Category: よっしーずボイス(ブログ)

第3の道

認知症の早期発見・早期診断はこれから先どんどん進んでいくでしょう。
確定診断の精度もどんどん高まるでしょう。
それはとても重要なことですべての基礎になります。

でも、大切なのは、その先ではありませんか。

どうしたら、認知症という状態とともにあって
少しでも暮らしやすくなるのか。

認知症のある方をとりまく現状について
私の目には今、大きな振り子がふたつを行ったり来たりしているように見えます。
「認知症があってもできることはたくさんある」
「認知症があるから仕方ない」

老年期のリハビリテーションに長いこと携わってきて
常に疑問だったのは
「全か無の法則」「クロとシロの法則」と私が勝手に名付けていた事象です。
両極端に議論が傾いて、グレーの色調の判断とグレーの色調への援助に対して
具体的な検討が進みにくいという現状への疑問です。

できることはわかりやすい
できないこともわかりやすい
できそうでできないことがどうしたらできるようになるのか
具体的に検討されにくくて抽象論で終わってしまいがちです。

暮らしという現実の中で起こる困難を少しでも少なくするには
障害と能力の把握が突破口になります。

もう、旗を振る時代は終わりにして
具体的な検討ができるようにしませんか?

その突破口は
障害と能力のプロとして養成されてきたリハスタッフ
とりわけ作業療法士が担える一番の近道にいると感じています。

でも
リハスタッフ・作業療法士ならば誰でも担えるわけではないし
他の職種やご家族が担えないわけでは決してありません。

かつて死の病として
ひたすら恐れられてきた結核やガンが
医学の進歩によって立ち向かえるようになってきて
死の病としてひたすら恐れられる対象ではなくなってきています。

それと同じように
かつて自分が自分でなくなると恐れられてきた認知症が
当事者の言動によって、ご家族のサポートによって、多職種の支援によって
自分らしく生きることへ戦略が転換されていて旗は振られている。
けれど目の前にいる認知症のある方に向き合った時に
旗を振っていた時ほどの声が出ないような気持ちになることはないでしょうか。
理想を高く掲げれば掲げるほど目の前の現実に疲れてしまわないでしょうか。

今、求められているのは
高い理想をどうやって具現化するのか、できるのか
その具体的な検討を可能にすることなのではないでしょうか。

 

Permanent link to this article: https://kana-ot.jp/wp/yosshi/3169

「こそあど言葉」とADL介助

前の記事「こそあど言葉とAct.説明」を読んでくださった方の中には
「あ!」と気づかれた方もいると思います。

ADL介助の場面でも同じコトが違うカタチで現れている

そうなんです。
Activity提供、何か「する」コトに関して
言語理解と構成障害の有無とその程度が関与しているならば
ADL場面にだって関与しないはずがありません。

認知症=記憶障害。だけではないのです。
認知症=快・不快しかわからない。わけではないのです。

たとえば
洋服の着脱が困難になってしまった方に介助する時に
どんな声かけが適切なのか
具体的に検討されているのでしょうか?

認知症
=わからない
=仕方ない
=早く着替えが終わるように
=優しく、怒らせないように
というような方法論しか検討されてこなかったのではないでしょうか。

案外、「こそあど言葉」を意図せずに無自覚のうちに
多用している私たちのせいで
認知症のある方が余分に混乱している可能性はないでしょうか。

だとしたら
「こそあど言葉」「名詞」「動詞」を意図的に自覚的に選択的に
私たちが扱えるようになったとしたら
認知症のある方の状況が変わる可能性があるのではないでしょうか。

Permanent link to this article: https://kana-ot.jp/wp/yosshi/3167

「こそあど言葉」とAct.説明

Act.の説明をする時に
「こうして、次にこうやって」
「それをこっちにもってきて」

かつて、私もそのような説明をしていました (^^;

いわゆる、「こそあど言葉」

認知症のある方の
言語理解力と構成能力が保たれていると
「こそあど言葉」を使った説明をしても理解してもらえますが
言語理解力や構成能力が低下してくると
「こそあど言葉」を使った説明では
認知症のある方がAct.を遂行することは余計に難しくなります。

私たちが無自覚に使っている、「こそあど言葉」を
自覚的に、明確に、名詞と動詞で表現するように心がけると
動作的介助なしに声かけだけでできる部分がグンと増えたりします。

裏を返せば
作業療法士が「こそあど言葉」を使わないで説明できる。ということは
工程を明確に理解できている。ということを示してもいるのです。

また、逆に
ある種の認知症(たとえば、意味性認知症)のある方の場合には
意図的に「こそあど言葉」を使うこともあります。
物品名詞は「これ」「あれ」「それ」
そして動詞を明確に端的に使う。

つまり
作業療法士が意図的に選択的に言葉を扱えるということは
認知症のある方の障害と能力を把握していて
目の前に起こっている事象の意味がわかる
ということなんです。

Permanent link to this article: https://kana-ot.jp/wp/yosshi/3159

geneナースセミナーFBに掲載

(株)geneさんのナースセミナーFacebookにて
先日2月19日(日)に開催された
「ナースのための認知症のある方への対応の工夫と考え方 」が
紹介されました。

詳細はこちらから
https://www.facebook.com/gene.nurse/

研修会情報もSNSから得ている方も多いですよね。

「よっしーずボイス」では
参加資格に制限のない、どなたでも参加できる
セミナー・研修会情報のお知らせもしています。
1人でも多くの方にお伝えしたいことはたくさんあります。

