陽師」で野村萬斎の走るシーンを見た時にも
体幹がしっかりしてることに驚いて
ふだんからきちんと身体を使ってる人は違うんだと
関心したことを覚えています。

インタビューを見て納得しました。
http://www.nhk.or.jp/moribito/interview/s1/interview15.html

腕立て伏せを毎日200回
腹筋を毎日30×5セット

。。。

その他にアクションを覚えて
セリフを覚えて
etc.etc.

プロなんだ 。。。と感じました。

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当たり前のこと

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当たり前のことだけど
自分や家族が病気になったり、ケガしたりした時には
評判の良いお医者さんのところに行くじゃない?

だけど
対象者の方は
リハスタッフを選べない。

このご時世だから
選べるシステムを作ってるところだってあるかも。ですが。

それでも
リハの世界は
美容院みたいに
TOPスタイリストさんとそうじゃない人との料金差があるわけでもない。

同じ時間で同じ料金を払って
だったら、腕の良い人に担当してもらいたいよね。

私が担当したが故に
良くなるものも良くならない。
それじゃあ、あんまり申し訳ない。

必死だった。

今は、少しはゆとりをもって勉強できるようになったけど。

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声かけを拒否する 各論3

我慢のしどころ

私たちは
私たちが意図したことがスムーズに行かなかった時に
つまり、私たちが生活障害やBPSDに直面させられた時に
初めて、どうしたものか
と対応の工夫を考えることが多いと思います。

でも
本当は、そうじゃない。

認知症のある方の困りごとが
生活障害やBPSDというカタチで現れるより前に
ふだんの何気ない会話や行動の中にこそ
近時記憶の程度や
再認の可否といった
能力と障害が反映されている。

その段階で
私たちが能力と障害を見いだし対応を工夫することができれば
後になって「イヤ」「拒否」というカタチでしか
伝えることができなかった能力と障害を
私たちが見誤ることがなくて済んだかもしれない。

そして
本当は、こういったことが
もっとたくさん、もっといろいろなカタチで現れているのじゃなかろうか
そんな風に感じています。

 

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声かけを拒否する 各論2

 

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前にも記事に書いたと思いますが
認知症のある方に誘導を拒否されない為に
「毎朝顔を見せて挨拶する」とか
そんな相手の善意にすがるような行動は
もう卒業しませんか?

言葉は悪いけれど
なんだか、相手の信頼を利用して
こちらの思い通りにするみたいで
内心イヤじゃないですか?

少なくとも、私はそういうのはイヤ。

目の前にいるAさんの
能力と障害を把握して
たとえば、前の記事のような部屋の入口の写真や
実際に懐メロを歌う時に眼にしている画面を
写真に撮って提示すると
「懐メロを聞きにいく」という言葉を視覚情報が補足して
どこに行くのか
どんなところなのか
再認を促す大きなヒントになりますので
再生ができなくてわからなくてイヤと言った方が
「それじゃあ行こうか」
となるケースがたくさんあります。

あくまでも
ひとつの例ですが。

( この続きもまた明日 )

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声かけを拒否する 各論1

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この写真は
懐メロを聞いたり歌ったりする部屋のドアを開けたところです。

認知症のある方をご案内してドアを開けた時に
「あぁ、ここね。」
「あぁ、この前も来たね。」
「そうだね。先週来たね。」
「何言ってんのよ。昨日も来たじゃないの。」
等という会話が飛び交います。

私は、そうだったのね。
と納得してます。

再生ができなくても
再認はできる方が多いのです。
そして近時記憶次第で細部を思い出せる程度が規定される。

逆に言えば
再認しかできないから
この部屋に到着するまでは
さぞかし不安だったろうと思います。

こういう能力と障害を踏まえて
声かけを工夫すると良いと考えています。

続きは明日 (^^)

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声かけを拒否する人 総論

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認知症のある方へのAct.として
懐メロをよく使っているのですが
移動時の声かけに拒否される方も少なくありません。

本当に「意思表示」として拒否されるのであれば
尊重されるべきです。

でも
認知症のある方の場合に
実は、意思表示ではなくて
わからないからイヤと言っているケースが少なくありません。

その証拠に
いざ、懐メロが流れれば
笑顔で手拍子しながら朗々と歌って
「あー楽しかった」
「明日への元気をもらいました」
「気持ちがスッキリしました」
って言われたりする。

歌いたくないわけじゃなかった
ということになります。

イヤ。なのは
歌うことではなくて
たとえば
どこに連れていかれるのかわからない
とか
説明が長くて丁寧すぎて、かえってわからない
こともあるし
言葉は聞こえてもイメージできないからわからない
場合だってあるのです。
その他にもetc.etc.

「イヤ」
という言葉に反映されている
目の前にいるAさんの能力と障害を把握すれば
じゃあ、どうしたらよいのか
自然と対応の工夫も思い浮かんできます。

( 明日に続く )

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声のトーンを合わせる

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基本的には
お話をしている人の声をよく聞いて
相手の声のトーンに合わせた声のトーンで
こちらも話すと良いと感じています。

声には感情も反映されるから

コミュニケーションになりうる。

まさしく、感情労働にはなっちゃうんだけど
言語的な疎通が困難な認知症のある方の場合に
「なんて言ったらよいのかわからない」という風に
言葉を考えて悩むよりも
言葉をのせる声にまず気をつけると
次に進めるきっかけになると感じています。

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