たくさんの方が
ふとした時にお気持ちを吐露されます。
HDS-Rが1桁の方が
「俺はもうバカになっちゃったからできないよ」
HDS-Rが0点の方が
「こんなバカな俺に優しくしてくれてありがとう」
HDS-Rをとることすらできない方が
「俺はよう、ここがよう(頭を指差して)こうだからよう(パーと手を開く)」
HDS-Rをとることすらできない、異食もしてしまう方が
「私はバカだから。私は何にもわからないから」
本当にあったことです。
「認知症のある方は病識がない」
と言う人はとても多いけれど
病気と診断できるのは医師だけです。
私だって
膝が痛い、腰が痛いと感じることはできますが
なぜ痛いのか、何という病気のための痛みなのかは
私にはわかりません。言えません。
それを病識がないというのなら私も病識がないのでしょう。
そして
私だって常にどこでも誰に対しても「痛い」と言うわけではありません。
大丈夫?と尋ねられた時に
辛くても「平気」と答える私は病識がないのでしょうか?
それは
私でなくたって同じなのではないでしょうか。
認知症のある方だって同じなのではないでしょうか。
感じていることを
いつでも誰にでもどんな場でも常に表明するわけではありません。
私たちは自分の本心を言っていい場とそうでない場とを区別していますし
言える人と言えない人を区別しています。
「言わない・言えない=わからない」
と判断しているのは私たちであって
認知症のある方の真実かどうかは
どれだけ私たちが言える場を作れているのか
どれだけ私たちが聞くことのできる耳と感じ取れる身体をもっているのか
という前提要件によっても随分変わってくるのにな
そんな風に感じています。
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