Category: よっしーずボイス(ブログ)
私のインタビューを掲載してくださっているPOSTさんのサイトで
私のコラム記事連載が始まっています!
「現役理学療法士による、リハビリ職者を目指す人のためのサイト『POST』」
http://1post.jp
「食事介助」に関する連載記事が始まりました!
http://1post.jp/2015/12/14/dementia_colum01/
ほっんとうに嬉しい (^^)
今を遡ること、たぶん20年くらい前から
機会あるごとに言い続けてきている
「スプーン操作の大切さ」
「食事介助 ≠ 食べさせる、食事介助 = 食べることの援助」
そして
「最重度の認知症のある方でも行動変容は起こる」
ということを
明確に体験できるのが食事介助の場面であり
その場面で起こっていることの「意味」を理解できれば
食事以外の場面でも
起こっていることの意味が理解できるようになる
ということを。
かつての私がそうであったように
これは違うということがわかっても
どうしたら良いのか、わからない時はすごく苦しい。
セラピストが苦しい時には、対象者の方はもっと辛い。
1人でいいから
その苦しさ、辛さから脱することのお役に立てるなら
私はとてもとても嬉しい。
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私の好きな物語は
アーシュラ・K・ル=グウィンの
「ゲド戦記」シリーズ
なかでも「帰還」が一番好き。
https://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/11/1/110684-.html
一時話題になったアニメ映画のゲド戦記とは全くの別物です。
著者自身が明確に言っています (^^;
「It’s not my book」
原作は本当に素晴らしいです。
私は折にふれ、何回も何回も繰り返し読んでいて
その都度発見があります。
同じ著者の
「西のはての年代記」三部作も好き。
「ヴォイス」が一番好き。
http://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309463537/
でも今はもう一度読み直したい。
村上春樹の「色彩を持たない多崎つくると彼の巡礼の年」
http://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784167905033
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ここにこれから書くことは
すごくおせっかいなコトだけど
物語を読むのって
物語の世界との対話であり
著者との対話であり
自分自身との対話でもあるから
その時々の自分で読み取れることしか読み取れない。
その時その場のその関係性においての対話という
唯一の関係性が成立してる。
逆に言えば
そういう「関係性」の中に
自分自身の身を浸すことだから
作業療法士として
あるいは他の職種でも
ナラティブとかSDM(Shared Decision-Making)とか
もしも、本当にそういった方向性を目指したいなら
あるいは、Act.選択の適切性に悩んでいるなら
知識やツールの習得ではなくて
自分自身が「物語」を「読む体験」をするといいと思う。
リハに関わる世界にいる人で
「物語」を読んでる人って
そんなに多くない印象を抱いています。
だから
対象者の方の物語も読みにくいんじゃないかなぁ。
だから
SDMの扱われ方が
単なるツールに堕してしまうんじゃないかと
目の前にカタチとして提示されてる物語が読めないのに
目の前に存在している人の
カタチとしては提示されていない物語が読めるのか?
… それは、難しいよね (^^;
本気でそう思っています。
おせっかいなコトだけど。
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私はそんなにたくさん読んでるワケじゃないけど
本を読むのが好きで
でも、平日はなかなか「物語」を読む気にはなれない。
本は常に手元、枕元にあるけど
平日は論理が明確な「意見」「ノンフィクション」系の本を読んでる。
私にとって、「物語」を読むのって
すごく「感覚」と「集中」が必要で
ふだん仕事をしてると
「感覚」を仕事ですごく使ってるから
家に帰ってきてまで使えるキャパシティーがないように感じるのと
「日常」という細々した物理的な「実践」に
乗っからないと「流れない」から
「物語」に入るのも出るにも
時間的・心理的束縛があると
私には難しい…(^^;
ささやかでも
日常の制約から解放される時に「物語」を読んでみようって思える。
「物語」によって
支えられることは、たくさんある。
「物語」は
その時々の自分の在りようによって
異なる深みを響かせる。
自分にとって
大切な「物語」と出会えることは
もう1つの至宝なんだと思う。
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村上春樹の「色彩を持たない多崎つくると彼の巡礼の年」を読んだ。
今さらですが (^^;
真っ向から、私たちへのエールが送られている
そのことをひしひしと感じた。
個人的に
心身ともに、ナーバスでセンシティブな状況にあったので
(敢えて過去形を選択)
よけいに、エールが胸に響いた。
どうしたら、こんな繊細な物語を語れるのだろう。
強さと繊細さを両立させるために
どれだけの孤独な作業を自らに課しているのだろう。
村上春樹はprofessionalだと思った。
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POSTさんへのインタビュー その3が掲載されました。
http://1post.jp/2015/12/07/interview143_sato_yoshie03/
インタビューはこれで完結ですが
新たに、私の連載も決定しました!
