Category: よっしーずボイス(ブログ)

意思疎通困難な方とのコミュニケーション5

まず、暮らしの援助をするために協働して行うことの理解を得る
そのためのコミュニケーションを考える時には
1)自分のノンバーバルな表出をコントロールする
2)その場の状況や場面を評価し可能であれば修正する
3)伝える言葉は明確にシンプルに
4)視覚情報を提示する
5)アメありとアメなしを使い分ける
というような工夫をしています。

3)伝える言葉は明確にシンプルに

・形容詞や副詞よりも、名詞+動詞中心で表現する

形容詞や副詞は気持ちが入ると使いたくなってしまいますが
何をどうしたら良いのか、ということは案外曖昧に伝えてしまうことにもなりかねません。

「ちゃんとパンツを下ろしましょう」
というような声かけは、実は曖昧表現なので行動化しにくいものです。
「パンツを膝下まで下ろしましょう」
というような声かけであれば「何を、どこまで、どうする」ということが明確です。

私たちは、「ちゃんとパンツを下ろす」のは
これからここでおしっこをするから
パンツが濡れないようにしなくては
そのためには膝下まで下ろせば大丈夫かな
と経験上、つまり、行動と記憶の積み重ねによって
「何を、どこまで、どうする」ということを
瞬時に判断、多くの場合に無自覚のうちに行うことができています。

「ちゃんと」という副詞が意味する行動を明確に言語化するには
名詞+動詞を主体とした言語表現を心がけるといいと思います。

このことに気がついて
自分の声かけを見直し始めた当初、
いかに自分が普段、忖度してもらっていたのか、忖度していたのか
ということに気がついて愕然としたことがありました。

・単語中心に構音明瞭に発言する

「ご飯」「トイレ」「あっち」など、単語中心に言うことも多々あります。
そこで気をつけているのは、決して大きな声を出すことではなくて
構音明瞭に話す、相手が聞き取りやすいように話す、
伝わりやすいように明確に話す、ということです。

意思疎通困難と言われている認知症のある方に
聞き間違いは、とても多くみられています。
1文字のズレどころではなくて、どうしたらそんな風に聞き取れるのかわからないくらい。
だから、聞き間違いという認識が持ちづらいのだと思いますが。

自己修正を始めた時には
自分がいかに無自覚に、言いたいように話していたのか
どれだけ構音曖昧なままに話していたのか
ということに気がついて愕然としたことがありました。。。

誤解のないように補足しますが
私は基本的には敬語を使う人間ですが
「敬語を使うべき」とも「単語で話すべき」とも考えていません。

その時その場のその関係性において
相手が理解しやすいような言語表現を具体的に明確に論理的に考える
ということを大切にしています。

その過程において
意思疎通困難と言われている方でも
単語中心で話しかけると伝わることがとても多い
ということは、意思疎通が不可ではなくて低下ということを示しています。
「不可」と「低下」では、意味がまるきり違います。
低下だったら、できることを考えればいい。

このことについては
「職場では敬語を使わないと怒られる」と困っている人もたくさんいるようで
その対応も含めて書きたいことがもっとあるのですが
いずれまた。

今はもう少し
意思疎通困難な方とのコミュニケーションについて
書いていきたいと思っています。

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意思疎通困難な方とのコミュニケーション4

まず、暮らしの援助をするために協働して行うことの理解を得る
そのためのコミュニケーションを考える時には
1)自分のノンバーバルな表出をコントロールする
2)その場の状況や場面を評価し可能であれば修正する
3)伝える言葉は明確にシンプルに
4)視覚情報を提示する
5)アメありとアメなしを使い分ける
というような工夫をしています。

2)その場の状況や場面を評価し可能であれば修正する

案外、実際の臨床ではこぼれ落としてしまいがちなところがこの部分です。

・認知症のある方にとってイマ、ココがどんな場面と認識されているのか確認する

例えば、
聴覚情報について:
難聴のある方だけでなくて
聞き間違いはとても多いものです。
また、耳で聞いたことを全て拾ってしまう状態の方もいらっしゃいます。

視覚情報について:
見間違いはとてもよくあることですし
視覚的被影響性亢進という症状(目で見たものに影響される)がある方は
するなと言われても、病気としての症状なので自己修正ができません。

