視点の深さ

視点が違うから話し合えない

って聞いたことがあるけど、そうかなぁ?

視点が違うよりも
視点の深さが違うほうが
話し合いになりにくいけど

だって
一流の人は他の分野の一流の人とだって
通じ合えるところがあるでしょう?

同じ土俵に乗れなければ
相手に配慮してもらってようやくお話になる
…ってことだもの。

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関係性で変わる

人ってそういうものじゃない?

だから、友達の友達は友達…とは限らない(^^;

食事介助で食べ方が変わるのと同じように
対応で生活障害の現れ方も変わる

モチロン、ないものねだりはできないから
元通りになることはないし
暮らしの困難をゼロにはできないけれど
今よりは暮らしやすくなる

目指すのは
目の前のAさんがどうしたら
今よりも暮らしやすくなるように
再現性のある方法を
具体的現実的に伝えられることだと思う。

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ホントにあったコト

セラピストがROM-Ex.をしています。
そのセラピストが言いました。

「〇〇さん、良くなりましたねぇ。
痛いって言わなくなりましたものねぇ。」

〇〇さんは言いました。
「痛いですよ。言わないだけ。」

 

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問題設定への違和感

過日、県士会の実習指導に関するシンポジストとして出席しました。

事前質問では、
学生の実習意欲のなさについて指摘する声が多かったのですが
実習意欲のなさという設定そのものに疑問が…
少なくとも、実習を無断欠席したり遅刻することがなければ
実習を継続しようという意思の現れだと思うんだけど。

問題は、「実習意欲のなさ」という「定義」が
「何に照らして」ないと判断したのか
…というところにこそ、あるように思う。

もしかして
あるべき実習生像というイメージを指導者側が既にもっていて
そのイメージから目の前の実習生を差し引きマイナスで捉えて言ってるんじゃないかな?
と思っちゃったりもして…。

当日は、そのことにも触れて「実習には落ちたくない」ことを実習生と指導者で共有できているのなら
そこから積み重ねていけばよいと思うって答えたんだけど。

実習もそうだけど
多職種連携もしかりで
「連携できていない」というのは
「何に照らして」判断してるんだろう?

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理解されなくても恊働できる(3)

理解されなくても恊働できる。

もちろん、理解されたほうが恊働しやすいけれど
理解の結果に恊働があるんじゃなくて
恊働の結果に理解があるんだから
まず、現状でできる恊働をしていったらいいと思う。

恊働だって
いろいろな過程があって
どんな過程もみんな恊働じゃん?
恊働の在りようが違うだけで。

恊働を阻んでいるのは
OTが理解されないことじゃなくて
私たちが勝手に多職種連携の理想像を作って
そこから現実をマイナスで見ていることだと思う。
(余談だけど実習指導でも同じことが起きてると思ってる)

考えるべきは
私たちが恊働の役に立つように
… ということだと思う。

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理解されなくても恊働できる(2)

前にも書いたけど
原典不明ですけど世界のあちこちで言い伝えられてる言葉

To hear is to forget
To see is to remember
To do is to understand
To find is to use

「体験したことは理解する」なんだよね。

チームで連携するにあたり
OTを理解してもらうのは
手段ではなくて結果なんだと思うよ。

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理解されなくても恊働できる

私たちがまず第一に考えるべきことは
対象者の方に対して役に立てること。

今よりも一歩役に立つことができればそれでいい。
二歩役に立てればもっといい。
三歩役に立てればさらにいい。

だけど
「一歩役に立つ」
って本当に難しいことだよね。

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伝わってしまうコト

視点の変換ができれば
世界が変わる

(正確に言えば世界そのものは変わらない
自分の受けとめ方が変わるだけなんだけど)

発想の転換ができれば
意図が変わる

意図が変われば
伝えてしまうことも変わる

伝えられることが変われば
受け止め方も変わる

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