ありがたいことです。
嬉しいです。
テーマは食事介助。
最重度の認知症のある方でも
スプーン操作を変えるだけで劇的に食べ方は変わります。
そのようなケースは枚挙にいとまがありません。
脳の萎縮が少ない、健康な部分が多いお年寄りなら
もっと早く、もっとラクに行動変容が起こります。
「認知症のある方がうまく食べられないのは仕方ない」
「認知症のある方の誤嚥性肺炎は仕方ない」
あからさまに言われているけれど
本当はそうじゃない。絶対に。
これには留保がついています。
そのことを私たちが忘れています。
「私たちが適切な食事介助ができなければ」…という
私たちの側の問題という前提要件が見落とされています。
私たちの側の問題であれば
私たち自身で解決・改善することが可能です。
そのことを1人でも多くの方にお伝えしたいと思っています。
連載記事掲載まで今しばらくお待ちください m(_ _)m
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ひさびさの記事の連投となりました (^^;
この連投前には、長いこと記事更新ができずに
お待たせしてしまってスミマセン。
中にはご心配をおかけしてしまった方もいらっしゃるかもしれません。
申し訳ありません。
前夜に投稿した記事に
あっという間にアクセスが増えて翌日には
ページ右側の「人気記事」にランクインしているのを見ると
「あぁ、たくさんの方が見てくださっているんだ」と
実感することができて
嬉しくもあり、また、身の引き締まる思いもいたします。
お忙しいなか、お立ち寄りくださっているみなさま
本当にどうもありがとうございます m(_ _)m
このような「場」があることを本当にありがたく思っています。
ネットの良い面を良い方向に活かすことができるように…
時には(?)毒も吐きますが (^^;
「花も実もある」よっしーワールド
これからも、どうぞよろしくお願い申し上げます m(_ _)m
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実習ネタが続いて恐縮ですが…
「実習は楽しく!」
「作業療法の楽しさを伝える」
ということは、私は考えておりません。
実習は楽しく。とか
作業療法の楽しさを伝える。とか
養成校の教員からも臨床家からも
ホントウによくよく聞く言葉ではありますが
私はそこは毛頭考えておりません。
その場は
「はぁ」とか言ってはいますけれど (^^;
だって
そういうのって
結果として起こることを目的化している
ワケでしょう?
実習が楽しくて、作業療法が楽しくて
学生さんも満足、指導者だって満足するでしょうが
そこを目的とした指導しかされなかったら
いざ、就職してから困るのは
そういう指導を受けた学生さんなんだよね。
そして、そういう臨床家に担当されてる対象者が
一番、困る思いをするんだよね。
実習で体験学習できることには限界があるけれど
だからこそ、必要なことをキッチリと体験学習できるように
適切に援助していく必要があると考えています。
何もリハの世界に限ったことではないと感じていますが
「結果として起こることの目的化」や
「手段や方法の目的化」って
あちこちでたくさん起こっていて
モノゴトの本質がすり替えられているように感じられてなりません。
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