認知症のある方の言動だけでなく
まずは、自分の言動を意識化する
そして、認知症のある方と自分が存在する環境からの聴覚情報・資格情報を意識化する

私たちは無意識のうちに、取捨選択して脳内処理してしまっている環境情報を意識化する
ということはとても大切です。

・可能であれば情報整理という意味で環境調整をおこなう

例えば
廊下で話している人の声を聞いて反応してしまう方であれば
「私の話を聞いて」と言うのではなくて
お部屋のドアを閉めて、余分な聴覚情報が入らないようにします。

食事の時に周囲をキョロキョロと見渡してしまい集中できない方であれば
「キョロキョロしないでご飯を食べて」と言うのではなくて
食堂の角など職員の動きが少ないところへ移動していただくようにします。

私たちは当たり前にごく自然に
聴覚情報、視覚情報の取捨選択や脳内処理をした上での認識ができていますが
認知症のある方にとっては常にそうとは限りません。

私たちだって目で見た風景と写真で撮った風景が違って見えたという経験があると思います。

例えば、この二つの写真は屋外にある階段を上から撮った写真ですが
何の説明もなく、段差を段差として認識することは難しいのではないでしょうか。

認知症のある方にとって
イマ・ココが
どんな風に聞こえ、見えているのかは
評価してみないとわからないし、その評価の的確性については確認してみないとわかりません。

そういう意味で
環境認識を仮定し、実際に調整してみて、反応を確かめる
ということは、とても重要なことだと考えています。

声かけの工夫ーどんな風に伝えたら、わかりやすいのか
考えることは大事ですが、独りよがりにならないように、的確さや有効性を担保するためには
目の前にいる方にとって、イマ・ココがどんな風に認識されているのか
その上での声かけの工夫だと考えています。

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意思疎通困難な方とのコミュニケーション3

まず、暮らしの援助をするために協働して行うことの理解を得る
そのためのコミュニケーションを考える時には
1)自分のノンバーバルな表出をコントロールする
2)その場の状況や場面を評価し可能であれば修正する
3)伝える言葉は明確にシンプルに
4)視覚情報を提示する
5)アメありとアメなしを使い分ける
というような工夫をしています。

一つずつご説明していきます。

1)自分のノンバーバルな表出をコントロールする

・アイコンタクトを得る

相手を漠然と見るのではなくて、相手の目をちゃんと見ることが大切だと思います。
臨床では、声かけはしていても、相手の目を見ながら声をかけているかというと
案外、疎かになりがちな部分だと思います。
相手がちゃんと「紛れもなく自分自身に言っているのだ」と認識しやすいように
アイコンタクトを得ることから始めています。
近時記憶の低下に伴い、モノゴトの経過や背景といった情報を忘れてしまう方にとって
とても大切なことです。

・相手のトーンに合わせつつも、キツい強い口調にならないように心がけます。

どんなに丁寧な言葉を使っても、その言い方がキツかったり強かったりすれば
感じ良いとは思えませんよね?
私は基本的には敬語を使うようにはしていますが
「敬語を使うべき」とは考えていません。
単語のみで話しかけることも多々あります。
相手の言語理解力が低下していれば敬語を使うことによって
かえって相手を混乱困惑させてしまうこともあるからです。
なぜ、敬語を使うのか、そもそもは相手への尊敬の念を伝えることが目的なのですから
尊敬の念はノンバーバルな表現で補うようにしています。

・身体の向きも、相手に向かい合うように心がけます。

顔を向けるというよりは、おへそを向けるという風に意識すると
身体全体が向かい合うようになると思います。
そっぽを向きながら言われてしまうと、
自分じゃない他の誰かに話しかけているように誤認されやすくなってしまいます。

