再現性のある表現

我慢のしどころ

多職種連携において
大切なことは
再現性のある表現で伝えること

モチロン究極的には言語化できない部分も
あるとは思ってはいますが
再現性のある表現を心がける、実行する
…という過程において
とりもなおさず
こちらがどれだけ的確にわかっているか
ということが問われ返されているということでもあります。

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「ちゃんと」できるための段取り

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イベントごとに慣れている人には
言わずもがなのことですが
何かのイベントで
イスや机を動かしたり
他所から物品を搬入する時に
あらかじめ現状復帰しやすいように準備します。

イスや机を間違いなく設置してもらえるように
テープで目印をつけたり
他から借りてきた物品については
目立たない場所に
借りた部署や返す部屋をテープに書いて貼っておいたり

「ちゃんと現状復帰しましょう」
というかけ声で
「ちゃんと」できることを「期待」するのではなくて
「ちゃんと」できるために「段取り」をする

こういうことって大切なのに
「かけ声をする=努力した」と誤解しているケースって
いろんな場面でみかけるような気がします。

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状態像の理解を得る

我慢のしどころ

そんな時には
まず、状態像の理解を得てもらえるように
しています。

オススメなのがビデオ
「見れども見えず」
見ているけれども見落としている
…ということはたくさんあります。

まずビデオで「現実」を見てもらい
その現実が意味することを言葉で説明する。
場合によっては
さらに、もう一度ビデオを見てもらう。

この方法は効果的だと感じています。

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状態像の共有化

我慢のしどころ

臨床で案外、テ抜きになるところだと感じているのが
状態像を共有化するということ。

知識がなければ
今、目の前で起こっていることの意味がわからない。
行動に投影されている能力も障害もわからない。

そのような状況で
「〇〇をしてください」
「△△という対応をするようにしましょう」
というような方法論の統一が
功を奏することは大概少ない。

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山を登るように

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認知症のある方の評価を
イメージで伝えるとしたら
山を登るように…とも言えると思う。

いきなり頂上にはたどり着けない。
3合目、5合目、7合目…
一歩一歩歩き進めるしかない。
歩くしかないけど
歩いた分は着実に先に進めているし
振り返れば、登ったことを実感できる。

山を登る時には
準備も知識も必要だし

歩きながら見える風景も
同じ山でも同じではない。
けれど、まったく違うというわけでもない。

当然
道のないところは歩かないから
知らない風景だってたくさんある。

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「作業」のプロ

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プロとして
「作業」を扱えるようになりたい
と願っています。

最低限、不適切でないように
願わくば、より適切に

私にとっては
「作業」が素晴らしいかどうかは
あまり関心がありません。
(対象者にとって素晴らしい体験であるように願っていますが)

ただ「作業」がもつPowerについては
知っておく必要があると考えています。
とりわけ、負の側面について。
Powerのベクトルの前向きだけでなく後向きに関して。

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適切さを自分で判断

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私がかつて実習で学んだことの1つは
自分の評価や治療結果の適不適について
自分が判断するという責任の重さでした。

判断を誰かに委ねるのではない。ということ。

常に自己修正ができるように判断するのだ…という。

そのことに気がついた時には
本当に怖かったです。

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適切さの根拠

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認知症のあるAさんに
どんな風に関わったらよいのか

もちろん
Aさんの体調によって
また場面の優先性によって
異なることはあるでしょうが
おおまかな方向性は言えると思う。

なぜAさんにとって
そのような関わり方が適切なのか
根拠を説明できることが必要だと思う。

その根拠は
倫理や道徳面ではなくて
(必要ないと言っているのではありません)
Aさんの能力と障害と特性によって説明でき
実際のAさんの生活障害の改善によって証明される
ものだと考えています。

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