今、困っている方
今、モヤモヤした気持ちを抱えている方には
きっとお役に立てることがあると思います。

自分で言うのもなんですが (^^;
私が講演をする時には
明確な言語化・具体的な説明そして考え方の方向性を伝えられるように心がけています。
臨床経験が少ない方にも、まずは明日から実践・挑戦しやすいように
臨床経験の多い方には、実践の根幹を為す考え方を届けられるように
単なるハウツーやマニュアルとして消費されるのではなく
臨床の場に帰ってから、その時その場のその関係性において判断・実践できるように
それが私の願いです。

それらは
かつて必死になって心理社会的対応に邁進したのに
自分がゴミ箱になってしまったように感じるだけで
そこまでしても目の前にいる方にはプラスの変化が感じられず
とても辛く、もがきまくっていた過去の私が欲しかったものなんです。

今、同じように辛い思いをしている方がいたとしたら
ダメモトと思って聴きにきていただけたら嬉しく思います。

今後とも引き続きどうぞよろしくお願いします m(_ _)m

Permanent link to this article: https://kana-ot.jp/wp/yosshi/3161

Act.工程説明の留意点

あんまり言語化されていないと思いますが
認知症のある方にActivityを提供する時に
工程を説明します。
実はその時にポイントがあります。

それは
視覚的な情報を中心にするのか
聴覚的な情報を中心にするのか
運動的な情報を中心にするのか
説明の力点をどの情報を主体として提供するのか
ということです。

どの感覚が理解しやすいのか
こちらが把握できていれば
Act.の場面でその都度説明したり声かけをしたりお手伝いをしたり
という必要がほとんど少なくなって
認知症のある方自身で援助を受けることがほとんどない状態で
Act.に取り組むことができるようになります。

えてして
Act.の場面において
対人援助職たる私たちは
「援助を受けながらでも〇〇できる」ことを善しとしがちですが
認知症のある方にとって
〇〇という作業をしながら、もう一方で他者の説明を聞いて理解して行動修正する
というような同時並行課題は負担の大きいものです。

他職種の人たちに
「これならカンタンだからできるんじゃない?」と言われることもよくありますが
認知症のある方の近時記憶障害、構成障害、遂行機能障害などの有無と
その程度を把握していると、とてもそんな風には思えません。
必死になって一生懸命やろうと向き合っているのがよく伝わってきます。

たとえ
援助を受けながらでも、何か作り上げることができたとしても
それってどうなんだろう?
作っている最中の手応え、充実感、そんな感情を味わうことができたのだろうか?

私の脳が認知症のある方の手を動かさせているような状態は、私は絶対イヤです。

認知症のある方の脳と、認知症のある方の手と、対象たるAct.とが
たとえ、どんなに小さくてもしっかりと1つのループを作っているような場
そういう場を作り上げるためには、説明ってとても大切。

どの感覚を主体として説明するのか
それは、その人がどの感覚を理解しやすいのか
その評価を根拠に判断しています。

Permanent link to this article: https://kana-ot.jp/wp/yosshi/3158

先手の1手間

今よりも良くなることを望むなら
今困らないようにという視点で対応していても良くはならない。
それは対応が後手に回っている。

先手をうって
1手間かければ
今よりも良くなる

良くなれば
1手間じゃなくて0.5手間くらいですむようになる

1手間かかるんだから
その手は有効な方がいいよね。
無効な1手間だと、消耗してしまうだけだもの。

その手が読めるかどうか。

本当に問われているのは
手間じゃなくて、その手なんだよね。

Permanent link to this article: https://kana-ot.jp/wp/yosshi/3156

POST掲載「誘導」

POST 理学療法士作業療法士言語聴覚士のためのリハビリ情報サイトさんに
昨日、私の記事が掲載されました。

「認知症の方のリハビリ室への誘導のしかた」

「作業療法ジャーナル」vol.51No2にも一部掲載されている内容です。

リハ室に来てしまえば
ニコニコして楽しそうに過ごされるけど
誘導の時に拒否するという認知症のある方は少なくありません。

それは誘導の仕方が「態度として悪い」のではなくて
適切ではない。だけなのです。

リハ室に行ってしまえば楽しまれるんだから
誘導が多少強引だっていいんじゃない?とは思いませんよね。

デイサービスなどにも
行ってしまえば楽しく過ごされるのに
行くまでが大変、お迎えが大変。というケースは案外多いと思います。
そういう場合にも応用できるかもしれません。

Permanent link to this article: https://kana-ot.jp/wp/yosshi/3145

「NS向けセミナー」無事終了☆

平成29年2月19日(日)に
東京の中央労働基準協会ビルにおいて
(株)geneさん主催の
「ナースのための認知症のある方への対応の工夫と考え方」が
開催されました。

参加されたみなさま、運営を担当されたHさん
おつかれさまでした。
どうもありがとうございました。

私はずっとしゃべっていたせいか
あっという間に一日終わってしまったように感じました。

実技は楽しかったですねー (^^)
実際に体験して、その体験の意味を言語化して理解できると
明日からの臨床で具体的に観察できるポイントが今までとは違ってくると思います。

こんな風にして「変化」を体験できると
「視点」も否応もなく変わってきます。

認知症のある方に行動変容が起こる時には
私たちの側にも新たな気づきが生じます。
どちらの側にも行動変容は起こるんです。

私にとっては初めての
(株)geneさん主催「ナース向けの〜」セミナーでしたが
とても貴重で有意義で本当に嬉しい一日となりました。

どうもありがとうございました m(_ _)m

Permanent link to this article: https://kana-ot.jp/wp/yosshi/3136