・穏やかな表情で。

わざと明るく楽しそうにすることはないですが
少なくとも硬い表情だと相手を不安にさせてしまうと思います。
「あなたを困らせたりしない、大丈夫」
「あなたを助けたい、心配しないで」
と心の中で唱えれば自然とそのような表情になると思います。
「ケアは笑顔で」というスローガンではなくて
自分で自分の関与する意図を再確認することが近道のように感じています。

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意思疎通困難な方とのコミュニケーション2

私が認知症のある方とのコミュニケーションを考える時には
1)暮らしの援助をするために、協働することの理解を得る
2)何を言いたいのか理解し、会話そのもの、言葉のキャッチボールをする
大きく分けて、この二つの目的があると考えています。

いずれの場合にも
どんなに強調しても強調しすぎることはないと言えるのは
私たちのノンバーバルなアウトプットをコントロールすることだと考えています。

表情、声のトーン、声量、口調、物理的な距離、雰囲気や構え

基本は
相手に合わせます。

元気いっぱいな方なら、こちらも元気よく。
穏やかな物静かな方なら、こちらも控えめな声で。

認知症のある方が怒り出してしまう場合に
意外に多いのが、「わからなくて怒ってしまう」というケースです。

その時に
なんて言ったらいいのか、What を考えるだけでなく
どのように言ったらいいのか、How を考える
ということにも気をつけています。

言われた言葉ではなくて
言い方に反応して怒ってしまう
そういうケースは、非常に多くて
ノンバーバルを変えるだけでも、
火に油を注ぐこともなく、怒りを収めてくださることもまたとても多い。

私たち自らの
ノンバーバルなアウトプットを意識して使いこなす

これは鉄則だと考えていますし
まだ、公には言えませんが、
このような現実が示唆している事柄を
非常に興味深く思うところもあります。

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疎通困難な方とのコミュニケーション

認知症で疎通困難と一口に言っても
いろいろな方がいらっしゃいます。

たくさんお話しはするけど、会話が成り立たない方も
たくさん声は出るけど、言葉にならない方も
言葉も声も出ない方も
いろいろな方がいらっしゃいます。

私たちが認知症のある方とのコミュニケーションを考える時には
1)暮らしの援助をするために、協働することの理解を得る
2)何を言いたいのか理解し、会話そのもの、言葉のキャッチボールをする
大きく分けて、この二つの目的があると考えています。

私は認知機能障害もBPSDも重度の認知症のある方が入院する病棟で働いていますが
「もうこの方とは会話が成立しないんじゃないかな」
と思っていたら、ふとした時に会話が成立して驚いたことはヤマほどたくさんあります。
きっと似たような経験をしている方は、たくさんいるんじゃないかな。

諦めずに
思い込まずに
決めつけずに
その時その時で、状態を確認しながら対応することの大切さを感じています。

コミュニケーションをとるにあたって
具体的にどんな風に考えて
どんな工夫をしたら良いのか
少し整理しながら書いてみようと思います。

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情報提供

アルツハイマー病発現メカニズムに関しては
アミロイドβ仮説が有力とされてきましたが
原因なのか結果なのか真実は解明されてはいません。
その過程の只中にある現在、たくさんの研究者がメカニズムの解明や根本的治療薬開発に向けて
日々取り組んでいます。

その中で最近目を引いた関連情報をいくつか列記します。

「『医療上の利益が不十分』アルツハイマー型認知症治療薬フランスで保険適用を外されたワケ」https://answers.ten-navi.com/pharmanews/14317/
要旨:
臨床試験のエビデンスが実臨床に直接繋がっていないという有効性と
消化器系・循環器系に対する副作用のリスク、薬物相互作用による副作用のリスクという安全性から
保健償還不可とフランス高等保健機構が2016年に公表した勧告を受けて
フランス保健省がアルツハイマー型認知症治療薬の保険償還を2018年8月1日から停止すると発表

「老齢期でもヒトの脳では新しいニューロンが発生する」
http://www.natureasia.com/ja-jp/research/highlight/12898
要旨:
健康なヒトの海馬ではニューロン新生が一生にわたって観察されるとのこと

