「非習慣的遂行機能の評価」 当院に実習に来る学生さんには、遂行機能の評価は習慣的遂行機能と非習慣的遂行機能の2つを評価するように指導しています。 でも認知症の病態が進行してくると、非習慣的な遂行機能評価の「使えるバッテリ …
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徘徊や暴言、暴力、異食や大声等のBPSD(Behavioral and Psychological Smptoms of Dementia:認知症の精神・行動症状)は、ご本人も介助者も困ってしまいます。 タイトルに引かれ …
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「認知症本人と家族介護者の語り」ディペックス・ジャパン NPO 健康と病いの語り ディペックス・ジャパンが運営するサイトをご紹介いたします。 認知症の家族介護者35名と7名の当事者のインタビューを動画で視聴することができ …
認知症のある方に出会ったら… 「認知症」という診断名がすでにある方なら、まず最初にADLとコミュニケーションを評価しましょう。 ADLとコミュニケーションのそれぞれについて 何ができるか、できないか。 どこまでできて、ど …
いわゆる暴言、介護抵抗があるAさんとお散歩に行きました。 そろそろ昼食の時間になるので (Aさん、もうじき11時30分になるところですから、そろそろ戻りましょうか?) と私が尋ねた時のAさんのお答えが 「11時30分にな …
農家の90歳のAさん。 車いすに座っているけど移動するのでフットプレートに足をのせてほしい。 そこで職員が言った言葉が「オミアシヲアゲテクダサイ」 Aさんは足をあげることができませんでした。 接遇は、とても大事だと思いま …
2013年が始まり、最初の1ヶ月がそろそろ経とうとしています。 今年もナオミ・フェイルさんが5月に来日してバリデーションセミナーが開催されます。 詳細はこちらをご参照ください。 公認日本バリデーション協会http://w …
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もしも
私の話を聴いて
「私も頑張ろう!」
「明日からもう一度やってみよう!」
って感じてもらえたとしたら
こんなに嬉しいことはないです。
私の講演のゴール設定は
「受講者が希望を胸に抱いて職場に向かえるようになる」
なのです。
かつて
もがきまくっていた時の私が一番欲しかったものは何なのだろう?
そう考えた時に
誰かに頭をなでてもらいたいわけでもないし
誰かと慰め合いたいわけでもないし
安直なその場しのぎや解答もどきを欲しかったわけでもない
自分の足でまっすぐ歩いていけるように
そのための道しるべ、信頼できる道しるべ
この道なら途中険しくても細くても遠くても歩いていきたい
歩き続けられるという実感がある道しるべがほしかったんだと思ったんです。
今の私にそこまでのお話ができているかどうかは、わかりませんが。。。
でも
どんな疾患によるどんな状況の認知症のある方にも
適用できる、除外要件のない、包含できる、考え方
とてもシンプルでベーシックな考え方だと自負しています (^^;
(自負するのは自由だもんね)
もしも私のお話が
誰かの道しるべになれるのなら
もしもそんなことが叶うのならば
それは私にとって本当に本当に嬉しいことです。
かつてのもがきまくっていた私にとっても
報われるような本当に本当に嬉しいことなのです。
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経過の中で観ることが大切
かつて
身障領域では、急性期・回復期・生活期と
発症直後から回復の過程とその後まで1人のセラピストが
経過をずっと追って担当していくことが可能な時代がありました。
でも今はそうじゃない
病院・施設の機能分化と役割分担が明確になり
それぞれの場で働くセラピストに求められることも変わってきたし
同じ時期の対象者の方はたくさん担当することができるけれども
受傷・発症からの時期が異なる対象者の方は担当しにくくなってきています。
だから「今」しか見えにくい
将来より良い暮らしができるために
敢えて今必要なことが見えにくい
逆に
生活期から急性期に移ったセラピストが
「先を観てきたから今必要なことの意味がよくわかる」
と言っている場合もあります。
「今」しか見えないと、そういうことがわかりにくい
認知症のある方にも
同じコトが起こっています。
スタッフにとっては
「今」しか見えないと、わからないのかもしれないけれど
認知症のある方は
「この先」も生きていく
だから「今」必要なことがある。
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本日、三輪書店さんから発刊された「作業療法ジャーナル」の第51巻2月号
特集「認知症−身体障害合併症を中心に」の中で
「「認知症のある方への対応−能力と障害の把握」」が掲載されました。
認知症のある方は単に能力が低下した結果として
不合理な言動をするわけではない。ということ。
低下した能力もあるが、残っている能力もあって何とか対応しようとした結果として
不合理な言動というカタチで現れているのだから
表面的なカタチに対して表面的に対応を考えても有効な方法とはなりにくい。
どのような障害とどのような能力が不合理な言動というカタチに投影されているのかを観て
能力をより合理的なカタチで発揮できるように援助することが大切。という論旨です。
読んでいただければ嬉しく思います。
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先日、久しぶりに「風の谷のナウシカ」を観て
いろいろと思うことは多々あったのですが
前よりもずっと心に染みたセリフ
「蟲たちは森を守っている」
腐海の森の働きは
本当は土と水と空気の浄化にあった
でもその働きがわからない人々の目には
「自分たちにとって」の脅威としか認識できない
蟲たちの働きは
本当は森を守ることにあった
でもその働きがわからない人々の目には
