認知症のある方の表現を促す

同じコトが違うカタチで現れているだけ。。。

認知症のある方の食べることの困難は
認知症のある方の本当の食べ方を見てみなければ解決できない。

認知症のある方の帰宅要求と呼ばれる行為は
認知症のある方に聞いてみなければわからない。
私たちが聴き取れるように表現を促さないとわからない。

表面的に食べさせようとしたり
表面的に帰宅要求をおさめようとしたり
でも
表面に表れている困難にこそ、認知症のある方の能力も投影されてるのに
表面的な対応しかできないと
投影されてるはずの能力をも結果として抑制してしまうことになってしまう。

本当の食べ方を見られるようになるには
表現を促すことができるようになるには
技術が必要で
その技術を裏付ける知識が必要で
そこにこそプロフェッショナルとしての存在意義があると考えています。

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適切なスプーン操作ができて初めて能力を見いだせる

認知症のある方の食べることに関する困難はいろいろありますが
まず、私たちが適切なスプーン操作をすることができて初めて
認知症のある方の本当の食べ方、本来の食べ方、食べる能力に
触れることができるようになります。

言い換えれば
私たちが適切なスプーン操作を実行できなければ
認知症のある方の本当の食べ方
何に困っていて、何ができるのか
気がつくことができないということになってしまいます。

相手の能力がないということと
相手の能力に気がつけないということは全く違います。

いったい、どちらの能力がないのか。。。時々そんな風に感じることもあります (^^;

認知症のある方の能力に眼を見開かされた経験をしたことのある人は
自らの見落としに細心の注意を払うようになると思います。

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鮮烈に覚えていること

私が作業療法士として一番最初に勤めたのが
肢体不自由児施設でした。

そこに
紀伊克昌先生や古澤正道先生がいらしてデモンストレーションをしてくださったのです。

その施設にいたスタッフが一度も見たことがないような動きを
子どもたちがどんどん目の前でできるようになっていったんです。

そして(当たり前といえば当たり前ですが)その後でみんなでそれらしくやっても
誰も紀伊先生や古澤先生のようには子ども達の動きを再現できなかった。

鮮烈に覚えています。

できないのは
子どもたちじゃなくて、私なんだ。

紀伊先生や古澤先生が担当しても私が担当しても
ご両親は同じ時間で同じお金を払わなくちゃいけないんだ。

痛切に感じました。

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医学書院「精神看護」9月号に掲載

医学書院の隔月誌「精神看護」9月号特集2に
私の原稿「スプーン介助を変えれば食べる力は復活する」が掲載されます。

うわっ!カラーだ。。。とまず最初はビックリ
次にげげっ!顔写真がのってる。。。
と最初は本論に無関係なコトを気にしておりました(^^;

でも、担当してくださったIさんがとても良い方で
Iさんの心意気に触発されるようにしてお話していたような気がします。
Iさん、本当にどうもありがとうございました。

スプーン操作に気をつけるだけで
認知症のある方も
食事介助をする私たちも
確実に困りごとが少なくなります。

そして
スプーン操作に気をつけることができて初めて
認知症のある方の食べる能力に気がつくことができるようになるんです。

だからこそ、もっと広まってほしいし、広めたい。

職場に「精神看護」がある方、是非お手にとってみてください。

知らないために
介助者も認知症のある方も
食べることに困難を感じていることを
知ることによって確実に困りごとを減らすことができます。

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新ブログ「オレンジ☆マルシェ」公開

みなさま〜本日はお知らせです!

この神奈川県作業療法士会公式ウェブサイトに
認知症対策委員会のブログ
「オレンジ☆マルシェ ひとりひとりがサポーターby認知症対策委員会」
http://kana-ot.jp/wpc/marche/
が誕生いたしましたー!!!

どなたにとっても
便利で役立つ、眺めているだけも楽しくなるような
市場の賑わいのようなサイトを目指します。

まだ、公開されたばかりで記事も少ないけれど
これからいろいろな項目にそって記事も増えていきます。

どうぞ新しいブログもご贔屓に♡

よろしくお願い申し上げます m(_ _)m

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予告:新ブログ誕生☆

みなさまにお知らせです!