科学は過去の知識の修正の上に成り立つ学問
その時々のたくさんの人の努力の積み重ねの上に今がある

情報収集は大切だけれど
その時点での確からしさという視点と
PDCAを回し続けるという姿勢を改めて確認した年度の切り替え時です。

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診療参加型実習への移行4

もうじき4月

2020年4月まで、あと1年となります。

時代は変わる。
時代に応じて、制度も変わっていく。

ただ、何事も変われば良いというわけではなくて
せっかく変わるのだから、良い方向へ変わらないと意味がない。
(改悪という言葉だってありますから、変化そのものが良いとは限りません。)

今回の変化は
どの立場の人にとっても大きな変化を要請されます。

ICFが登場して何年も経つけれど
今だにICIDHの呪縛は続いています。
本当にICFの理念を理解し日々の実践に活用できるようになるまでに時間がかかるのと同じように
今回の変化の意味を理解し日々の実践に活用できるようになるまでには
長い時間がかかるのかもしれません。

数十年先の人たちが
「えー昔はこんな考えでやってたの?」と驚くような時代が来ることを願って
今の自分にできることを着実に行って行きたいと考えています。

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診療参加型実習への移行3

私が考える最低限教えておくべきことふたつ

1)PDCAを回す:目標を目標というカタチで設定する
2)援助の視点で観察:能力の観察←環境因子としての自己の自覚

このふたつの重要性を体験を通して理解できることだと思う。

そうすれば、なんちゃってOTにならないですむと思う (^^;
どんなに時間がかかっても
対象者への援助と使役を混同しないOTになれると思う。

でもなんちゃってOTの人も結局はちゃんと教えてもらってないからだと思うので
可哀想といえば可哀想なんだとも思う。
多分、いまだにどちらも明確に教えてもらってない人が多くて
どこをどうしたら良いのかわからなくて苦労してる人がいっぱいいると思う。
かく言う私だって教えてもらったことがないから、ものすごく困ったもの。
そこを整理、言語化できるようになるまで、ものすごく時間がかかったもの。

PDCAを的確に回せるかどうか、のキモは実は
目標を目標と言うカタチで設定できるかどうかにかかっているんだと考えています。
多くの人は誤解していますが、実は内容よりもカタチが問われているんです。
内容がどうでも良いと言っているわけではなくて
PDCAを回すと言う観点に立つと、カタチが理解できていればPDCAは回せる
どんなに良い内容でも目標というカタチをとっていないとPDCAは回せないからなんです。

そして、恐ろしいことに
「目標とはなんぞや」ということがわかっていない人はものすごくたくさんいます。
(ちなみに、あなたは「目標とはなんぞや?」という問いに即答できましたか?)

だから、今だに、目標なのか目的なのか方針なのか治療なのか
混同しまくった目標もどきが跋扈しているという現状があります。
そのことに自覚がないから自己修正ができない。
だから表面的にPDCAを回しているようで、
その実回っていないということにも自覚がなく自己修正できない。。。

もうひとつ
いつの間にやら、援助が使役にすり替わってしまう
というのも、このギョーカイではよくあることで。。。
これは本当に根深い問題があるから
「気をつけましょう」なんてスローガンでは太刀打ちできない。
どうしたら細い山の尾根のような道から足を滑らせずに歩けるかを考えないと申し訳ないとずっと思っていました。

援助は関係性の中で行われるから
自分がわかっていることを明確にすること
その上で、対象者を修正したり改善しようとするのではなくて
「助ける」という視点を常に自己確認すること
つまり、能力を見出せるか、どうかということにかかってくる。

わからないことなんて、ヤマほどあるから
わかっていることから出発するしかない。
わからないことをわかったふりをしない。
わからないことはわからないとして
わかるに足る情報を集められるまで判断を留保して思考を停止しない。

重要な在りようを言葉で伝えるだけではなくて
声かけや関わりや場面設定にどんな風に反映されているのか
ということを体験を通して理解してもらえたら
自分で自分を育てていけるOTになれるんじゃないかと考えています。

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