「自分たちにとって」の脅威としか認識できない
そして
蟲を殺し、森を焼くことによって
結果として、蟲も、森も、自分たちも、世界も、殺し殺されていく
ファンタジーとして描かれているけれど
絵空事ではない
凄くリアル
前観た時には
ナウシカの立場で心に染みたけど
今回観て、ずっと痛切に心に染みた
同じことが違うカタチであちこちで起こっている
ナウシカがあんなに痛切にアスベルに叫んだ気持ちが本当によくわかる
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平成29年1月22日(日)に
ゼミナールプラザ(名古屋金山研修センター)にて
(株)geneさん主催のセミナー
「リハスタッフのための認知症のある方への評価から対応まで」
でお話をしてきました。
参加されたみなさま、お疲れさまでした。
運営を担当されたYさん、お疲れさまでした。
どうもありがとうございました m(_ _)m
自分が話す側だったせいか
一日なのに、あっという間に時間が過ぎていった感覚があります。
geneさんのセミナーをお引き受けした当初は
5時間なんてそんなに長い時間話せるかな?と思っていましたが
今は5時間あっても足りないくらい (^^;
今回、後半がオセオセになってしまい申し訳なかったです。
きゅうべぇとかナウシカの話をしなければよかった。。。(><)
でも、大切なことなので伝えたかったんです。。。
帰りは風が冷たくてホームで新幹線を待っている時に寒かったです。
遠方からお越しくださった方も無事にお帰りになられましたでしょうか。
まずは、考え方を臨床で試してみていただいて、
その次の展開をみなさんで広げていってくださることを期待しています。
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作業療法総合研究所さんの主催で
平成29年3月12日(日)13:00〜16:20頃
昭和大学保健医療学部(横浜キャンパス)において
「 神奈川の地から作業療法を叫ぶ−愛と毒を込めて”作業”を問う− 」が開催されます。
詳細は上記サイトからご確認ください m(_ _)m
タイミングの悪いことに
他の研修会とかぶってしてしまいましたが、偶然です。
9月2日には作業療法総合研究所さんのサイトで先に速報でお知らせしてありますし。
それでは
今の私にできる精一杯の準備をして当日を迎えたいと思います。
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よく聞くけどよくわかんない言葉
「認知症のある方に人として接する」
どういう言動が人として接していないことで
どういう言動が人として接することなんだろう?
人として接するって何?
私には、わからない、理解できない言葉です。
結局それって
単に言葉を言い換えてるだけで
親切に接する、丁寧に接する、優しく接する、怒らないようにする
という昔から言われてることに過ぎないんじゃないのかしら?
耳に優しいスローガンや降りやすい旗を大きく降っていくら声高に叫んでも
それで現実が変わるわけないのは
どんな世界だって同じなのに。
専門家としての知識と技術の研鑽を怠り
安直に「思い」にすがった対応を進んでいけば
感情労働しかすることができないから
自分がすり減って壊れるか、その矛先を相手に向けるかしかなくなってしまうのに。
そうならないのは、「思い」が強いわけではなくて
単に「思い」にすがった対応をどこかでやめてるから
そこまでに至らないで済んでるだけなんだと思う。
でも、そういう人はどこかで自分の「思いの弱さを認識する」のは辛いから
「思い」にすがった対応はもうやめて違う道を探そうよ。とは言い出しにくいよね。
普通に考えれば、それは当たり前のことなんだと思うけどな。
「思い」を実現できるようになりたければ
知識と技術を習得するしかなくて
知識と技術を現実にどう運用していくのかという術を習得するしかないのに
どうしてそういう当たり前のことが認識されにくいのかな?
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アニメーションとは
ラテン語で霊魂を意味するanimaアニマに由来した言葉で
生命のない動かないものに命を与えて動かす
ということを意味するのだそうです。
私が好きな宮崎駿のアニメは
「未来少年コナン」「風の谷のナウシカ」「カリオストロの城」「天空の城ラビュタ」「もののけ姫」
です。
動きの表現が凄いんですもの。
二次元の表現なのに
奥行き、上下する感覚、スピード感
リズムとテンポがあるから思わず画面に引き込まれてしまう。
動きの表現が
人物の感情や周囲の状況を表現することにもなり
表現と演出が渾然となって物語が進行していく
先週、久しぶりにテレビで「風の谷のナウシカ」を観て
改めてアニメーションの素晴らしさを堪能しました。
アニメーションは単に「絵」じゃないんだということを再確認。
だから、ナウシカの絵はお世辞にも上手いとは言えない。
背景も登場人物も最近の絵と比べたら荒いこと雑なこと (^^;
だけど、そんなことあっという間に気にならなくなっちゃう。
本当に生き生きと動いてる。
絵が動いてるだけなのに
感情がものすごく喚起される。
観てる私の身体感覚にものすごく訴えかけてくるものがある。
アニメーションは表面的な技術だけじゃなくて
実体験がないと技術を活かせないんじゃないかな。
自身の体験と感覚と感情を自分の中に明確に自覚しながら培っていって
その積み重ねで初めて技術を活用できるんじゃないだろうか。
じゃないと大掛かりなハリウッド映画のようなものになってしまって
量的な刺激の大きさ、多さ、あるいはきめ細かさ、綺麗さ
といったものに追従するしかなくなってしまうんじゃないかな。
ナウシカは
環境保護、自然を大切に、自然讃歌
とか、そんなメッセージ映画みたいに捉えられていたこともあったそうですが
痛切な映画だと感じました。ものすごいアイロニーが込められてる。
まぁ、そこに共感する私も私ですが (^^;
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