疲労に注意

ちょっと待った

認知症のある方は
疲れやすいと聞きます。

「疲れたー」
「眼がしょぼしょぼする」
と自覚できることは、とても大切な能力です。

何か作ったりしていたとしても
決して無理させずにお休みしていただきましょう。

身体は疲れてるのに
疲れてるって感じられなくて
そのまま休めずに何か作ることを続けてしまって
後になってぐったりしてしまう方もいらっしゃいます。

どのくらいだったら疲れずに大丈夫なのか
確かめる時には安全パイで確かめるようにしています。
最初は10分程度で
だんだんと時間を伸ばしていきます。
看護介護の記録を参照したり
ふだん過ごしている食堂などでの過ごし方なども観察して
大丈夫と判断できれば
自主トレとしてそれこそ1時間できる方もおられるし
15分でも疲れてしまう方には
疲れる前にこちらから終了を打診する声かけをしたり
その時間でちょうど終わるように材料や設定を準備しておきます。

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自分自身への希望

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熊本地方の地震活動が一日も早く収束し
被災された方々の困りごとが一刻も早く改善されることを
お祈りしています。

 

 

このたび
(私にとっては、まだこのたびという言葉の方が実感があります)
座骨神経痛を患い、おかげさまでとても良くなっているのですが
患者という立場になって感じたことや考えたことは
いろいろとありました。

常日頃、使役と援助は紙一重ということを考えさせられている
立場からもいろいろと感じたり考えてもきました。

私が痛切に感じたことは
自分の身体に起こっていることが
自分に一番わからないということです。

痛みや動けない
ということは当然私が一番わかっていますが
その意味とか今身体に何が起こっているのかが
わからない。

良くなっていく時には
右肩上がり一直線に良くなっていくわけじゃない
ということは、仕事柄わかっていたはずですが
それでも焦ったり不安になったり。。。

自分自身への希望を自分1人で持ちこたえるのは
正直かなり難しかったです。。。

いろいろな方に支えられて
希望を持ち続けることができたのだと感じています。
本当に感謝しています。

自分を信じられなくなるということがどういうことなのか
その一端を感じることができたということを
幾分かでも自分の仕事にも還元できればと思っています。
おこがましいかもしれませんが。。。

私の場合には
私の可能性を信じてくれる人がいたということが
私自身が希望を持ちこたえることの大きな支えとなりました。

可能性は
対象者の状態だけで決まるものではない
ということもはっきりとわかりました。

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認知症セミナーのお知らせ

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株式会社geneさん主催のセミナーのお知らせです。

 

平成28年6月19日(日)
「リハスタッフのための認知症のある方への対応入門
〜評価のすすめ方 東京会場」
http://www.gene-llc.jp/seminar_info/?id=1458206330-035252

平成28年7月17日(日)
「リハスタッフための認知症のある方への評価から対応まで
東京会場」
http://www.gene-llc.jp/seminar_info/?id=1458697576-118908

平成28年8月7日(日)
「認知症のある方への食べることへの対応 大阪会場」
http://www.gene-llc.jp/seminar_info/?id=1460074517-340536

 

3つ目の「食べること」のセミナーは
今年度大阪会場のみで開催される予定となっております。

よろしかったら是非ご検討ください m(_ _)m

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マジックワードによる抽象化

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「日本には物事を抽象化してしまうマジックワードがあって」

その通りだと思う。

とても興味深く読みました。
「決まらないシュートは打たない」、同志社大が示した思考のアップセット
http://bylines.news.yahoo.co.jp/ichiroozawa/20160412-00056525/

そうか、OBの中西哲生が関わっていたんだ。

耳に優しい、インパクトのあるマジックワードの持つ力は強くて
聞く人を思考停止に陥らせてしまう。

たとえば
「認知症のある方に寄り添ったケア」
「認知症のある方の思いを大切にする」

言葉としては本当に大切な概念だと思う。
でも
この概念とふだんの実践をどうやって照合して改善していくのか
突き詰めて議論、検討されていると言えるだろうか?
という疑問を抱いています。

どういうことが
寄り添ったケアで
どういうことは
寄り添ってないケアなのか

寄り添ってないケアは簡単に言えるかもしれないけれど
寄り添ったケア…って何なのか
迎合とは、どう違うのか
気持ちはわかるけど
他者との関係性において容認できない言動に遭遇した時に
どうするのが寄り添ったケアなのか