神奈川県作業療法士会のサイトに
新しいブログが近々誕生する予定です。

ブログのタイトルは
「オレンジ☆マルシェ ひとりひとりがサポーターby認知症対策委員会」

乞う☆ご期待

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場面と切り離さない

当院に実習に来る学生さんには
必ず私が言う言葉です。

状況、場面と切り離さないで評価する

えてして
私たち対人援助職は、認知症のある方の言動のあれこれを言いますが
じゃあ、その時に自分がどんな立ち位置でどんなノンバーバルでどんな言葉を使ったのか
そういったことに対して無自覚になってしまいがちです。

自分を含めた状況はどんな状況だったのか
その前提要件を認知症のある方の言動と切り離さないことが大切です。

認知症のある方の能力低下によって諸々の生活障害やBPSDが生じるわけではありません。
必ず、認知症のある方には、どんなに病状が進行したとしても、生きている限り能力があります。
(こんなことは書くまでもない当たり前のことですが、
臨床上では当たり前の視点とは言い難い現実があります)
その能力で何とかしようとして、もともとの障害とあいまって
結果として不合理な言動になってしまいます。

だからこそ、私たちが対応の工夫をする意義があります。

対応の工夫、つまり、状況・場面のコントロールです。

Aという状況下では、Bという不合理な言動がみられた。
Bという不合理な言動には、Cという能力とDという障害が現れている。
Cという能力を合理的に発揮してもらえるようにAという状況をA’という状況に変えてみる。

よくある誤解が
B不合理な言動=D障害
という理解ですが、この理解が違っているのです。
このようなあるあるの誤解では、どんな状況でもBは認知症のある方固有の問題
として設定されてしまっています。
この設定では、認知症のある方の能力を見ていない
だから、能力を活用した工夫もできない
B不合理な言動=D障害が生じないようにするにはどうしたらよいか
という観点でしか、対応の工夫をすることができない。
それらは多くの場合
いわゆるこちらが下手に出るような立場として
認知症のある方を持ち上げるような対応か
もしくは、困った感情を感じないように、あるいは表出する暇を与えないように
気分を乗らせる、気持ちをすりかえるといったような対応ではないでしょうか?

このような根本的な葛藤のもとに成り立つような在りようは
対人援助職の心身のエネルギーをものすごくすり減らすように感じています。
一生懸命な人ほど辛い思いをするように感じています。

状況や場面と切り離さないで評価する
状況や場面に自覚的になることがまず第一歩だと感じています。

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勝手な推測はしない

いつも、どこでも、言ってることですが
まずは、観察を
そして、観察ができるための知識を。

それにプラスして今日はもうひと言。
勝手な推測はしない。

私は作業療法士ですが
作業療法士がよく言う、あるあるな言葉に
時々ものすごく違和感を感じることもあります。

いわく
「作業療法を説明するのは難しい」
「作業療法は楽しく」
「あぁも考えられる。こうも考えられる。」

最後の言葉は
精神科作業療法の分野で言う人が多いようですが
そんなん、評価の真逆じゃん!
と思ってしまいます。

評価とは、しぼりこんでいく過程でもあります。
これは違うと判断し、可能性を除外していく過程。

その過程において
大切なことは予断をもたずに
まずは、観察すること
わからないことはきちんと本人に尋ねること
ただし、尋ねかたにはいろいろありますが。

そうすれば、こちらが勝手に推測などしなくても
集めた情報の集積から、ある確からしさとして語り出されてくるものです。

十分な観察も
真摯に尋ねもせずに
いくら考える努力をしたって
根拠がないじゃん。
コミュニケーションの真反対じゃん。
そんな風に感じてしまいます。

わからないことは、判断保留し、
わかる時がくるまでは、わからないままにしておくこと。

勝手に対象者のことを推測しない。

本来は、精神科がそういうことに一番明敏であることが望まれているんじゃないでしょうか。

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