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認知症のある方の場面不適応的な言動について
認知症のある方自身の「能力低下による問題」という判断が下されがちですが
そして、確かにそういう側面もありますが
通常、結構私たちは曖昧な言葉使いをしていたりします。
言葉は相手に通じてこその言葉なので
通じればよいという側面もあると思います。
極論すれば「アレをそれして」とか。
私がやりがちなのは、主語の省略とか (^^;
普段はそれでもよいのでしょうが
対人援助職として、重度の認知症のある方への対応を考える時に
まず、自己検証を明確に行うことが求められました。
モノゴトは、その時その場のその関係性において起こるものなので
認知症のある方の「問題」というよりも
私と認知症のある方との関係の中で起こったこと
という定義付けの方が適切だと考えました。
とすると、自己検証しないわけにはいかないし
近時記憶障害や言語理解力低下や構成障害、注意障害がある
ということが明確なのだから、そこを理解したうえでどうしたらよいのか
考えるしかありません。
そうすると「援助」としては
結構不適切な言動をしてしまっていたことがわかるようになります。
通じてこそ言葉なのに、曖昧な言葉を使ってしまっていることがわかるようになります。
私たち職員側の無自覚な言動によって
もともとある認知症のある方の困惑が増幅されてしまっている
そのような現実は確かにあります。
だとしたら
私たちが自覚的になることによって
認知症のある方の余分な困惑は確実に減らすことができます。
明日から
平成29年度が始まります。
また新しい春が巡る。
新たな気持ちで
認知症のある方とご家族のよぶんな困難が少しでも少なくなるように
そのための提案として、こちらの記事投稿も続けていきたいと思います。
引き続き、どうぞよろしくお願い申し上げます m(_ _)m
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現場でよくあるあるなのが
「ちゃんと〇〇するように気をつけましょう」
という注意喚起
ところが
こういった注意喚起で行動を修正できる人ばかりとは限らない
〇〇するように気をつける
とは、どういう行動に変更するのか
具体的に言語化して伝えることが必要だったりします。
気持ちの問題じゃなくて行動を変えることにポイントがあります。
私は当院に実習にくる学生さんに
施錠確認について
「ちゃんとカギをかけるように気をつけて」とは言いません。
「カギをかけたら
目で見て確かめて
次に手でドアを両方向に動かして確認するのよ」
と言っています。
「ちゃんと」という副詞を明確に言語化して伝えるようにしています。
どうでしょう?
あふれていませんか?
ケアやリハの現場で「ゆっくり」「丁寧に」「ちゃんと」「きちんと」という言葉
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死人テストとは
1965年に行動分析学のOgden Lindsley によって開発された
「死人にできることは行動ではない」
という行動の定義のことです。
行動とは
状態ではないし
否定形ではなく肯定形で表されるということを意味します。
逆に言えば
肯定のカタチでの世界への働きかけ・意思表明=生きる
ということです。
雷に打たれたような
とは、まさにこういう状態を言うのか
というような気持ちになりました。
死人テストってスゴい。
端的な言葉で奥深い概念を明確に示しています。
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認知症のある方は
失われた能力をどんなにトレーニングしても再習得することはできない。
でも、埋もれていて表面化していない能力を見いだしてもらえれば
合理的に発揮できるように再習得することは可能です。
だから
リハやケアの分野において
生活障害やBPSDの改善に関して
能力を見いだすということがとても重要なポイントになってきます。
「認知症があってもできることはある」
と旗を振る人が増えてきたのは良いことだと思います。
でも、旗を振ってるだけでは個々の現実を善くしていくことはできない。
「意思」していれば現実が変わるわけではない
「意思」を行動のカタチで表現することが大切
ということは前の記事で記載した通りです。
「できることはある」ならば
今、どんな場面でどんな風にどのくらいのどういう能力が
現れているのか、明確に把握できるようになること
それこそが求められていることなのだと考えています。
そして
能力を見いだす
とは、一見綺麗で簡単な言葉ですが
おいそれとできることではありません。
「観測できれば干渉することができる
干渉することができれば制御することもできる
観測できないものには手の出しようがない」
とは、魔法少女☆まどかマギカでキュウべえのセリフですが
まさに。まさに。
見れども観えず。の状態から
観える。ようになるために
実は目標設定のトレーニングという
一見全然関係のないように思える事柄が非常に深く関与しているのです。
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古今東西、当たり前のことだと思いますが
私たちは自分にわかることしか観察できない。
その時の自分にわからないことは
見れども観えず。になってしまっています。
そこからスタートするしかない。
そこからスタートすれば
今まで観えていなかったコトが何なのか
注意を向けることができるようになります。
注意を向けることができれば観察することができるようになります。
その過程を繰り返すしかない。
ただし
ここは誤解されていることが多いようですが
注意を向けようと意思すればできるようになるわけではなくて
その「意思」を具体化する「行動」として
目標設定の基準と条件の明確化をするという「自分の能力」を発揮することによって
注意を向けるポイントが明確化されるのです。
意思しているだけでは変わらない
「意思」を「行動」として表現することが必要なのです。
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平成29年9月24日(日)に
(株)geneさん主催で
「ナースのための認知症のある方への対応の工夫と考え方」が
(株)geneさん本社セミナールームにて開催されます。
対象は
看護師・介護職・歯科衛生士・その他
認知症のある方を対象にお仕事をしている方ならどなたでも参加できます。
詳細はこちらから
http://www.gene-llc.jp/seminar_info02/?id=1489973249-467038
教科書には書かれていない
他の誰も言っていない
実際の現場で役立つお話と自負しています (^^)
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目標設定のトレーニング過程において
概念の明確な理解が要求されます。
実践において
すりかえられがち、混同されがちな
目標と目的と方法
言葉の使い方が曖昧ということは
概念の理解が曖昧ということを示しています。
自分コトとして
概念の区分けができるようになると
目標設定において
実は重要な臨床能力というものは
対象者の能力を見いだすというセラピストの能力である
ということが明確に理解できるようになってきます。
最初は大雑把にしか能力が把握できないセラピストでも
目標を目標として設定する過程において
否応もなく細分化された能力の把握を要求されるので
自分で自分をトレーニングするようになってきます。
もしかしたら
世の中には天才的にパッと対象者の能力を
感覚的に明確に把握できて
常に適切に対応することが可能なセラピストも
いるのかもしれません。
そういう人には関係ない話ですが
目の前にいる方にちゃんと役立てるようになりたい
少なくとも不毛なことはしないですむようになりたい
そう願っていた私にとっては切実な問題でした。
能力を細かく明確に把握することができる
ということと
目標を適切に設定できる
ということは
別の問題ではなく相当深いところで関連し合っている。
なぜなら
目標というのは行動のカタチで表される
行動というのは生きている人にしかできない
このことの意味に気がついた時には身震いしました。
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よく実習に来る学生さんに言っています。
今できないコトや苦手なコトは
苦しいけど、辛いけど、心配はいらないよ。
苦手なコトは武器になる
って言っています。
なんとなくできてしまうことは
できてしまうからこそ、人に伝えられなかったりする。
つまり、はっきり自分で理解できていなくてもできちゃう。
良くも悪くも。
苦手なコトに直面するのは辛いけど
苦手だからこそ明確に理解しようとするし
できないことがわかっているからこそ、できるようになったこともよくわかる。
なんとなくできちゃう人より
はっきりわかったうえでできるようになってる。
どうしようもないのは
困ることすらできないってこと
ピンチはチャンス☆なんです。
元・目標設定が全然わかっていなかったかつてのOTSより
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