その他にも
援助と使役は紙一重ということを
もうさんざん考えさせられてきた私としては
マジックワードは安易には使えない言葉になっています。

マジックワードを唱えていても
現実を改善することはできない。

中西哲生と同志社大が試みていることは
現実を改善するための具体的な手だてであり
その手だてを支える理論と現実化するためのトレーニングを
徹底して実践しているのだと思った。

その挑戦が問いかけているのは
サッカーの世界だけに限ったことではないと思った。

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POST連載記事 4

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POST 理学療法士による、リハビリ職者を目指す人のためのサイト
http://1post.jp
に連載記事が掲載されました。
「望ましいスプーン操作とは?」
http://1post.jp/2016/04/05/interview_ot_dementia_colum04/

たくさんの方に
「いいね!」や「シェア」をしていただき
どうもありがとうございます m(_ _)m

前回、食事介助における不適切なスプーン操作について
記載しましたので
じゃあ、どうしたらいいのか…という内容です。

書いてある内容は一般的な内容ですが
このあたりに気をつけるだけで
重度の認知症のある方でも
ムセが減ったり、
喉頭挙上のタイミングが整ってくる方は
かなりたくさんいらっしゃいます。

次号からは
もう少し突っ込んで
認知症のある方特有の食事介助について
お伝えする予定です。

よかったらお立ち寄りください m(_ _)m

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巡り合わせ

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もう何年も前の話になるけど
ふと手にした本とか
ふと眼に留った新聞記事とか
どういうわけか
「常識を覆す発見」をした人と当時の周囲の反応について
書かれていたことばかり
巡り会っていた時期がありました。

常識を覆す発見をした人は皆
当初は煙たがられるどころか非難され追放され名誉を剥奪され…
科学や学問の進歩、人々の幸福に寄与するような発見を
したにもかかわらず、否、したからこそ
迫害の憂き目にあった人ばかりでした。

なんでこういう内容ばかり巡り会うんだろう?
そう思っていたのですが
後になって随分と気持ちの上で助けられました。
覚悟ができたというか
そういうもんだというか

「認知症のある方の食べ方が良くなる」
「認知症のある方の誤嚥性肺炎は減らせる」

こういうことを公言するのは
とても怖かった時期があります。
そんなことを言っている人はいなかったから。
そんなことは誰も思ってもいなかったから。

でも、私の目の前で起こっている事実が私の支え。

そして、当初は迫害されたとしても
後年、必ずや迫害されてきた発見者は名誉復権されています。
時代が追いついてくる。
真実であれば、必ず残って伝わり再発見され理解される時が来る。

かつて
私が言い始めた時よりも
私自身、知識と技術と経験値は上がっています。
(そりゃ臨床家ですので当然ですが)
かつての私ではわからなかったことも今ならわかることもあります。

同時に、
今の私にはわからないことも将来の私にならわかるかもしれない。
今の私にはできないことも
このブログを読んでくださっている将来のあなたになら
できるかもしれない。

巡り合わせって不思議。
その時には巡り会うことの意味がわからない。
でも、後になって腑に落ちることもある。

スティーブ・ジョブズの言葉に
「過去を振り返って初めて点と点を線でつなぐことができる」
という言葉がある。

この記事が私自身だけでなくて
将来の誰かにとっての1つの点、1つの線になるかもしれない。
そう思って書いてみました。

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変化は双方向に起こる

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唯一無二の関係性の中で起こる
行動変容は双方向に起こる。
行動変容が深いほど、感覚や感情の動きも大きく伴う。

それらをより深く、より広く、より多く
感受・体験してきたことに「セラピストの経験」の意味がある。

もしも
変化を起こさせることを目的としたならば
それは援助ではなくて、使役ではないのかしら?

その違いを常に鋭敏に
自分自身に問いかけながら行うことの責務を
作業療法はその歴史からも背負っているのではないでしょうか?

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Pt.-Th.関係の中で起こる

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作業療法の作業は occupation を和訳したもの。

occupation を対象者ー作業療法士の関係性の中で
恊働し達成するコトに「意味」がある。

行動変容は
自分1人では起こりにくい。

かといって、他者であれば誰でもいいというわけじゃない。

起こっていることの「意味」がよく感じられ理解できる
そのためには、知識と技術とトレーニングが必要で

一時期席巻した「意味のある作業」という言葉。
いやいや、意味のない作業なんてないってば。
ギリシャ神話にだってあるじゃないですか。

「意味のある作業」という言葉で
たぶん、本当に言いたかったのは
「意味の合う作業」だったんじゃないかと思います。

結果として。なんだけど
わかりやすい意味を作業に求めた結果
起こっていることの「意味」を
双方ともに感じにくくなってしまっている
そんなことはないだろうか 。。。

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