「作業」のプロ

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プロとして
「作業」を扱えるようになりたい
と願っています。

最低限、不適切でないように
願わくば、より適切に

私にとっては
「作業」が素晴らしいかどうかは
あまり関心がありません。
(対象者にとって素晴らしい体験であるように願っていますが)

ただ「作業」がもつPowerについては
知っておく必要があると考えています。
とりわけ、負の側面について。
Powerのベクトルの前向きだけでなく後向きに関して。

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適切さを自分で判断

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私がかつて実習で学んだことの1つは
自分の評価や治療結果の適不適について
自分が判断するという責任の重さでした。

判断を誰かに委ねるのではない。ということ。

常に自己修正ができるように判断するのだ…という。

そのことに気がついた時には
本当に怖かったです。

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適切さの根拠

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認知症のあるAさんに
どんな風に関わったらよいのか

もちろん
Aさんの体調によって
また場面の優先性によって
異なることはあるでしょうが
おおまかな方向性は言えると思う。

なぜAさんにとって
そのような関わり方が適切なのか
根拠を説明できることが必要だと思う。

その根拠は
倫理や道徳面ではなくて
(必要ないと言っているのではありません)
Aさんの能力と障害と特性によって説明でき
実際のAさんの生活障害の改善によって証明される
ものだと考えています。

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感謝の気持ち

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おかげさまで人様の前でお話させていただく機会が
ずいぶん増えてきました。

ありがたいなぁ…と思うのは
私の話って、基本とても地味なんです。
食事介助とか立ち上がりとか目標設定とか対応とか
非常に基本的なことを振り返りながら実践してきただけだし
それに私はあくまで名もない一臨床家に過ぎません。
そんな私に声をかけてくださる…ということに
とても感謝しています。

声の大きな人や
社会的地位のある人や
主流派の人の言っていることだと
安心して賛同を表明できると思う。
でも、私にはそんなの全然ないから
私に声をかけてくださる主催者や
話を聴きにきてくださる人は
勇気があると思うし
中身で評価の人だと思うし
何よりも対象者の利益のために…と
強く願っている人なのだと思う。

そういう人と一緒に仕事できたり
場を共有できることはすごくありがたいことです。
私の話を聞いた後に確認してみた実践してみた変化があった
…というご連絡をいただけるのもまた嬉しいことです。

かつて私はもがきまくっていました。
自分にとってそのもがきは
意味あることだったと思っていますが
若い人たちが同じようなもがきを繰り返すのはもったいない。
その分の時間とエネルギーをより良いリハとケアにふりむけてほしいと心から願っています。

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目標設定の研修会

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平成26年7月20日(日)に
昭和大学保健医療学部横浜キャンパスにて
目標設定に関する研修会が開催されます。
題して「良い目標が設定できる作業療法士になろう」

おそらく、みんな誤解している。
目標なんてカンタン!って。

でも、カンタンそうな
食事介助だって
立ち上がりだって
認知症のある方への声かけだって
見落とされていることがたくさんあって
丁寧に考えていくことで
ブレークスルーの道が開けることもいっぱいある
ということは、こちらのブログにも常々書いてきたことです。

目標こそが羅針盤

目標の設定を共同作業できない対象者も
少なくありません。
その時にお手上げ…じゃ困ります。

詳細は作業療法総合研究所のサイトをご参照ください。

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挨拶を重視する社会

我慢のしどころ

なのかな?って思うことがあります。

だって
何かの事件が起きた時に
ニュースでインタビューに応じている人が
「挨拶をちゃんとする良い人(子)」
って必ず出てくる言葉だもの。

挨拶=良い人(子)
なんて言い切れないじゃんって思うけど (^^;

テレビ側がそのような答えを意図的に選択して放映しているのか、本当にそのような応答が多いのかはわかりませんが。

モチロン、私のこの記事は挨拶は軽視しろということでは決してありません。念のため。

どんなことでも
当たり前のように言われていることは
何かしらの意味があるんだとは思いますが
その意味を自分なりに検証してみることは必要なのではないかと。

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共同体験の提供

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自分の価値基準に照らして
信頼できるかどうか判断しているわけで
それは、その人との共同体験を通して判断しているわけで
(人によっては他者の評判が判断基準のこともあるかもですが)

認知症のある方だって変わりはない。
担当者との関係性において
信頼できそうかどうか判断している。
判断基準がより感覚的なものに偏ることはあったとしても。

大切なことは
目の前にいる認知症のある方が
「この担当者は信頼できそうな人かどうか」
判断できるような「共同体験」を提供することなんだと思う。
結果として
挨拶を重ねることがそれに値することがあるのだと思う。

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ラポールは結果として形成される

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認知症のある方に対して
挨拶を重ねて会話を重ねて
なじみの関係を作ってラポールを形成してそれから…って
言われているようですが。

ラポールは結果として形成される。
私はそう感じ考えて行動しています。

私たちだって
「よく知っている人=信頼している人」
というわけではない (^^;
ですよね?

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